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尾八重一本杉

Mar.30, 2003 奥日向の巨樹を訪ねて

私たちが巨樹を畏敬の念とともに見上げるのは、そこに森の凝縮した姿を見るからではないだろうか。長い年月を生きる生命力。風雪に耐えた力強さ。荒々しさ。鳥や虫、宿り木を養う優しさ。堂々と立つその気高さ。どの巨樹も単にその大きさからだけではない、包容力を感じさせるのだ。巨樹を目の前にして、人間の小ささを実感する人は少なくない。自分でもよくわからない何かに触れることができる気がして、私もときどき巨樹に会いにゆく。中でも惹かれるのが宮崎県西都市の山中に立つ「尾八重(おはえ)一本杉」だ。この一帯は山深く、ほかにも見るべき巨樹が多い。2003年春、私はまた、この奥日向の森の巨人に会いに出かけた。今度は何を教えてくれるだろう。

尾八重一本杉:イメージ1

尾八重地区は西都市の深奥部にある。最近は道路が改修されアクセスがずいぶん楽になった。西都市は宮崎県の中央部に位置し、西都原古墳群が有名だ。宮崎市~熊本県人吉市~八代市を結ぶ国道219号線がアクセスのメインルートになる。宮崎市側から向かうなら、国道219号線で西都市の中心部を通過、一ツ瀬川をさかのぼるように峡谷の国道をゆくと「尾八重川キャンプ場」の看板が現れ、北に向かう小道がある。そこで国道をそれ、さらに山奥を目指す。このルートは「ひむか神話街道」として県が目下整備中で、山間部の過疎地にかかわらず道路が拡張され整備されているのはそのためだ。やがて尾八重川の渓流沿いに木造校舎が見えてくる。旧岩井谷小学校校舎を利用した尾八重川キャンプ場で、ここでひと息くといい。山あいの空気はすがすがしく、尾八重川は清冽。何度も深呼吸する。古びた木造校舎が懐かしい気分にされてくれる。

尾八重一本杉:イメージ2

ひむか神話街道はますます深山に吸い込まれていく。渓流に別れを告げ、道は高度をかせいでいく。もうとっくに沿道に人家はなく、風景は山また山の絶景だ。空が広い。杉の人工林も多いが、そうかと思うと山の斜面を満開の山桜が覆っていたりする。やがて現れる「尾八重」の看板に従って道をそれると尾八重地区だ。山奥の過疎集落。道はT字路になり、右へ行くと尾八重神社、尾八重小中学校跡。学校もずいぶん前に閉校になっている。左は行き止まりと書かれてあり、一本杉はその道を行くのが正解だ。巨樹まではまだ距離があるが、自動車は学校の校庭に置いて歩いていくのがいい。ひなびた集落のたたずまいは昭和の農村そのままで、いまは使われていない昔の郵便局は自由に出入りでき、往時の姿を見せてくれる。集落には人けがない代わりに花々が多く、散策にちょうどいい。半鐘の下がる古い消防小屋、開いているやらわからない商店など、昭和から時間が止まったかのような風景だ。やがて集落を過ぎると道はグンと狭くなる。木々に覆われ路面に落ち葉が降り積もり心細くなるような道だが、巨大杉はもう近い。一本杉へ続く林道との分岐にも看板があって迷わないが、ここからは車も進入できない未舗装路になる。急斜面を下りること約10分。見えてきた。あれだ!

尾八重一本杉:イメージ3

尾八重一本杉。樹高約25m、幹周り約6m。樹齢は推定で450年。荒々しい。まっすぐに天に向かって伸びる杉のイメージを裏切るような、あまりに奔放で激しい枝の広がり。圧倒的といわざるをえない樹形だ。湾曲した枝のひとつは鍛え上げた男の腕の力瘤のようにたくましい。尾根上にあって決してすぐれた生育条件ではないだけに、その姿に息をのむ。見続けるうち敬虔な気持ちにさせるから巨樹は不思議だ。巨樹の多くが神木として祀られるのが納得できる。昔は交通の要衝として発展したという尾八重地区。そんな尾八重の盛衰も見つめ続けてきたのだろうし、この尾根道を行き交う人もこの杉を見上げてきただろう。尾八重にはこのほか、樅木尾有楽椿、大椎葉有楽椿も見つけることができた。椿の大木といっても幹回り約2.4m、樹高約10mだが、椿としては日本最大級。この樅木尾有楽椿は一帯が「有楽椿の里」として市によって公園整備されている。初冬?初春までの長い花期とピンク色の花で目を見る人を楽しませる。人里離れ訪れる人も多くないが、有楽椿はもともと茶花だ。奥日向の山里もかつては栄え、中央との交流もあったことを偲ばせる。一本杉も有楽椿もいまは山中にひっそりと立つ。しかし、惹かれる木々なのだ。とくに尾八重一本杉ときたらガンコ親父のように力強く、しかしそれは昔、親父にガツンと叱られたことを思い出した時のように心地よい。季節が変われば私はまた尾八重に行くだろう。

-DATA-

場所:
宮崎県西都市尾八重
交通:
宮崎市~R219~ひむか神話街道~尾八重
駐車場:
尾八重小中学校跡に止めるとよい/有楽椿の里には駐車場あり
トイレ:
尾八重小中学校跡

熊野古道を歩く

May.04, 2003 小広峠~発心門王子

熊野古道を歩く:イメージ1

2004年に世界遺産として登録される予定の熊野古道。まっすぐに立つ木々のあいだの古い道は、ところどころ苔むして、いにしえの参詣道を感じさせます。本宮、新宮、那智は「熊野三山」と呼ばれ、平安の中期ごろから京の都の人々が、この山の中の道を通って熊野三山に詣でたといいます。道中には、権現の御子神を祀った「王子」と呼ばれる石碑が100近く存在し、かつての参詣者はこの王子を一つ一つ巡拝しながら、熊野三山を目指したのであります。

熊野古道を歩く:イメージ2

この熊野古道が、正式に世界遺産に登録される前に、人が大勢つめかける前にゆっくりと歩いてみたい、というのが今回の古道歩きの動機でした。神々が宿っていそうな古い道が魅力的でした。名古屋からJRワイドビュー南紀に乗り、和歌山の新宮駅を降り立った私たちは、新宮駅からさらにバスに乗り、湯の峰温泉の民宿「くらや」に泊まりました。湯の峰温泉は、浴衣姿の人々がのんびりと歩く、こじんまりとした風情ある温泉街です。名物の「つぽ湯」につかり、宿では鹿鍋や「めはり寿司」をいただいてリラックスし、十分に睡眠をとって翌日の古道歩きにそなえました。

熊野古道を歩く:イメージ3

翌早朝、湯の峰温泉を6時45分に出発するバスに乗り、そこから30分ほどの「小広峠」で下車しました。小広峠を、私たちは古道歩きの出発点に設定しました。世界遺産に登録される準備のためか、真新しい案内標識が立っています。バスが通る鋪装道路のすぐ脇に、古道へ入る細い道がつながっていました。現代から中世へとタイムスリップするかのような、細くて古い道でした。

熊野古道を歩く:イメージ4

小広峠を出発した私たちは、女坂を下り、男坂の険しい登り坂を一歩一歩前に進みました。山は深く、枯れ葉が何層にも重なって土に戻ったかのような柔らかい足場を踏みしめていきます。途中、皇太子殿下行啓の碑も建っていました。湯川王子を過ぎて三越峠に到着したのはちょうど11時。東屋があり、ザックを下ろして宿で作ってもらったおにぎりを昼食としていただきました。30分ほど休憩をとったあと、三越峠を後にしました。しぱらくは下り坂が続きます。細いまっすぐな木が空に向かってのび、その間から眺望が開けました。木の切り株に苔が密集し、まるでベルベッドの椅子のようになった木をいくつも発見しました。手で触ると、ふかふかしていました。

熊野古道を歩く:イメージ5

やがて、猪鼻王子の少し手前で芝生の広場に出ました。そこは、「赤木越え」と呼ばれる湯の峰温泉への道との分岐点でもあります。地上から10メートルくらいのところに広場を横切るようにロープが張られ、等間隔に巨大な鯉のぼりと吹き流しがぶら下がっていました。ときおり5月の爽やかな風を受けて、鯉のぼりは宙を泳いでいました。私たちは再びここで休憩し、足を伸ばし、持参したお菓子を食べ、緑の山を背景に泳ぐ鯉のぼりを眺めました。緑の山に鯉のぼり。純粋な日本の光景、日本的な色彩に、懐かしさを覚えました。

ゴールの発心門王子までは、あと一息。猪鼻王子を過ぎると、すぐに発心門王子に到着しました。13時着でした。余力のある人はここから熊野本宮大社までの約2時間の道のりを歩くのでしょうけど、私たちは、発心門王子からバスにて湯の峰温泉へ戻りました。そして.前日と同じように温泉に使って、古道歩きの疲れを癒したのでした。

-DATA-

場所:
和歌山県東牟婁郡
交通:
名古屋よりJRワイドビュー南紀で新宮下車。熊野交通バスにて湯の峰温泉へ。
湯の峰温泉-小広峠間は、龍神バスに乗車。
バスは本数が限られているので、時刻表をチェツクした上で計画を立てた方がいいです。
駐車場:
無し。
トイレ:
小広王子、三越峠、船玉神社、発心門王子に有り。

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