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飛島紀行(前編)

May. 1998 アイランド・シーカヤッキング

飛島紀行(前編):イメージ1

東京はじめじめ、じわじわと暑く、ベタついた日々が続いていた。やはりこんなときは北に行くべきだと、いつのまにか義務のように思うようになっていた。ぱらぱらと島に関する本をめくっていると「飛島」のところで、ページがとまった。酒田から船だと…。おう、そうだ、むかし関東シーカヤッククラブにいた富樫(現佐藤)香奈ちゃんが酒田にいるではないか。彼女は今(その当時)実家である「とがしスポーツ」で働いている。

出発の当日、僕はビックサイトにいた。この当時、その年の秋には鳴り物入りで登場する予定であった某衛星携帯電話会社に在籍していたので、その展示説明のために奔走していたのだ。この当時も今と変らぬサラリーマン。過去最大の入場者となったビジネスショウにおいて、群がる人々をあれやこれやとなで斬りにし、ふらふらになりつつも週末のごった返す渋谷に、夜行バス出発ぎりぎりの時間にたどりついたのであった。酒田に行くには夜行バスが最もリーズナブルなのである。

そして長距離バスは、遅れた人を待って定刻よりも多少遅れての出発となった。電車ではこうはいかないだろうなあ。しかしシートは残念ながら人並みはずれた僕の体格にはあわず、疲れた体を癒す事ができないままに酒田まで運ばれることとなったのであった。

酒田駅前で今回飛島を一緒に漕ぐ、富樫香奈子嬢と合流する。彼女が東京にいたころ、今は無き(?)非営利非力シーカヤッククラブである関東シーカヤッククラブの門をたたいたのが運の尽き(?)、じゃなかった、成功への扉、それ以来の知りあいである。その後サラリーマン生活にずぶずぶと埋もれていった僕と違って、ニュージーランドでアウトドア修行をしたり、登山にカヤックにトライアスロンと、なんでもござれのアウトドアウーマンとなったのである。

朝食の後、酒田港へと向かう。出港の30分くらい前には着いたのだが、飛島へ向かうニュー飛島丸はすでに接岸され、その前は人でごったがえしていた。船の後部デッキはオートキャンプで使うような大きなクーラーボックスが所狭しと積まれている。船に乗り込んでみると、果たして乗客のほとんどが釣り客であった。

船は定刻通りに岸壁を離れて、ベタ凪の海をすべるように進んでいく。雪の残る鳥海山を後ろに見つつ、広い海にぽつんと浮かぶ島影に向かっていく。この時期イルカの大群に遭遇することもあるようだが、残念ながら今回は会うことができなかった。約90分の航海を終え、船はゆっくりと島の港に入っていった。たくさんのウミネコが僕らを迎える。海面を見れば、今まで見たことがないような緑色。そしてそれがゆっくりと揺れている。海底の海草がゆらゆらと揺れているのであった。

飛島紀行(前編):イメージ2

飛島、周囲約10km、人口は約700人。日本海にある東北唯一の有人島であり、縄文時代から人が住んでいた形跡がある。近世は北前船の寄港地として栄えた。島は鳥海山の一部が噴火で飛んで来たという説がある。また、トド島という別名もあり、これは大正時代には冬になると、トドが群れたという話しからである。その時代にシーカヤックで行けたらとどんなに面白かったであろうか。

宿に荷物を置いて、カヤッキングスタイルに変身するとシーカヤックにおいてあるスロープに向かった。(この時は雑誌の取材であったため、ある施設からシーカヤックをお借りしたが、通常はフェリーで運ぶか、漕いでくることになる)コンクリートのスロープに置かれた2艇の真新しいパフィンに、はやる気持ちを押さえながら荷物を積み込んだ。新しい海に出るときというのは、また特にワクワク感があるのだ。僕の場合。

飛島紀行(前編):イメージ3

一枚の板のようにべたっとした水面にカヤックを浮かべる。最近、管理不能になりつつあるダブついた肉体を、狭い(パフィンでさえ僕には狭いのだ)コックピットに押し込めると、ズブリと喫水が沈んだ。

ウムム、装備の軽量化の前に自分の軽量化が急務であるな。カヤックを世話してくれた人が「ここらの漁師はみんな口悪いけ、気をつけてき」と言って手を振って見送ってくれた。といっても、別にカヤックが嫌われているわけではない。夏の間は少年達に向けてのカヤック教室が行われるくらいなのである。

堤防の切れ目から外海に出る。遠くの水面が細かくふるえ、その震えとともに風が渡って来た。東京の、暑くて体にまとわりつくような大気と違い、冷たくも乾いた風が心地よい。

いいツーリングができそうな予感がする。舳先を南に向けた。

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

飛島紀行(中編)

May. 1998 アイランド・シーカヤッキング

飛島紀行(中編):イメージ1

島の東側、つまり本州の側は、その海岸線のほとんどが港となっている。漁船の動きに注意しつつ港を離れ、島の南端、そびえたつ舘岩を回り込んでいく。ここはウミネコの営巣地となっている。見上げれば、いたるところに白い点々がたまに大きくなったり、青い空に飛びあがったりしている。みんなウミネコである。そして厳しい冬の海を連想させる断崖。

百合岩を越えれば右手奥に島唯一の海水浴場。そして、その向こうに御積(おじゃこ)島と烏帽子群島が見える。海面はあいかわらずべったりの凪状態。
「よし、行ってみるか」
舳先を島へと向けた。海は藍色の度合いを増す。パドルを吸い取られそうだ。ブレードをしっかりと差し込み、体をひねるように漕いでいった。
ところが意外と拍子抜けするくらいに簡単に島にとりついた。ここもウミネコの一大コロニーとなっており、山は白い粉をふいたようになっている。見上げるこの島は、実は飛島本島よりも標高が高いのである。中心部には洞窟が開いており、これが島の信仰の中心になっているという。そのメインの洞窟の上にも小さな洞窟が開いており、そこは竜宮へ通ずるという話しがあると聞く。
ちょうどこの時期、この島の近くにある海底の洞窟に、出産のために大量のドチザメが集まる。それはハンパな数ではなく、折り重なるように洞窟を埋めてしまうというのだ。すばらしい透明度の海ではあったが、残念ながらカヤックからは見ることができなかった。
そして、ここはサンゴの北限であるという。黒潮の分流である対馬暖流が運んでくる、南の匂いの終着点なのであろう。秋になるとスズメダイの青くキュートな姿も見られるという。
ふと右を見ると、巨大な穴がど真ん中に開いた、異様な岩が目に入った。パドルを握る腕にグイと体重をかけて、一気にその岩の方に漕ぎ進んだ。

飛島紀行(中編):イメージ2

「すごい」思わず声が出た。
岩肌は賽の目状に削られている。中心部の穴は、差し渡し5mぐらいはあるだろうか。自然が創り出す造形に圧倒される。盲(めくら)島と地図には書かれてあった。その島を回り込むと、そこはいくつかの小さな島に囲まれ、湖のようになっていた。どの島もウミネコでいっぱいだ。しかしコロニーにつきもののイヤな匂いはしない。ニュージーランドのオットセイのコロニーなどは、かなり遠くからでもその臭いはわかるほどであったし、ペンギンのコロニーもすさまじいものと聞いたことがある。ウミネコのそれは、もともとにおいの無い物なのであろうか。それとも乾いた風が吹き飛ばしてくれるのだろうか。
しばらくゆっくりしたあとに、再び飛島に漕いでもどった。ずっと人工物が続いている東側と対照的に、西側にはほとんど人工のものは目に入らない。緑色の草原の中に。橙の斑点をまいたようなところに漕ぎ寄せた。ところが、そこはなぜかコンクリート製のポートであった。まさかカヤッカーのためにつくったというわけではないだろうが。艇を降りると、水際にはたくさんのアメフラシがいる。ナマコもいる。よく見てみると、ところどころに赤い粒粒の固まりが海草に張り付いている。アメフラシの卵だろうか。
海から橙色の斑点に見えたのは、イワユリの群落であった。
その真ん中にねっころがってみる。空は高く、風が顔の上を優しく渡っていく。
目を閉じる。
葉のすれる音と鳥の声が聞こえる。
波の音は聞こえない。
全ての事象が眠りへと誘っている。
ふと意識を失ったあと、寒さに目が覚める。日は傾きかけていた。
さて、先を急ごうか。カヤックに乗ると、またそろと海に漕ぎ出した。そうしてゆっくり漕いでも、だいたい4時間ほどで島を一周してしまった。

飛島紀行(中編):イメージ3

出発点でもあったスロープにあがると、おばあちゃんが水辺でなにかを洗っている。聞くとめかぶを洗っているという。島で何人かの人と話しをしたが、僕が話しかけても、どうも質問に対する答をもらえるだけで、会話が途切れてしまう。ところが、香奈ちゃんが話すと、会話としてどんどん話しが進んでいく。でもその内容は僕には聞き取れないものであったりするのだ。理由は明白。言葉なのだ。標準語は確かに意味は通じる。しかしリズムを創らない。ゆえに会話としての連続性と広がりは生じないのである。西の国でもそのようなことがあった(その時は真珠をもらい損ねた)けど、僕は好きなのである。こうした旅が。
この島ではキャンプはできない。というよりも是非民宿に泊るべきである。それはうまい海の幸。ほとんど全ての民宿が漁業と兼業しており、うまい魚が出ないわけはないのだ。晩飯はイカやソイの刺し身その他諸々。この当時養殖に力を入れているという一口アワビ。食い切れない覚えきれない質量攻撃で、いとも簡単に沈没したのであった。

(つづく… 取材日時:1998年5月)

-DATA-

鳥海山や山形の海川の情報はここで!
とがしスポーツ・バイパス店
山形県酒田市こがね町1-14-10
TEL(0234)24-5255、(0234)23-3605
FAX(0234)24-7995
サメと仲良くなるには
(有)マリンサービス山形
〒998-0052 山形県 酒田市 緑ヶ丘一丁目19-2
TEL FAX(0234)31-5155
ホームページ: http://www.ic-net.or.jp/home/hs-mari1/

飛島紀行(後編)

May. 1998 アイランド・シーカヤッキング

飛島紀行(後編):イメージ1

翌日、ウミネコの鳴き声で目を覚ました。早朝に出漁した漁船が帰って来たのだ。どうも今日は雲が低くかかっているようだ。そのおかげで太陽がぼうとその輪郭をはっきり見せていた。
正面にあるはずの鳥海山はまったく見えない。しかしまだ雲は高い。一日くらいはまあなんとか持ちそうな感じだ。朝食をすますと外に出た。そしてそのまま港へ向かう。集落は道を挟んで山側に母屋、海側を宿としているところが多い。その宿になっているところは、昔、漁具の格納庫になっていたようで、すぐに漁に出られるようなかんじであった。

海岸沿いの歩道を南へ歩いていくと、海水浴場に出た。こんな北の島でも海水浴場があるのだ。しかし、コロニーに入りきれないウミネコたちが、そこかしこに巣をつくっている。ウミネコの世界もどうやら住宅難のようである。
海岸線につけられたごく簡単な作りの遊歩道を西に歩いて行く。空はますます低くなり、海の色は昨日とうってかわって寒々しいダークな世界へとなっている。道をまちがえたのかな、と思った頃、賽の河原についた。

そこにはいくつもの石積みの塔がならび、色のない世界であった。まさに鬼門に位置するところである。大正14年に出された飛島に関する本(残念ながら入手不可)に、この賽の河原のことが記してある。

飛島紀行(後編):イメージ2

曰く、ある島民が畑で仕事をしていたら、後ろの方から鼻歌が聞こえてくる。ふと見ると、島では見慣れない人が賽の河原の方に向かって歩いていった。また、森の中で泣いている女性を見かけた島民が、声をかけようと近づくと、突然なにかふっきれたように歌いながら賽の河原の方へ向かい、消えていったという。このような目撃談が淡々と続いている。まさに真夏の怪談というところだが、また島に遊びに行った中学生が、出来心からこの石積みの塔を壊してしまう。その後、誰も手をつけなかったのに、次の日にはまた元の通りに戻っていたという(なんか背中が寒くなってきた)。そして、この石積みの塔は、島の誰が積んでいくわけでもないのに、年々その高さ、数ともに増えていっているという。
もしこれを読んだ方でここを訪れる機会があったなら、ここの石は絶対に持って帰って来てはいけない。それはある島出身の人から、強く言われたことである。

飛島紀行(後編):イメージ3

さて、一回宿に戻り、自転車を借りて今度は東に向かう。港では何人もの男達が魚をさばいていた。漁師かと聞いたら釣り人だという。魚はホッケ。開いて一夜干しにした後に持ち帰るそうだ。ウミネコたちはおこぼれに預かろうと遠巻きに様子をうかがっている。果たして男達が去ると、すさまじい勢いで残ったものに群がっていった。それにトビやカラスも入り乱れてすさまじい様相となった。彼らが飛び去った後、そこにはなにもなくなっていた。

自転車を走らせて島の東端、鼻戸崎の森に分け入った。暖流果てるこの島には、陸上の木々にも特徴がある。ここはタブノキやクロマツ、アカマツの森である。森の中で大きく、深く呼吸する。肺を少しでもすてきな空気で洗いたい。
森をぬけると甘ったるい香りでむせた。ハマナスだ。その先にある鼻戸崎の展望台から勝浦地区を見下ろせば、狭い海岸に張り付くように2列の住宅がならんでいる。

飛島紀行(後編):イメージ4

ああ、哀しいかな。昼前の船で酒田に戻らないと東京にたどり着くことはできない。
明日にはもう東京のオフィスで仕事をしていなければならないのだ。あわただしく荷物を取りまとめると、再び港へ向かった。船にはもうけっこう人が乗っている。5月の初めくらいはバードウォッチャーで賑わい、6月から7月はつり客。そして夏になると海水浴客で賑わうという。シーカヤッカーで賑わう…というのはいつの日にかあるだろうか。(この翌年、とがしスポーツは「飛島横断イベント」を行い、この話しを現実のものとした)
船のエンジン音が一際大きくなったかと思うと、ゆっくりと岸壁を離れた。
港を出てスピードをあげても、ウミネコたちはどこまでも追っかけてくる。そうか、そんなに名残惜しいのか。などと感傷にひたっていると、なんということはない。船員が船尾で餌をバラ撒いているのであった。

(この項 了… 取材日時:1998年5月)

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山形県酒田市こがね町1-14-10
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〒998-0052 山形県 酒田市 緑ヶ丘一丁目19-2
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- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

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