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鎌倉 晩秋の秘境を歩く
Dec. 9, 2000 馬場ケ谷渓流紀行
冬は、自然との対話に絶好の季節だ。葉を落とした木々の間に小鳥たちが姿を現し、彼らの声や静寂に抱かれて歩くことができる。最後の紅葉を惜しむため、鎌倉の秘境、馬場ケ谷(ばんばがやつ)を訪れることにした。JR鎌倉駅からバスに乗り、十二所(じゅうにそう)神社で下車。前方左の山麓に、古風な神社と金に輝くイチョウの大樹が見える。天神七柱、地神五柱の計十二神を祀る十二所神社だ。神社に手を合わせた後、バス道沿いに50メートルほど戻る。吉沢川との合流地点から、川沿いに右手(西)の谷の奥へ進む。
御坊橋を渡って道なりに行くと、左手に天園方面を示す看板が現れる。今日の行程で、最後に再び到着するゴール地点だ。まずは右手の道を直進。舗装道路がつきると、次第に山が両側から迫り、谷戸は細く奥へ続いていく。落ち葉を踏みしめ進むうち、ところどころに湿地帯が現れる。この山のたくわえた水が、吉沢川、そして本流の滑川へ絶え間なく注ぎ込む。
やがて、切り立つ渓谷につきあたる。くもりの無い紅の葉が、風を受け細かく震え、さんざめく。自然のみが支配してきた世界に迷い込んだようで、心のなかで立ち入る俗人への許しを請う。岩盤の上を伝う流れに、そっと歩みを進めた。今回は左岸に続くルートから天園ハイキングコースへ出る予定だが、少しより道をして対岸の道を上がる。道は金網製の踏み段を上がり、スギが並ぶ権兵衛山へ続く。この直登は女男坂(めおとざか)と呼ばれ、古来、旅人が行き来してきた場所だ。息をきらせて登りきる。
一面に広がる、鎌倉霊園が目をつきさす。墓場のマンモス団地とでもいうべきか。開発前の大正の頃までは、左右(南北)へ伸びる道は、いわゆる馬路だった。ヤマザクラなどの木炭を馬に積み、鎌倉の十二所からこの馬場ケ谷の田んぼ道、女男坂を経て横浜の金沢へ運んだといわれる。炭俵を積む馬をねぎらい汗をふきふき登った、いにしえの人々の姿を思う。再びもと来た道を戻り、馬場ケ谷の沢へ。渓谷の左岸を進み、細い丸木橋を渡り進めば、傍らを歩んできた川の流れは次第につきる。滑川の源流の一つが、ここにある。
風が吹く。次の瞬間、ハラハラと一斉に舞う木の葉に包まれる。ギー、と声を上げるのは日本一小さなキツツキ、コゲラだ。彼らの鎌倉での個体数は、意外にも増加しているという。キツツキ類は朽木で採餌、営巣をする。かつて、枯れ木は伐採され薪などに使われていたが、今は多くが放置され、暮らしやすい環境が増えたのだ。ジュリジュリ、とぐずる小鳥はエナガ。マシュマロのような白い体に、ほんのり桜色の頬紅をさしている。足もとには、常緑のリュウノヒゲが。細い葉をかきわければ、深い群青色の実が光る。
右手の山腹に、黒々と口を開けたやぐらが現れる。三穴並んだやぐらの中央がお塔のやぐらと称され、その存在から、付近はお塔が窪とも呼ばれる。木漏れ日を浴びて、中央に大五輪塔が光り立つ。左右には、風化した一石造りの宝篋印塔(ほうきょういんとう)が詰まれている。広く人々を救う釈迦の仏舎利の代りに、人々の命を支える一粒の籾を収めた「籾塔」に近い貴重な形式とされる。このお塔やぐらは、鎌倉幕府滅亡のとき北条高時以下一門の首を埋めた供養塔との伝承がある。
曲がりくねる最後の坂を登れば、貝吹地蔵近くの天園ハイキングコースと合流する。人の声や踏み固められた道が、どこか懐かしくすら感じられる。しばらく行くと、瑞泉寺方向、十二所方向への岐路を示す看板が現れる。鎌倉駅まで歩くには右手の瑞泉寺方向が便利だが、静かな自然を存分に楽しみたいなら十二所へと左折する。杉木立を抜けると、再び落ち葉のひとしずくから始まるせせらぎと道中を共にできる。細々と営まれる谷合の畑を抜ければ、往路で見送った道標に戻る。十二所バス停は、もうすぐそこだ。
-DATA-
- 場所:
- 神奈川県鎌倉市十二所
- 交通:
- JR鎌倉駅よりバスで十二所神社下車
- 駐車場:
- 無し
- トイレ:
- 鎌倉駅を出ると山中ルート上には無し
- コース:
- 十二所神社バス停(徒歩5分)→吉沢川・滑川分岐(徒歩15分)→馬場ケ谷(徒歩50分)→権兵衛山(徒歩45分)→天園ハイキングコース(徒歩15分)→十二所・瑞泉寺への分岐(徒歩30分)→十二所神社バス停
- 参考文献:
- 御所見直好『誰も知らない鎌倉路』集英社、1983
浄明寺太郎『鎌倉なんでもガイド』金園社
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