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伊豆三島スーパースパカヤッキング(前編)

Aug. 1995 アイランド・シーカヤッキング

今回のIsland Hoppingは、首都圏からもなじみの島々である伊豆諸島だ。地図を広げてみると、比較的距離が近い神津島、式根島、新島という三つの島が目に入る。さらに伊豆半島は下田からこの島への定期航路である神新汽船は、なんとカヤックも運んでくれるのだ。これは行くしかあるまい。

平成元年、その年結成したばかりの「関東シーカヤッククラブ」のメンバーと行った初の本格的島渡り遠征と言えるカヤッキングであった。

しかし!黒潮がぶつかるこれらの海の状況は、決してシーカヤッキングに適しているとは言えない。さらに日々変化しているこの海を横断することは、皆さんに勧められるわけではない。僕自身もこの当時のこの横断は、自分なりには調べて来たものの、センパイである鈴木俊太郎さんや佐藤潤二さんの力に負うところも大きい。つまり正直なところある意味恐いもの知らずであったところもあることは否めない。

さらに実はこの時、独断専行して我々の視界から消えたあるメンバーがいる。再三にわたる注意も効果無く、その後致し方なくそのメンバーをクラブから追放したわけだが、その後、案の定、遭難未遂事件(たまたま運良く見つかったに過ぎない)を起こしたようである。ただ楽しいだけではなく、海象の厳しい海を漕ぐ場合の、チームとしての行動を深く考えさせられたツーリングであった。

この時の様子は「カヌーライフ」誌6号、カヌーライフ増刊「カヌーで旅する本」に掲載されている。文はそのオリジナルとなっているもので、なんとも恥ずかしいレベルなのだが、我慢してくださいまし。

平成12年7月15日、このあたりを強い地震が襲った。しかし現在は普段の海と島をとりもどしている。この当時はキャンプをしながら、という形をとったが、それぞれの島で宿でゆっくりしながらという旅も面白いと思うし、次僕がやるとしたらそうするつもりなのです。


 <95年執筆>

「シーカヤックで島々を渡ってみたい」

伊豆三島スーパースパカヤッキング(前編):イメージ1

多少シーカヤッキングをかじった人ならば、その無限の可能性に気づき、コースタルツーリングから大海原に出て行きたいと思い始めるだろう。そしてキャンプ道具を積んでの島から島への旅ガラス。しかし、瀬戸内海ならいざ知らず、この関東圏にそんなことができるところはあるのだろうか。それも7、8時間も漕がねばならないようなハードなものではなく、かといって30分も漕げばはい到着というものでもなく、さらに美しい海で、島は適当な大きさがあって、自然が豊富で、海の幸がうまく、キャンプにも困らないところ。そのうえ、旅の疲れを温泉で癒せ、海が荒れたら早々に船でひきあげられる所、と、ことさらかように日程と予算が限られたサラリーマンカヤッカーは条件にうるさいのであった。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(前編):イメージ2

「ウーム」腕組みして関東付近の地図をにらみつける。かの南アメリカの東海岸と、アフリカ大陸の西側が割ったような形であることを発見して、大陸移動説を唱えたウェゲナーのように。すると、あった、あった、ありましたよ。神津島、式根島、新島がひとつのラインとなって浮かび上がった。ここであれば先にあげた条件をバッチリ満たすではないか。それに下田から出ている神新汽船ならカヤックも運んでくれるのだ。

早速関東シーカヤッククラブのメンバーに声をかける。応えたのは佐藤潤二氏、鈴木俊太郎氏、その奥方道代ちゃん、そしてこの私。(実はこの当時このクラブの会長を名乗るものもいたのだが、本文からは削除しています)

伊豆三島スーパースパカヤッキング(前編):イメージ3

もう晩夏となる8月25日、前日の夜のうちに下田港の駐車場に車を入れた。神新汽船は前述したようにカヤックを運んでくれるが(95年当時)、一応事前に連絡を入れた。「カヌーを五艇お願いします」というのだ。シーカヤックという言葉はまだ馴染まれていないようなのだ。片道1600円也で五m超のシーカヤックを載せてくれる(95年当時)。係りの人にその旨を伝えれば、向こうも慣れたもの。指示に従えばよい。そこで、加藤隆司、塩島敏明両氏率いるカトーカヌーイングスクールのご一行とご一緒することとなった。我々の分も含め、十数艇のシーカヤックがデッキに並べられたのである。

船は定刻、九時二十分に出発。式根島で加藤さんら一行とわかれ、我々は神津島に向かう。船は次第にピッチングが強くなり始めた。「うーむ、この船でこれだけ揺れるのに、シーカヤックで本当に渡れるのだろうか」不安がよぎる。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(前編):イメージ4

十三時二十分、神津島に到着した。太陽が真上からコンクリートの桟橋に、これでもかこれでもかと光線の圧力をかけている。上陸と同時に噴出す汗。手早く艇を降ろすと、船は下田に向かって去っていった。ハッチからスターンカートを取り出し、防水バックに詰め込んだ荷物をコックピットに放り込むと、ゴロゴロと港の付け根にある漁港に向かってシーカヤックを引っ張っていった。港での移動が多いのでこのカートがあるのと非常に重宝する。しかし、海に入る前から既に汗まみれだ。全員スロープに到着したときにはもう腹が減って死にそうだ。せっかく来たのだから、ここでこその食べ物で前途を祝したい。「よし!島寿司を食べに行こう!」先日、伊豆諸島エクスペディションにのぞむため、僕らに先立って島に入り、ほとんど一時的住民になっていた鈴木俊太郎氏に連れられて、くねくねと細い道を入っていった。島は港からすぐ上昇歩行となるのである。軒が連なる白く狭い道、人は少なく、木陰との強烈なコントラストをつくっている。駐車場の車は、全て窓を開け放している。ここには泥棒などというのはいないのだろうか。振り向けば海が太陽の光をいくつも受け止めて輝いている。島のけだるい夏の午後。

我々が目指した「美家古寿司」は準備中だった。引き戸を開けて何時から開けるのかと聞くと、三時には始めるから、と言われたので、先に買い物を済ます。これから行く島はどれも観光地。非常食は十分に揃えるが、キャンプでの食料は最低限でいい。買い物のあと、寿司屋で念願の前「昼」まつり。とにかくビールで乾杯。汗でからからのなった身体の隅々までビールがしみこんでいくようだ。我々はしばし自動寿司食い&ビール流し込み機と化した。これを永遠に続けていきたかったのだが、持ち前の強靭な意志で抑えて(単にお金がなかっただけだが)、港に戻ってきたときにはすでに日が傾きかけていた。しかし本日の野営予定地はここから北1kmにある沢尻湾だ。式根島への横断のためには、北端にある返浜もいいが、もし荒れたら身動きがとれなくなるのである。準備を済ませると我々は神津島からの第一歩、海へ滑り出した。

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(中編)

Aug. 1995 アイランド・シーカヤッキング

港から漕ぎ出して約15分、港に入って驚いた。白亜の建物がどでんと建っている。リゾートマンション?後で聞けば、今はもう主もいないという。バブルの醜い遺物、ただの自然破壊。

各自ねぐらを設置すると、温泉の用意だ。今回の旅の主目的の一つである。目的地はここから歩いて15分ほどのところにある神津島温泉センターである。いわゆる温泉リゾート施設とやらで、海を臨める露天風呂に、サウナや気泡湯などのある内湯がある。(一時閉鎖されたが、現在は再開されている大人800円)

汗を流すと我々は明日に備えて早々に寝床についた。このときのメンバーに酒呑みがいないことが幸いだったのか、それとも固い意思のメンバーが揃っていたのかはわからない。

翌八月二十六日、いよいよ式根島に渡るのだ。ここから式根島までは約10kmだが、今日は大潮、南西の風やや強く、条件的には決していいとは言えない。横断を三時間と読み、航程の中央で潮どまりになる様に計算し、九時二十分に出艇した。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(中編):イメージ1

湾を出ると岸づたいに北上する。適度な追い風と追い波になり、速度は10kmに達した。だがさすが太平洋は黒潮沿いに浮かぶ島、うねりは大きく重い。天上山を見上げると厚く雲がかかっている。風が強くなりそうだ。九時五十分、島の北端である赤崎に達した。順調である。天候明朗なれど波高し。潮は島の間を西から東、つまり左舷から右舷へと57度の方向で流れている。進路は真北、0度に定めた。このあたりのナビゲーションについては「海峡野郎」と異名をとった鈴木俊太郎氏がメインに行った。沖に出るに従い風が強くなってくる。式根島は順光のため、やけに近く見える。やがてウネリはすぐ10m横を漕いでいる仲間の姿を隠すまでになっていった。

水に濡れたパドルの光だけが真夏の陽光を反射させる。この季節帽子は必携である。このときは実用一点張りの麦藁帽子を使用したが、とても具合が良かった。首筋が焼けないように後ろ側に布が垂れ下がるタイプのキャップは、追い風になると汗をかいた首筋に、あとわりついて、ひじょうにうっとうしかったのを覚えている。

海はまさに群青、ネイビーブルー。大海の色だ。しかも透明感があり、吸い込まれそうになる。ついに波頭が崩れ始める。波の進む方向と、進路がずれているために左後方より波をかぶることになる。

十時三十分、ほぼ中間地点。ここまできたら式根島まで渡るしかない。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(中編):イメージ2

その時横から「しまった!」という声。佐藤氏が波のブレイクに飲み込まれるがリバーで鍛えた腕でリカバリーする。スプレースカートとライフジャケットの間から海水が浸入したといってよって来る。僕の艇を組んで排水する。道代ちゃんの方はうねりに翻弄されているのがわかる。しかも艇はお世辞にも速く安定性があるとはいいにくいもの。僕の艇は平目のようなうすべったい故、圧倒的な安定性の高さがあるが、フィッシュフォームゆえのスターン側の浮力の少なさで、追い波では半潜水状態になっているという。パドリングする拳は水面に消える(どう考えても体重と不釣合いなようなので、この後艇を替えることになるのだが)。

心情的にはどうしても舳先をビシっと式根島に向けたいところなのだが、それではどんどん東に流されていってしまうのだ。たかが10kmと侮るなかれ。ここは太平洋なのだ。流されて生きているうちにつくところはありゃしない。なんとか二時の方向に島を捉えつつ漕ぎ進む。その時後ろからエンジン音が聞こえてきた。振り返れど寄せてくるのは波の壁。しかし漕ぐのを止めるわけにはいかない。四艇の間を狭める。向こうも確認しにくいだろうし、レーダーにだって映らないだろう。第一こんなところを木の葉みたいにゆられる船がいるなんて誰が考えようか。早く気づいてくれえ。心の中で叫ぶ。うねりの頂点に来たとき、振り返ると、見えた!舳先には人が乗っている。見つけてくれるチャンスは大きいかもしれない。約5分後、左舷100mほどを漁船が追い抜いていった。「物好きな」という顔、「だいじょうぶかね」という顔。僕は笑顔で返事した(と思う)。

十二時、島はもうすぐそこまで迫っていた。式根島と新島が重なって見える。新島はその岩肌を銀色に輝かせ、式根島のそれとははっきりと見分けられる。幸運なことにうねりはだいぶ弱まってきた。それにしても所々ベタッとセロファンを貼ったようなところがあったり、ボイルしているようなところがある。気をつけないとパドルをとられる。海底の地形が複雑なのだろう。

十三時二十分、ついに式根島は御釜湾に入り込んだ。予定通りだ。神津島を見返してみれば、天上山にさらなる雲をいただき、神々しく光の海にシルエットとなって浮かび上がっていた。

「あそこから漕いだのか」「そうだな」「戻れないよね」「のどが渇いたな」「腹も減ったよね」「こんにゃくゼリーがあるよ」「うめえな」「なんかこうしてみるとあっというまだね」「つらかったけど面白かったね」単語か単文での会話が交わされ、しばらくエメラルドグリーンの海でそれぞれの感慨にふけった。僕らにとっては短い夏休みでの十分なエクスペディションなのだ。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(中編):イメージ3

ここは海中温泉が沸いているというが、どこだかわからない。それではと、汗を流しに行こうかいと地鉈温泉に向かう。この辺りは切り立った岩と、入り組んだ断崖が続き「式根松島」と呼ばれる。地形図とにらめっこしながらたどり着くことができた。入り口の岩肌は茶色く変色しているのでわかる。ここは「るるぶ」風に言えば、含鉄強食塩温泉にて神経痛、リュウマチ、婦人病、痔病、胃腸病に効くという。とりあえず僕的には神経痛と胃腸病の効用を期待しよう。ここはまさに「カヤックで行く温泉」である。満潮ならば水没するというから、カヤックごと入れてしまうのではないだろうか(そんなことはしないでね)。岩が切り立っていて艇をあげるのに苦労したが、その茶色ににごった、ぬるめの湯船に疲れた身体をひたし、空を見上げれば突き抜けるブルー。木々のグリーン。岩肌のグレー。目の保養とはこういうことを言うのではないだろうか。どの色も美しく、自らを主張しつつもけんかしているわけではない。都会でいつもくすんだ色しか見られないことを哀しく思う。我々で占領していると、山を越えて一組の初老の夫婦が降りてきた。歩くと大変なところなのである。さて、そろそろ行くとしよう。艇をふとみると・・・え?流されかけている!上潮の中で艇をあげたので艇のところまで海面が上がってきたのだ。なんという初歩的ミス!海にはいって乗り込んだ。せっかく温泉に入ったというのに。

さて、次はもうひとつの水没温泉、足付温泉に向かう。温泉の横が漁港になっており、スロープに艇をあげる。漁船の邪魔にならないように上の方までひきあげる。

身体は若干ふやけつつある感があるが、とにもかくにも温泉は今回の大きな目的の一つだ。双方の温泉とも石鹸で身体を洗うことはできない。足付の方には水シャワーがあるが、潮を落とす程度である。ぬるい湯は心をリラックスさせる。とりあえず難しいことはどうでもいいや、とりあえず今幸せだもんナア、と身体的な疲れも手伝い脳をボケボケにしてしまう。

遅い昼飯を島の食堂でかきこんだ。この島の大きさはシーカヤックで遊ぶにはちょうどいいように思う。高い山もなく、三十分くらい歩くと反対側に出ることが出来る。食堂もあるし、酒屋もある。あるみやげもの屋の軒先で猫が二匹、気持ちよさそうに昼寝している。いつかここにしばらくとどまって見ようか。

式根島には島の北側、大浦というところに一箇所のみがキャンプ場となっている。山の斜面がサイトになっており、夏休みということもあって大盛況だ。その場所は昼間はすごく暑いですよ、と言われた一画しかあいていなかった。上の方まで行けばあるのかも知れないが、寝る場所さえ確保できればいいのだ。

今日も遊びつかれて早々に寝てしまった。

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(後編)

Aug. 1995 アイランド・シーカヤッキング

今日はいよいよ最後の島、新島に渡る。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(後編):イメージ1

キャンプでは案の定うだる暑さで目を覚ました。鈴木夫妻は帰途に着く。今日は佐藤氏と、そして独断専行した一名に厳しく注意をして三名で渡ることになる。式根島はもとはと言えば新島とつながっていたのだ。それが1703年に大地震と津波により、平地が海に没した。よって式根島、新島の間の海は浅く、潮が流れている間は機走可能なヨットでさえ渡らないと聞いた。昨日大浦に来るまでに見たそれはまるで川のようであった。やはり潮どまりを狙う。漕行を二時間と予測、十時三十分に出発した。最初、野生のカニクイサルやヤギが住むという地内島という無人島に渡ろうともくろむが、湾から出たとたん、すさまじい西風がぶちあたってきた。不規則なウネリにもちあげられ、底にすべり落とされる。地内島に渡るのは早々にあきらめ、島の陰に回りこんで新島との最短コースを選ぶ。多少苦労はしたものの、大過なく新島に近づいた。鼻戸崎が強い西風にふかれて、岩肌が白くけぶっている。青い海に白い島。エーゲ海とでも表現すればいいだろうか。北上するとそこにはパルテノン神殿が?と、それは神殿を模した湯の浜海岸露天温泉であった。

いくつもの顔がこちらを見ているようだ。近づこうと思ったが、岸沿いはかなり荒れており、あきらめた方がよさそうだ。するといきなりパドルが重くなり、艇速が鈍る。潮の流れが複雑に絡んでいるようだ。やっとのことで堤防をまわりこむと、そこはエメラルドグリーンとマリンブルーと白い砂浜が。どうだ美しいだろう!と我々を待ち構えていた。美しい美しいと納得しつつ、十二時三十分にゴール。なぜだか水はとても冷たく感じ、海の中を覗いてみても魚は見当たらなかった。美しさのみが売りなのか。

本日は民宿に泊まることにする。艇を引き上げ、帰りの便にカヌーを積み込む予約をしようと汽船の窓口に佐藤氏が向かった。こういうところでは船が来る時刻以外、窓口は閉じられているようなので、まあゆっくりと待つことにした。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(後編):イメージ2

ようやく開いた窓口のお姉さんに、カヤックのことを話した佐藤氏はこう言われた。「そんなものは載せられないし、載せたこともありません」おいおい、俺たちはどうやってきたんだよ。「しかし、来るときに載せてきたんですよ」「(何もいえないお姉さん)」ちゃんと調べてから話して欲しいね。そして、裏の空き地の隅にカヤックを一晩置いて欲しいと話すと「そんなもの置かれても責任もてませんから!」とかなりヒステリックに言われた。別に責任持ってくれなんていっていないし、置けないのであればその旨を話してくれば済むことだ。とりあえず置けることになったのだが、あとでどうやって調べたのか宿のほうにも「責任もてませんから」という電話が入ってきたそうである。なんだかがっくりきてしまった。(95年当時の話。今は少しは変わっているだろうか)

港のみやげ物屋で「オススメ民宿」をきく。教えてくれた宿に電話すると、もうシーズンも終わりなのだろう。あっさりと予約OKだ。

さて、そしてやはり最終目的の温泉に行く。その名もパルテノン湯の浜海岸露天温泉である。無料の上、日曜とあって観光客でいっぱい。観光バスまで横付けされている。あるオバさんが(水着着用の混浴なのだ)「そう、カヌーできたのー。でも見えるもんねー。楽よねー」と言ってくれる。はいはい。見えますね。

ここはあまりにも人工的で観光的で好きになれなかった。24時間営業とのことなので、よなかに一人で入ったらそれなりに面白いかもしれないけど。とりあえずこれで目的は達成した。明日にはもう帰路に着く。

伊豆三島スーパースパカヤッキング(後編):イメージ3

その夜、あまりに「責任もたん」とうるさかったので、散歩がてら港まで歩いて見ることにした。その帰り偶然、宿の主が車で通りかかったので乗せてもらった。齢60を超えていると言うがとてもそうは見えない。今は大工をしているが、50年は海に潜り、魚をついてきたと言う。ゴマシオ頭に少々太った体格だが、鍛え上げられていることは一目でわかる。「俺も夜中に海が荒れるとヨオ、よく船を見に行ったもんだ。お前も本当に海が好きなんだな」海が荒れたから、ではないのだが、僕は少し照れた。ある違う港で、漁師さんに「そんな小船でよく海に出る気になるな。俺は漁以外で海になんか出たくねえよ」と言っていたことを思い出す。そのことを話すと、「そいつはホンモノの漁師じゃねえよ」とはき捨てるように言った。「漁師はな、海が好きなんだ。いつでも、どんなときでもヨ。俺ももう少し若ければカヌーってやつにも乗って見てえな」と言う。年なんて関係ないと話した。「利島もそいつで行けるのか」いつかは漕いでわたってみたい。それは今(2001年)もそう思い続けている。

翌日、もう風が強くなり秋がそこまできている新島をあとにした。

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

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