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九州熊本・天草諸島 ~ ジュラシックアイランドを漕ぐ!(後編)

Aug. 1997 アイランド・シーカヤッキング

御所浦島を後にすると、そのまま南下し、弁天島へと針路をとる。ここは恐竜の足跡が出たという島である。小さな島に桟橋がつけられ、山頂、といっても海面に出来たコブみたいな島ではあるが、まで道がしっかりとつくられている。桟橋にカヤックをつけてしっかりと舫ったあと、その急な斜面につけられた道を登る。山頂にたどり着いてみれば、そこには南国風の屋根、テーブル、ベンチ。うーむ、定型化した「休憩所」である。
「どこなんだ?恐竜の足跡は?」肝心の足跡化石がどこにあるかまったくわからなかった。まあいいか、ここの眺めはいい。しばらく体を休めた。戻る途中に、今度は周囲を見回しつつ気をつけて下山したが、それらしいものはやはり見当たらなかった(取材時)。「???」という感じで我々はカヤックに戻ってきた。

再びカヤックに乗り込むと、進路を北西にとり、竹島の北側をまいて、黒島へ行くことにする。
 海上に屋根のついたはしけが浮いている。このあたりでは真珠の養殖も行っているとのこと。そのはしけは真珠貝から真珠を取り出す作業場なのである。晩夏の折、その作業は佳境を迎えているように思えた。その作業場のひとつに艇を近づけた。たぶん「どっから来たんだ?」というようなことを聞かれたと思う。「東京から」と言うと、「漕いできたのは倉岳からですよ」と同行してくれている瀧川さんがつけたした。ふたことみこと言葉を交わしたのだが、いくつかわからないところがあったので相槌をうっていた。そこから離れると水野さんが「ここにあがってくれば、真珠を5,6ッ個やるって言っていたんだけど、わかった?」と言うではないか。しまった~。しかしホントにわからなかったんだからいたしかたなし。

 日本は広い。単一民族かもしれないが多種言語である。険しい国土は大陸とは別な形でいくつもの言葉の派生を作ったのではないだろうか。その言葉はその土地と風景に根付いてきたものなのだろう。ビルに囲まれた都会には、通じるという目的につくられた「標準語」とやらが一番似合っているのだろう。

 弁天島から1時間ほど漕ぐと黒島が見えた。15:00に上陸。夏休みの最後の日にあたるこの日、10人程度のキャンパーがここでテントを張っていた。カヤックでなくても夏休みのシーズンには渡し舟が出るのである。
 以前、長崎の黒島について書いたことがあるが、ここはそれとはもちろん別の島。無人島である。ちなみに島嶼大辞典(日外アソシエーツ刊)によると、黒島と名の付く島は実に67個に及ぶ。この黒島は天草諸島に属し、御所浦町の一部を成す。面積は0.04平方キロしかないが、井戸があり、飲用は出来ないものの真水で体をながすことができるのだ。住民はにわとり(食べていいかどうかは知りません)。キャンプ場は島の北端に位置し、平坦な草地となっている。夏以外ならばどこにテントを張るのも自由という。
簡易トイレもあればしっかりした東屋もあり、初心者でも安心してキャンプができる。
あくまでも夏のシーズン以外だが。
 シーカヤッキングのあとは海水浴場でひと泳ぎ。そして井戸水を頭からかぶって潮をさぱりと洗い落とし、夕方の宴会へとつきすすんでいくのであった。ここはちょうど西側に山があるので夕焼けは見えないが、逆に冬場の西風はこれのおかげで防いでくれる。さらに秋から冬にかけては小ぶりながらも牡蠣がとれるそうである。
 日が落ちて闇が深くなると、満点の星空となった。海の向こうの島々にはポツポツと町の明かりがかすんで浮かび、空には天の川が渡っていた。

(データは全て取材時のもの:初出「カヌーライフ」1997秋15号)

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

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