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猪苗代湖周遊記

Oct.15, 2003 湖畔の暮らしと歴史探訪(春から秋)

猪苗代湖周遊記:イメージ1 猪苗代湖周遊記:イメージ2

「猪苗代湖の歴史」
猪苗代湖は、約20万年前の地殻変動で陥没した猪苗代盆地に、その後の磐梯山の噴火で川が堰き止められ徐々に湖が形成された。周囲55.32km。最大深度は、93.5m。日本で4番目に大きく、透明度も世界有数の湖である。標高514mと、湖一帯が比較的高地にあり、気温の変化で霧が発生し、季節によっては会津盆地に流れ込む事もある。西岸の長浜には天鏡閣(重要文化財)があり、東岸の志田浜は白鳥飛来地となっている。冬のウインタースポーツは勿論、夏場のボードセーリングなど、ウォータースポーツも盛んだ。猪苗代湖には、華やかな観光地の表の顔と歴史の中に埋もれたような街道筋が存在する。その周辺に暮らす人々の生活。畦道そばの小川には、今でも昔そのままの生き物達の世界があった。

猪苗代湖周遊記:イメージ4 猪苗代湖周遊記:イメージ3

「湖南地方風土」
5月。山上の湖周辺では、山裾の樹木も芽生えて春の活性が最高潮に達する。猪苗代湖の南側は、通称湖南地区と呼ばれ磐梯山麓に観光名所が点在する猪苗代町とは、大きく異なる様相がある。江戸時代、御世。福良。赤津は、参勤交代の宿場町として栄えた。会津強清水から白河に至る茨城街道(R294)は、物資の輸送、藩の廻米路としても重要だった。天正18年(1590)に、豊臣秀吉が会津入りをした時も勢至堂・御世。福良。原。背炙峠を越えて若松に入っています。今回の猪苗代湖周遊旅では、半年間に渡って歴史と文化に触れてみる事にしました。福良の宿に程近い湖岸近くの田んぼで、田植えを初体験。この日は、田んぼの持ち主である斎藤さんの御一家にお世話になりました。最近では、殆ど見られなくなった手植えにチャレンジ。メンバーは、俳優・中本賢。地元の妖怪・渡辺良雄。女子アナ・笠置わか菜。KFBアナ・飯野雅人のガサガサ隊4人組。それはもう、二人のアナは泥の中で七転八倒する大騒ぎ。植えた後を振り返れば、凸凹で苗が可愛そうだったが、半日掛けて20m×30mの面積を植え付け完了。秋の収穫が、楽しみだった。休憩時間には、昔懐かしい小川の小鮒釣り。そして、田んぼの土手にゴザを敷き全員揃って食べる美味しい小事飯が待っていた。

猪苗代湖周遊記:イメージ5

「ウグイの遡上」
6月。猪苗代湖に流入する河川の中で、随一ウグイが産卵遡上する川が船津川だ。猪苗代湖に流れる河川の中で、一番大きな清流です。と言っても流程が10数キロと短いので、水量はそれほど豊富ではありません。しかし、猪苗代湖は弱酸性質(HP5)なので魚類が乏しく育ちませんが、ウグイだけは何とか生き延びています。主な漁獲量となるウグイは、産卵期になると一気に遡上してきます。これらを捕獲するには、マセ場を作る。マセとは、砂利混じりの川底に杭を打ち、ヤナギの小枝でシガラを組んで作ります。堰き止められた流れは段差を生じますので、少しだけシガラを緩めて流れ出しを設けます。シガラから流れ出す下流域(3m以内)に産卵をするんですが、このままでは砂利が汚れて(水垢等)いるために、ウグイが産卵を嫌ってしまいます。ウグイを着床させるには、砂利をジャ籠で満遍なく洗わなくてはならない。これが又重労働。ジャ籠の柄は杉の丸棒。籠は鉄製で5キロ以上もある。一つの着床を作るのに、約一時間も掛かります。2、3回投網を打てば、もう使い物になりません。何故って、ウグイの卵が砂利にびっしり食い込んでいるから、次々と遡上するウグイが嫌って通り過ぎてしまうからだ。マセ付近に水中カメラを備え付け、ウグイの産卵撮影に大成功。少し上流域で、ガサガサに突入。思いの他いろんな生き物に出会いました。3年もガサ入れを経験していると、川面の雰囲気を見ただけでピ~ンと予感がする。クリアウオーターのカーブ際、ヤマメがライズしそうだなぁ~と思いつつタモを入れたら、何とヤマメがヒット!ジャ無かった、ゲット。若菜ちゃんが、怪しげな稚魚を確保。よく見たら、何と!イトヨです。この清流に、営巣地があったんですね。飯野君、ウナギかぁ~!どれどれと淡水魚ブックを開いていたら、それはドジョウのお化けだよと賢さんの声に大笑い。

猪苗代湖周遊記:イメージ6

「酸性質の根源」
7月。福島県の、ど真ん中に位置する猪苗代湖。紺碧の湖と称されるこの色彩は、何処から生まれるのでしょうか。エメラルドブルーに彩られた紺碧の源を求めて、凸凹メンバーが果てしない?旅に出た。先ずは、本当に猪苗代湖の水の色は紺碧な色かと、湖の中央部に乗り込んだのです。と言えば聞こえはいいけど、何と修学旅行気分で白鳥丸の遊覧船で行きました。船上から湖水を覗いたら、本当に紺碧な色に全員がビックリ!納得がいかない賢さんは、志田浜の売店で聞き込み開始。水色情報は、簡単に判明と思っていたのだが、返ってくるのは意外と不明確な話ばかりでした。その中で、売店のおばちゃんから面白い話を聞いた。酸性質の猪苗代湖は、沼尻温泉から流れてくる酸川(すかわ)が原因だと言う事まではよかったが、そこの石(鉄分で茶褐色)は、漬物石に最高だそうだ。何でも、ナスを漬けると真っ青になるらしい。だから、猪苗代湖の色も真っ青なのかい「おばちゃん」と聞き返したら、それはわかんねェ!と・つれない返事。猪苗代湖の水質は、酸性度が高い(PH5)ため大型の魚類にとっては住み難い湖でもある。その原因を探るため、長瀬川の生態を調査しながら上流に遡った。 河口から20数km離れたその場所とは、沼尻湯元温泉だった。安達太良山(1,700m)に向けて登山を開始。約30分程で現れたのは、まぎれもない温泉の大滝(白糸の滝)だった。次に目に飛び込んできた光景は、殺伐とした地獄のような硫黄の採取場跡だった。その場から湧き出る源泉は、沼尻温泉と中ノ沢温泉に送られていた。

猪苗代湖周遊記:イメージ7 猪苗代湖周遊記:イメージ8

「鬼沼カヌーツーリング」
8月中旬の早朝。我々は、5月に手植えした福良地区の田んぼに出向いた。今年の天候が不順だったので心配だったからだ。6月時点では、順調に生育していたから安心して見守っていたのだが。持ち主の斎藤さんに来ていただいて、これからの作況を聞いてみた。案の定、7月の低温の関係で実入りが悪くなる恐れがあると聞き、にわか百姓ながら残念だった。でも、曲がりくねって植えられても、寒さにもメゲズ頑張っている稲の穂をみていると、持ち直してくれることを皆で祈りました。猪苗代湖の湖岸線は、何処を見てもフラットな洗面器状の湖である。その中で、随一のワンド(沼)が鬼沼だ。湖岸からでは見られない表情を探ろうと、我々ガサガサ隊のメンバーはカヌーで探索する事にした。早速、湖南港でカヌーを準備して漕ぎ出すことになった。大波に耐えながら、ようやくワンドの入り口に到達。命を掛けた?ツーリングの後、ガサガサ隊を和ましてくれたのはピンクのヤナギランでした。ワンド内を見渡すと、黄色い可憐な花が咲いていた。この花は、アサザという植物です。以前は多くみられたが、最近めっきり少なくなってきた。猪苗代湖はPH5程度の弱酸性湖ではあるけれど、この沼は全く中性である。湾内の底は、猪苗代湖とは全く異なり泥なので、ウナギやナマズ等が今でも棲息しています。50年も前から、鬼沼で漁をしているという大越さんとの出会いがありましたが、残念ながら大物は掛かっていませんでした。しかし、可愛いナマズの子を見ることができ、全員が感激!再びカヌーを漕いでプライベートビーチ(カヌーでしか行けない浜に出発)ここでは、お決まりの焼きソバとバーベキュー。目前には、透明度約30m。猪苗代湖随一のダイビングスポット(赤碕周辺)が有る。

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「磐梯山麓サイクリングロード」
9月の磐梯山麓。中腹の天鏡台から、猪苗代湖を見下ろすと野口英世の生家が見える。新千円札の顔となった野口英世博士。医学博士としての名声は誰もが知る所だが、子供(清作時代)の頃は川遊びが大好きだった事は余り知られていない。野口英世(幼名清作)博士は、1876年11月9日福島県耶麻郡翁島村(現在の猪苗代町)に生まれた。清作は1歳半の頃、囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負い、その左手を手術しましたが完治することはなかった。しかし、清作はその時に医学の素晴らしさを知り、医者への道を志す事になる。野口英世の生家は、R49沿い猪苗代湖の湖畔にある。その記念館の方から、少年時代に纏わる詳しいお話を聞く内に、清作は川遊びが大好きだった事を突き止めた。アメリカからの便りには、東京での暮らしやアメリカの事ではなかったのです。其れは、子供の頃遊んだ水遊び(釣りや水浴び)や野遊び(小鳥捕り)。雪の日の厳しかった通学の思いと、学校での出来事を懐かしく綴ったものでした。その川は、今でも昔のままに流れていると言うから、早速その川を教えて戴きました。なんと場所は、生家から200メートル離れた○○川だった。タモを、自転車の後ろに立ててR49を進む4人のガサガサ隊。道行く車窓から、何事かといぶかしそうに我らを凝視するが、そんな事かまっちゃいられない!間もなく到着。川面を覗き込むとすばらしく綺麗な流れが飛び込んできた。各自、ウエーダーを急ぎ身に付けてジャブジャブ川に入り込んだ。直に、わか菜ちゃんの歓声が!!清流定番の、アブラハヤとヨシノボリを発見。賢さんと共に、上流域を探索していた時、川藻を踏みつけたら何かが飛び出した。川底を良く見ると、2年間捜し求めていたカマツカだった。しかしながら、水深は70cm以上有り流れも速い。力を込めて、勢いよくすくい上げた。その結果は?見事にタモ(破損)の中に入りましたよ。間もなくして、今度は幻のアカヒレタビラを確保!清作が遊んだ時も、こんな風だったに違いない!この川は、磐梯山麓から流れ込んでいるが、周辺は家も無く今でも田んぼのまま。いつまでも残したい川のひとつになりました。

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「磐梯山トレッキング」
10月は収穫の秋。春に田植えした田んぼで、鎌を手に稲刈りとなった。そして大収穫、の筈だったが、低温の影響で稲穂の実りは軽かった。それでも、黙々と手刈りに励んだ。刈り終えた稲束は、まるってから棒に(棒杭)積み重ねて乾燥させる。この日の作業は午前中で終了。福島県を代表する山は、宝の山と唄われる磐梯山である。その麓には、猪苗代湖が広がっている。最終を記念して、全員で磐梯山に登る事にした。1887年(明治20年)。那須連峰の茶臼岳が突然噴火。翌88年には磐梯山。93年には吾妻山の一切経山。99年には、安達太良山が次々と大爆発を連鎖。この時の磐梯山は、成層火山の末期症状とされる水蒸気爆発を20回近く連続して起こした。大磐梯に次ぐピークである小磐梯の約700m部分を根こそぎ吹き飛ばされた。崩壊した岩盤は30億トンとも言われ、磐梯山の北側に広がっていた旧桧原村南部の森と渓谷が埋め尽くされた。登山口は、裏磐梯側からエコーラインに入った猫魔八方台からだった。紅葉が始まったブナの樹林帯を抜けて、黙々と頂上に向う。最初の30分程は、比較的緩やかな登りだった。木漏れ日から、秋の陽射しが飛び込んでくる。登山口から 40分ほどで、硫化水素の匂いが漂ってきた。中の湯は、現在では営業していないが以前は温泉宿だった。今でも、懇々と温泉が湧き出している。この辺りから、熊笹の緑と高山ツツジの紅葉が一段と鮮やかになってきた。頂上までの道程は、残り一時間。最初は緩やかだった登山道も、徐々に岩場の段差も広がり急勾配に差し掛かってきた。私は、足に持病があるのでゆっくり進む。火口壁が見えるお花畑で、少し休憩を取る。足の裏筋に、マッサージをしていたら明るい陽射しが差し込んできた。ふと見上げると、真っ青の空に磐梯山の頂きがポッカリ空いているではないか。このチャンスを逃す訳には行かない!弘法清水からは、急斜面が続くが30分足らずの距離だった。そして遂に、磐梯山の頂に全員が無事に到達。目的の猪苗代湖も、約70%展望が開けました。次から次と、ガスが吹き抜けていく。半年間の旅の思い出を振り返りながら、いつまでも永遠なれ猪苗代湖を母に持つザッコ達よ。

-DATA-

場所:
福島県耶麻郡猪苗代町
交通:
JR磐越西線猪苗代駅下車、磐越自動車道猪苗代磐梯高原IC~湖畔周回道路
駐車場:
湖畔各所に点在
トイレ:
畔各所に点在
見所:
「世界のガラス館」
所在地…………猪苗代町大字三ツ和字村南1245
開館時間(休日)…8:30~17:30(無休)
料金……入館無料
駐車場の有無…400台
交通…JR磐越西線猪苗代駅からバス10分 , 磐越自動車道 猪苗代磐梯高原IC
問い合わせ先…世界のガラス館 TEL (0242)63-0100

「野口英世記念館」
〒969-3284 福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字前田81
TEL 0242(65)2319
東北新幹線郡山乗換え磐越西線猪苗代下車、バス10分、タクシー6分。磐越自動車道・猪苗代磐梯高原インターから国道49号線約5分。
休館日/年中無休(ただし12月29日~1月3日などを除く)
※平成16年は12月13日~12月17日まで臨時休館
開館時間/
4月~10月 午前8時30分~午後5時 (入場は午後4時45分まで)
11月~3月 午前9時~午後4時15分(入場は午後4時まで)
見学所要時間/約40分

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