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長崎県・五島列島中通島 その一

May. 1997 アイランド・シーカヤッキング

東京から日本の西半分の高速をすべて乗り継ぎ、愛艇「建都」号をカートップした愛車「ブルーヒポポタマス」号は、24時間をかけて長崎に到着した。しかし、長崎は今日も雨だアった~。というわけでこの地に来るときはいつも天気が悪いのである。 長崎シーカヌークラブKOPPAの計らいで、長崎港でシーカヤックを預け、我々は益々激しさをます雨に、祈りにちかい眼差しを投げかけながら、フェリーに乗り込んだ。

今回のメンバーは、地元長崎のシーカヌークラブ「KOPPA」の松島さん、整体師である森田さん、親子でシーカヤッキングを楽しんでいるという山道さん、リーダー的存在の池田さん、そしてボクとカミさんの六名だ。まだ「シーカヤック」なる言葉が普及する前は、シーカヌーと呼ぶ人が多かった。かの尺取り虫方式で日本一周を続けている、吉岡嶺二氏もシーカヌーと言っている。この北九州はフィールドに恵まれていると言うこともあったが、太古よりの対外貿易の拠点であったという新進の気性だろうか。日本でもかなり早くからシーカヤックを楽しむ人が多かったようだ。

長崎県・五島列島中通島 その一:イメージ1

五島列島は大小約190の島々からなる。今回訪れる中通島は、奈留島、若松島とともに上五島というグループにくくられる。古くはチカシマ(知詞島、値賀島)と呼んだが、平安時代末期のころより、大陸からわたってくる中国人に五峰、五島と呼ばれるようになったのがその名の由来と言われる。大陸に近いおかげで、遣唐使の寄港地や倭寇の基地ともなり、またキリスト教の弾圧によって、九州から逃れてきたキリシタンが住み着き、隠れキリシタンの島としても知られている。近代になり宗教的弾圧がなくなり、各地に天主堂や教会が建てられるに至った。

長崎県・五島列島中通島 その一:イメージ2

地形図を見る限りにおいて入り組んだ海岸線は、シーカヤッカーにとって誠に魅力的なものである。当初は島々を漕いでわたっていこうという計画を立てていた。ところが情報収集の段になって、海図を眺めていたら、とある瀬戸に書いてあったのは、最大潮流8ノットという絶望的な数値であったのだ。そして長崎のカヌークラブのメンバーが、身近な五島列島出身者から情報をもらうと、曰わく「やめた方がいい」「漁船だって流される」。誰一人として了解する者はいない。時間をかけて調査し、慎重にコースをとっていけば行けないこともないと思うが、とにかく初めてのアプローチとなる海であり島である。慎重を期し、一つの島に絞って訪れることにした。

五島列島というと、一般には南端に位置する福江島が有名であるが、シーカヤッキングにはいささか開発され、俗化しすぎた。そこで中通島を選んだのである。山岳がつながり、山林原野が9割を占める厳しい地形なのだが、約3万人の住民がおり、その約半数は漁業に従事する。そして、集落の中心には教会があり、今も生活の中心として、そして心の拠り所となっているという。

フェリーの中では海図と地形図を広げて、作戦会議を開く。「今回は奈良尾港から鯛ノ浦まで行きたいね」「すべては海次第だよなあ」「やはり瀬戸をわたるのは半端じゃないな」「いつかはわたってみたいね」などなど・・・。ルートの確認はするが、実際に海に出たら臨機応変に状況に対応しなければならない。

長崎港から約五時間の航海を終え、フェリーは中通島は奈良尾港に到着した。めいめいザックや防水バックをかついで船から下りると、艇が出てくるのを待った。しかし、空はまだ雲が重くのしかかっている。予報では回復する見込みだが、五月とはいえ水温はまだ低い。これで気温が上がらないと、何ともつらい旅となりそうだ。しばらくするとトラックに乗せられて愛艇がおりてきた。そしてその荷をほどく。

シーカヤックを海に降ろすためには、スロープを探さなければならない。「奥の方になるよなあ」「引っ張っていくカア」などと話していたら、イカリヤ長介にそっくりな作業員がぶっきらぼうに声をかけてきた。おそらく作業員のボスだろう。「オウ、それで降ろしてやるからのっけろや」指したその先にあるのは、なんとフェリーに車を載せるための桟橋だ。これなのだ。九州に来て、海に暮らす男達から嫌がらせを受けたことなど一回もない。ボクはシーカヤッキングはシーカヤックという道具を使った「旅」だと思っている。人を寄せ付けないような厳しい自然の中に身をおくのもいいが、それだけでは精神的にまいってしまう。最もそんな厳しいところののみを渡り歩く技術もないけど。旅というものはその土地よりも、よほど人嫌いでもない限りそこに暮らす人々との出あいや思い出が、その旅の善し悪しを決定づけるものだと思っている。

島、それも特に海にその生活を依存している、文化は海からやって来た。良くも悪くも。人力でやってくる得体の知れないものに対して、警戒よりも好意で受け入れてくれることが多いように思うのである。

九州をシーカヤックで旅すると、漁港で必ず問われる。「そんなちっこい船でひっくりかえらねえか」否定的な質問の中に、明らかにその目は好奇心で満ちているのだ。また、こんな話も聞いたことがある。この長崎シーカヌークラブの人たちが、平戸から五島列島へわたろうと、ある港で準備をしていた。すると一人の漁師がそんな彼らに決まりきった質問をしてきたが、するとあれよあれよという間に、人が集まってきた。その中で一人の漁師が「遭難したらワシらが捜索に行かなきゃならん、向こうについたらそこの漁協から連絡をよこせ。いいか、絶対によこせよ」しつこく何度も念を押され、電話番号を握らされた。しかし例によって表向きは厳しいが、ガンバレといっているようだったという。そして、村中の人が総出で出発を見送ってくれたというのだ。

そんな話を聞くと海で暮らす、つまり海を生活の糧としている人々と、そこで遊ぶ人々がとてもいい関係なのだろう。「ただし」それは今までのこと。これからもそんな関係を続けていくためには、シーカヤッカーのマナーが問われていくことになるのだろう。そして海の新参者、シーカヤッキングというものは何なのか、わかってももらう努力も必要だろう。その一つに地元の人々と協力して、シーカヤックの競技やシンポジウムを開催するという試みも行われている。

長崎県・五島列島中通島 その一:イメージ3

さて、話を元に戻そう。艇を桟橋の先端に置き、パッキングしたあと、カヤックに乗り込む。「準備いいカア」というかけ声の後、ブルーに塗られた鉄橋がガクンと下がり、先端が水面につくとカヤックが浮き上がった。オオ!気分はまさにサンダーバード4号、ゴードントレーシーだ。チャッチャカチャ~ン。頭に響くテーマ曲。

今日は秘境探険のイントロとして、まずこの奈良尾港より4kmほど北にある高井旅に舳先をむけた。いよいよ五島列島の海に漕ぎ出す。空は相変わらず今にも泣き出しそうな気配。しかし新しい海に漕ぎ出すとき、気分は不思議と高揚する。ここの海は重い灰色の空を写しながらも、しかし深みのある青色を見せている。日本の海はどこも微妙に色合いが違う。しかしこのビジュアルを表現するには、言葉の数が少なすぎるのである。かの敬愛する開高健氏もその著書で、未だこの海の色を表現しきれたものはいない、と断言されている。デジタル的に考えても画像とテキストじゃア、必要とするメモリー数が全然違うもんね。

海水の温度はまだ低い。実はこの五月はシーカヤッカーにとって非常に危険な時期であるのだ。日ざしが強くなり気温が上昇するため、つい薄着で海に出てしまうが、実は海はまだ冷たく、天気も変わりやすい。もしひっくり返ってしまったら、予想以上に早くハイポサーミアとなってしまうのである。

長崎県・五島列島中通島 その一:イメージ4

小一時間ほどで、高井旅の浜に近づいた。高井旅は毎年六月に行われるトライアスロン大会の会場となっている美しい浜だ。少々大きな波が浜に寄せている。サーフィンには格好の波だ。しかし荷物を積み重くなったカヤックでのサーフィンには少々リスクが大きい。

波のブレイクポイントの手前でタイミングをとる。嵐の時などは別にして、波はいつも同じ大きさで打ち寄せるわけではなく、何回かに一回の割合で小さな波が来るときがある。(逆に小さな波が続いているときに、やはり何回かに一度大きな波が来ることもある)慎重に波のタイミングを見計らい、波のトップをやり過ごした後、パドルを垂直に立てて深く前方の水面をとらえ、体をひねりつつ一気にシャフトを後方へ持っていく。重いタンデムのシーカヤックは鈍くも強くその波の背に乗り、一気に浜に乗り上げた。

今日はここで一泊、やっと東京からの長旅の疲れをいやすことができる。スピリッツも程々に倒れるように眠りについた。

長崎県・五島列島中通島 その一:map

長崎県・五島列島中通島 その二

May. 1997 長崎県・五島列島中通島 その二

翌日朝7:00、高井旅の浜をでた我々は、進路を東に取り漕ぎ出した。約30分ほどでいくつかの屋根が山あいに見えてきた。福見の集落である。波はまだ高い。慎重に堤防の切れ目から進入する。少し丘を登ったところに、重厚な赤いレンガ造りの教会が目に入った。この村の信仰の中心であり生活の中心である福見教会だ。教会の解説を読むと、ここの住民の実に98%がキリスト教信者という。海を臨む丘の一角に立てられたこの教会は、こじんまりとしてはいるが、その存在感は圧倒的だ。

入り口からそうっと中を覗く、シンと静まり返っている。すでに礼拝は終わったのだろうか。靴を脱いで中にはいる。そうそう、当然だが怪しげなカヤッキングウェアではない。これは最低限の礼節である。目が慣れてくるに従って、白い漆喰と深いブラウンの柱や椅子がはっきりとその輪郭を現してきた。そしてその暗に人為的に、色をつけられた光の帯が差し込んでいる。

誰もいないがつい先ほどまで人がいたのだろう、人のぬくもりが残されているようだ。それとも長年にわたって使われてきた、木々にしみこんだ人の祈りだろうか。今も毎日礼拝が行われているという。ステンドグラス一枚一枚に念入りに通された、その光の筋は厳にして粛。しかしそれは決して強要されたものではないのである。

正面にはマリア様が遠慮がちにしかし、優しさをもって我々を見つめる。その両側に天使を描いたステンドグラス。

しばし沈黙する。

長崎県・五島列島中通島 その二:イメージ1

ふと後ろを振り返ると、入り口の扉の上にはめ込まれたステンドグラスの絵は、昔歴史の教科書で見た、フランシスコ・ザビエル師その人であった。あの教科書の絵をそのままに、美しいステンドグラスとなってよみがえってきた。ふと、教科書の偉人達にイタズラ書きをしてしまったことに罪悪感を覚える。

教会から外に出る。外は初夏の日射し。鳥の声、草が風に揺れる音。暖かく、何もかも優しく包まれる季節である。一つの草花にてんとう虫がとまっている。黄色、赤、黒。ここでは色はくすまない。

様々な思いを後に福見を出発する。ボクははっきり言って宗教自体には興味はない。それよりも訪れた教会、そして各地の仏像や寺院など、その宗教の中に個を埋没させ、それを作り出した人間のエネルギーに感動する。

ただ海に出ると、遥か原始的な宗教であるアミニズムというものが生まれた理由というのがわかる気がするのである。風の神様、波の神様、そして太陽の神様。海に出ている期間が長くなるほど、それを強く感じていく。

さらに北上、コースト沿いに進んでいく。次第に地形は厳しくなり、見事な断崖となった。100mは越えているだろう。地球の歴史を目で確認できる、見事な地層を見せている。遥か上には森が茂っている。この島は第三紀、つまり恐竜が栄えた中生代の火成岩や熱変成岩で生成されている火山の島なのである。ランフォリンクスが森から舞い降りたとしても、違和感はないだろう。

厳しくなる地形に合わせるように、海の表情も険しくなってきた。福見鼻を回り込むと風は激しく背中にあたる。風は波を造り、そしてうねりも加わった。福見でゆっくりしすぎたのか、下げ潮に変わったようだ。パドルでつかむ水の固まりが重い。そう、これでこそ異国の海というものだ。あまりに簡単に漕ぎきれるようではつまらないではないか。かといって危険を喜ぶ柄ではない。

波、風、うねりと戦いつつ網代鼻を回り込むと、ウソのように海面は静かになった。風も遮られると太陽の暖かさを感じる。耳にはパドルが水面を割る音だけが入ってくる。

厳しい自然の為だろう、深い湾の奥に集落が存在する。漁港の入り口にあるスロープに艇を引き上げる。ここには、五島唯一の瀑布、芦山(ろざん)の滝がある。もうつり時はすぎたのだろう、今まさに引き上げようとしている釣り人を捕まえて場所を聞く。一人の釣り人が「こいつに案内させるから」といって少年の肩に手をおいた。「よろしくねえ」少年ははにかみながら頭を下げた。そして自転車に飛び乗ると、我々の先頭に立った。「よく釣りに来るのか?」少年は笑うだけで何も答えることはなかったが、自分だって昔は内向的で(これホント)、とても見ず知らずの人と話なんかできなかったよなあ。と思い出す。

山に追いつめられた少ない平地を最大限利用した、島の集落独特の曲がりくねった小道を進んでいく。「ここからはいって行けばいいよ」というようなことをいったかと思うと、自転車をひるがえして、あっという間に我々の前から消えてしまった。急ではあるが、きれいに舗装してある道を登っていく。またまた何か秘境探険とは言い難いよなあと思いつつ。上からおじいさんやおばあさん、子供達までおりてくる。どうも生活道のようだ。五島唯一の瀑布はあまりにあっけなく我々の前に姿を現した。こういう場合、間の持たせ方に非常に困ってしまうのだ。「滝ですね」「そうですね」「今日は水が多いようですね」・・・ふと海の方を見る。険しい山が迫る谷の集落の向こうに、海が光っていた。

長崎県・五島列島中通島 その二:イメージ2

漁港に戻り、松島さんが船の整備をしている漁師さんに、これからの天気を訪ねた。横で聞いていたのだが、正直な話、ボクには八割がた言っている意味が分からなかった。「午後から風が強くなりそうだとのことです」とのことである。空は青く風は静かだ。しかし海のプロ、しかもこの土地は初めてのボクらがそれに疑いを持つ余地はなかった。こんな時にその土地の言葉が話せたらどんなにいいだろうと思うのである。日本は一つではないのである。そして一つにする必要などないのである。標準語、いや東京弁と言った方がいいだろう、がいかに味気ないものであるか思い知るだろう。リズムが違うのである。そのおかげで大体熊本では真珠をもらいそこねたのであった。

岩瀬浦をでると、断崖の様相が一変した。一枚岩の勇壮な崖が続く。岩と岩の間からは水がしみ出している。森が豊かな島は水も豊かである。潮が速いのだろう。ビシャゴ鼻からあたりから海水に透明度が増し、南国の海に近い色となっていった。艇の影が海底に写る。魚が勢いよく岩陰に隠れる。シーカヤッキングの醍醐味の一つ、浮遊感を味わう。

長崎県・五島列島中通島 その二:イメージ3

ビシャゴ鼻を回り込むと、その厳しい風景に似合わぬ白い華奢な像が目に入ってきた。マリア像だ。これが五島の海の神なのであろう。厳しい海に出ていった海の男達を、その優しい眼差しで守っているのだろう。そういえば、熊本は天草では、どの港の堤防にも恵比須様が鎮座し、あまつさえふるさと創生資金1億円を投じて造った大(バカ)恵比須像まであるのだ。静かな天草の海は、まず遭難することなどないだろう、大漁が第一義の海では、豊饒の神様が祭られるのは当然か。それぞれの海にそれぞれの神様がいて、そこで暮らす人々を見守っている。

マリア像をすぎて商人鼻へ向かう。この島では海に突き出た突端を「鼻」と呼んでいる。鼻の先の海はどこもざわめきたっており、潮流があることを感じさせた。この商人鼻は砂岩質の岩が、厳しい気象によって削り取られ、ワシ鼻のような造形を作り出している。それこそ南蛮からやってきた商人の鼻のように見えたのだろう。そのころよりは多少高さが低くなっているかも知れないが。

長崎県・五島列島中通島 その二:イメージ4

商人鼻を回り込むと、湾の奥に十字架が目に入った。ゆっくりと艇を進める。鳥の声が水面を渡ってくる。食事にしよう。スロープにカヤックを引き上げる。岩瀬浦の漁師の話の通り午後から風が出るのであれば、ここを終着として戻らなければならない。食事をしながらメンバーと相談し、ここで旅を終わることにし、またいつか訪れるであろう口実とすることとした。

初夏の太陽で暖まったスロープに寝っころがると、視界に入った漁船には「聖丸」と書かれていた。

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろ いろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭 和41年生まれ、東京都在住。


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