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パドリングレポート:トップページ1995年08月 »

沖島・琵琶湖に浮かぶ歴史の島

Jun. 1995 アイランド・シーカヤッキング

島が好きである。誰もいない無人島に攻め込んでいって征服欲を満たすのもよいが、そこの島でしかありえない生活にそっと触れさせてもらうのも大好きである。もちろん人力水上移動体、シ-カヤックで。

陸からの距離が遠く不便である(あくまでも哀しき都会人にとってということであるが)所ほど独特の世界をもっているものであるが、ここに観光地のど真ん中に浮かび、多くの人が住みながらも昔からの色を濃く残し、湖の恩恵を大きく受けて生きている島がある。琵琶湖最大の島、沖島(おきのしま)である。毎年、梅雨と共に開催される琵琶湖シーカヤックマラソンに出場するのに合わせこの島を訪ねてみることにした。

沖島にいくにあたり、東京にある滋賀県の観光協会を訪ねてみたが資料はなく、近江八幡市の観光協会に聞いてみてくれという。そこで琵琶湖に拠点を持つ関西シーカヤッククラブ代表の長谷川氏に相談したところ、琵琶湖マラソンの打ち合せに沖島を訪ねるというので資料を送っていただくことにした。宿に頼めば船で迎えに来てくれるというのだが、シーカヤックで行きますよと答え、東京を後にした。

近江八幡国民休暇村に着いたのはもう夕刻といえる時間であった。国民休暇村の前は駐車場と砂浜があり楽に艇を出すことができる。目の前には大きく沖島が横たわっている。ここから約 3.5kmの距離だ。その間に2艇のカヤックが遊んでいる。どこかで見た顔だ。向こうもこちらに気が付いた。その昔、といってもこの時から2~3年ほど前になるが、奄美大島で一緒に遊んだ大橋氏であった。まだまだ人口が少ないこの遊びではよくこういうことが起きる。今日はすぐにでも漕ぎ出さないと厳しい状況なので、と明後日会いましょうと別れ出艇。「風が出るから気を付けて」大橋氏の言葉を背中に受けて、さざ波立つ海のような湖にすべりだした。水はまだ冷たい。砂浜と島の最短コ-スを選んだ。島にとにかく張りついてしまい、岸添いに南下して宿に向かうという算段だ。琵琶湖は近畿有数の観光地であり漁場である。漁船、遊覧船、プレジャーボートが多く、もうそのブームとやらは終焉していると思いたいのだが、まだまだバスボートなどというものもかっとんでいる。

沖島・琵琶湖に浮かぶ歴史の島:イメージ1

半ばで鮮やかな赤い鳥居が目を射た。今にも雨が降りそうな、くすんだ風景の中で赤い鳥居は一際鮮やかな目標となった。ほどなく鳥居の基に静かに浮かぶ。神の世界とこの世との門である。この島はその昔朝廷に湖からの恵みをを貢納する御厨であった。この門より神に仕える島にはいらん。さて、宿に急ごう。今日泊まるのは島の南端にある小川荘だ。およそ10分程で宿が見えてきた。護岸された上にテラス、そこには桜が覆いかぶさるように青い葉を茂らせている。カヤックで近づくと宿の主人が姿を見せた。「・・・・!」よく聞き取れなかったが、どうもずいぶん遅かったなといっていたらしい。コンクリートの段状になった所にカヤックをあげると、それを待っていたかのようにポツポツと雨が落ちてきた。

沖島・琵琶湖に浮かぶ歴史の島:イメージ2

湖上荘はテラスにでるとその名の通り湖の上にいるような感じだ。もっともテラスというより大きな物干し台のほうが近いであろうと思うのだが、逆にそれが風景に溶け込んでいる。雨に煙る対岸を見る。風はおさまり雨が静かに湖面に降り注ぐ。なにもかもモノトーン。忘れかけた静寂、ゆっくりと時は流れる。宿の人に促され、体を温めることにする。

大きくきれいな風呂場であった。窓を開け放つとそこには湖が広がる。奥のほうはもう見えない。琵琶湖は大きい。湯槽に一人体を沈ませ窓を開け放したまま雨の音を聞く。

あがると既に食事の用意ができていた。そのほとんどが湖や島で採れたものだ。魚を、野菜を、ごはんを頬張り、ビ-ルを流しこみつつ主人の話に耳を傾ける。が、残念ながら三分の一はわからない。魚たちのみならず、野菜もそして米も自給なのである。といってもこれは島で採れるわけではなく、「向地(むかいち)」と呼ばれる土地を向かい側にもっているのである。そしてそこで働くことを「出作り」というそうだ。食事のほとんどをこうして自給する島の人々は皆歯が丈夫だよ、と今年60才になるという主人は白い歯を見せ笑ってみせた。琵琶湖の特産といえば鮒鮨がある。それについて聞いてみた。「ちょっとくってみっか」というと奥から三切れほどもってきた。強烈なにほひ。口に入れるとこれまた強烈。くさやと同じで好きな人にはたまらないという類であろう。鮒鮨は保存食で昔はどこの家庭でも作っていたという。今は護岸工事による葦原の激減、ブラックバスやカワウの食害で鮒自身が捕れなくなってしまい高級品となってしまった。しかしこの島ではまだほとんどの家庭で作られているという。そしてそれは家によって微妙に味が違うそうである。本日の東京生まれ東京育ちの三人組にはどうも口に合わなかったようだ。翌朝、風が木々を叩く音で目をさます。時よりパラパラと雨がトタンを打つ音が聞こえてくる。季節はずれの豆まきだ。朝食の後、雨も風もおさまってきたので島を歩いてみることにした。

沖島・琵琶湖に浮かぶ歴史の島:イメージ3

宿を出て港につながる岸添いの細い道を歩く。時折漁場の向かう漁船が灰色の湖面をけたたましく走り去っていく。ほとんどが夫婦であった。数分で港に出た。ジャージに身を固めた一団がいる。ほどなく一艚の船が入ってくると、素早く人が集まり一列にその船の中に吸い込まれていった。聞くとスクールボートなのだそうだ。この島には小学校までしかなく、中学校からみな向かい側に渡る。「こいつは遅刻できないよなあ。でもオレにはカヤックがあるからいいか。カヤックで通うってのもいいな。このころからやっていればもうちっとマシな漕ぎもできたろうになあ」ととめどもなく思う。港を越え、宿と港を挟んでちょうど反対側くらいに小学校はあった。それは立派な校舎である。保育園もあり、保母兼イラストレ-タ-の米川きょうこ嬢が広い遊び場とたくさんの遊具、そして畑まである様子をみて「とてもいい環境ですよ」という。栽培と収穫の苦労と喜びを幼き頃から味わうのであろう。

沖島・琵琶湖に浮かぶ歴史の島:イメージ4

帰りは家の間の路地を選んだ。家々が隙間なく建てられている。古い家、新しい家。何件かおきに細い、本当に細い路地が湖に向かっておりている。琵琶湖最大の島といっても面積約1.5km、周囲約11kmである。しかも人が住める平地は限られている。その中で155家族、586人(1995年)もの人が住んでいるのだ。

これは島全体で家族なんだろうなぁと思いつつ歩くが、皆漁に出ているのか気味が悪いほど静かである。時折あの鮒鮨のにほひが鼻をくすぐるくらいであった。遠い昔のどこかで見た情景に気が飛びそうになるのをかろうじておさえる。つばめが手の届きそうな軒先に巣をつくっている。ゴミに口をくっつけたようなひなを見ていると、親鳥が鋭い声をあげながら戻ってきた。あきらかに威嚇だ。「ゴメン、ゴメン。そんなつもりじゃなかったんだよ。」とそそくさとその場を立ち去る。我々が路地を曲がりきるまでその親鳥はしっかとこちらを睨みつけていた。

家々の裏に突然立派な石段が現れた。信仰の中心、奥津島神社である。石段を上ると幾重にも重なった思い。屋根の向こうに湖が見える。質素ながらもしっかりとした造りの神社である。我々も昔の人がおそらくそうしたであろう航海の安全を願い、手を合わせた。 宿に戻ってきたのは昼すぎ。お茶を出してもらい、テラスでゆっくりと湖を見渡した。これだけの人が生活していながらも何か時間の流れ方が違う。そんな時の感覚を包み込み、パドルを握るとゆっくりと岸を離れた。

(取材日 平成7年6月)

- 西沢あつし プロフィール -
フリーライター・フォトグラファー。主に日本各地のシーカヤッキングにまつわるいろいろなシーンを撮影・レポートして各誌に寄稿してきた。写真は梅田正明氏に師事。昭和41年生まれ、東京都在住。

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