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June 02, 2005

最初から今まで3

えー皆様こんばんわ。
さだっちです。

えーーー・・・・・・・・・・・酔ってます。

泣き相撲の反省会という名目のもとに、ネイティブなおじ様方と飲んでまいりました。
で・・・・・・・いつか書かねばと思いつつ、書けずにここまで来てしまった
「最初から今まで」シリーズ、なんとなく今日なら書けそう・・・・というより
今日しか書く自信並びにイキオイがなさそうなので、書いてみることにします。

ちょっと耳が痛い話になるかもですが・・・ま、今日だけってことでね。

《参考》
最初から今まで
最初から今まで2

★★★★★★★★★★★★★★★★★★

「地方の魅力なんて、住んでみなけりゃわからない!」
若かりし頃のイキオイで移住してしまった岩手県東和町。

実際に住み始めて痛感したこと。
 
 

友達・・・腹を割って話せる人がいないということが、どんなにつらいことか!!!
特にも20代前半、友達とのとりとめもないおしゃべりが、何より楽しい時期。

住んでみたら、文字どーり何もない。
それより何より、フツーに話せる人がいない!
正直ゆって、住み始めた当初は、かなり都会が恋しかったです。

一番近い都会・花巻に行ってがく然。
県庁所在地盛岡・・・へ?何これ?
ほんじゃ東北代表仙台は・・・・・は?こんなもんかい。

あの頃は、仕事の都合もあったけど、ほんとにしょっちゅう横浜に帰ってました。
友達との集合は、昔からのシャル中。(西口駅ビル“シャル”の中央エスカレーター前)
繰り出すは、たいてい五番街!ま、西口のバスターミナル近辺もだんだんきれいになって
オシャレなお店も増えてるし、東口もいいよね。

そして、浜の友達にあうたびにゆってました。
「キャー!オシャレなお店ってステキー!飲みに行って、ほかの知り合いに会わないって
なんて幸せなのーーー!!!!」

友達には、
「周りに恥ずかしいから、でかい声でゆわないで」
としょっちゅう諭されてましたけど・・・。

それほど、ワタクシという存在は、人口10,000人足らずの東和町では異色だったわけです。

飲みに行くことはおろか、スーパーに買いモノに行くだけで、こっちは顔もよくわからない
おじちゃん、おばちゃんから

「横浜から役場さ来たんだって?」
「なして来たの?」(なんで来たの?)
「んじゃ、東和町に骨をうずめるの?」
「一人っ子?キョウダイは?」
「あ、次女なの?じゃ、お嫁さんに来るにいいのね」
「今日何食うの?」

・・・というような質問攻め。いつでも、どこでも、いつまでも。

あれはねーーー・・・ホント苦痛でしたね。
大体、一生この地に骨うずめるかどうかなんて決意を20代前半で固めてる人なんて
いるんでしょうか?

キョーダイ?
名前も知らないあんたに、どーして私が家族構成まで話さなきゃならないの?
バンメシ何食うか?
横浜から来たら、モノも食っちゃいけねーのか・・・っつーの!!!


その頃、幸か不幸かワタクシにもつきあっている人がおりました。
彼は兼業農家の長男。
ほかに友達もいなくて、ホントーーーーーーに寂しい頃でした。

だけど、それがまた格好のネタだったんでしょうね。

ひどいときなど、突然見ず知らずの人にめちゃくちゃニコニコしながら
「・・・・で、いつなの?」(つまり「いつ彼の家にヨメに来るのか」という意味ね)
とか、いきなり話しかけられたりして・・・

ワタクシには、ほかに相談する人もおらず、彼にはしょっちゅう
「あのさー、ワタシさーーー、あーゆーふうに、いつでもどこでも質問攻めなの、すっごく気になるんだけど。バンメシ何食うかなんて勝手でしょ?なんで名前もろくに知らない人にスーパーで家族構成までしゃべんなきゃなんないわけ?
お前が先に名乗れってかんぢなんだけど」
と、しょっちゅうもらしていました。

でも、そんなとき、彼の回答は、
「そんなの、社交辞令。挨拶代わりなんだから気にするな」


そういわれてしまうと、「はーそーなのかなーーー」と単純に考えてしまう私。
でも、やっぱりほぼ毎日のことなので、気になる。
でも友達がいないので、そのほかに相談する人といえば、Iターン大先輩の役重さんしか
おりません。
とはいえ、彼女も農家に嫁いだ身の上。
彼と同じように
「あー、そんなの拶代わりだから、気にしないほうがいいよ。周りもだんだん慣れてくるからさ」

はー・・・そーゆーもんなのかー・・・・

その当時のワタクシという人は、完全に「彼の付属物」としてしか見られてませんでした。
ホンット、ただの「金魚のフン」状態ですよね。

それが、また一つワタクシの中で、納得できない部分でもあったわけです。
確かに、その人とはつきあってるかもしれないけど、でも「彼の彼女」の前に
私はただの「さだっちょん」であり、それをただ認めてもらいたかったのです。


なんか引っかかるものがあったけど、肝心の彼や役重さんがあのような反応なので、
挨拶なのだから耐えねばならない・・・と必死に自分に言い聞かせておりました。
 

転機は、意外なところで訪れました。
当時のお仕事の担当「男女共同参画」

うわ!ださっ!!!
そんなん、声を大にして言うことじゃなかろう!!!
というのが、横浜流さだの考え方だったので、この担当はかなり苦痛でしたけどね。

しかし、このとき偶然参加した東京のフォーラム。
その名も「花婿学校」

ま、要するに農村でヨメが来ない現状のどこがいけないのか、そーゆーあたりを
根本的に考えるってなフォーラムですな。

そこで発表した、山形県南陽市のある女の子。
彼女は、農家の長女。
小さい頃から
「あんたは長女だから、婿とって家を継がねばならん!」
と親に言われて育ったのです。

思春期の時代、ちょっといいなと思う人がいても、相手の家族構成が気になって
思うようにスキになっていはいけないのではないかというプレッシャー。
誰にもこの悩みを打ち明けられず、引きこもりがちに過ごした日々。

そして出会った青年団活動。そこで、彼女は初めてその「こーゆーとこが嫌なのだ」という思いを打ち明けることができたそうな。
そして彼女は、女性初の青年団長になり、バリバリ活躍するようになったのです。

話の大半は、昔のことすぎて忘れてしまったけれど、当時の迷えるワタクシの胸に
いくらもトシの変わらない彼女の話はミョーに響いたらしく、話を聞きながらいつの間にか
涙が流れていました。

そーーだよ!私もイヤなんだよっっっ!!!
あのなんとなく引っかかりながらも「あーそーゆーもんかー」と流そうとしてたのは、
まぎれもなく、ただ単に「イヤだった」だけなのです。
それを「イヤだ」とも言わせてもらえない周囲の圧力に、「イヤだ」と思う感覚すら麻痺して
いた私。
 
だけど、イヤなもんは、誰がなんと言おうがイヤ!!!!!
それを声に出してゆっちゃいましょーーよ。
そのフォーラムで改めて、そのことに気づかされました。


そして、そのしばらく後、私は別れる決意をしたのです。(もちろん、そのせいだけではないけどね)
だけど、その当時、私の知る限り、東和町のIターン女性は、役重さんのように結婚するか、もしくは別れて東和町を去って実家へ戻るしか前例はありませんでした。

今となっては笑える話かもしれないけど、でも当時のワタクシにとっては
「彼と別れたら、ここにはいられないかもな・・・」
と真剣に苦しまざるを得なかったのです。

だけど・・・・そんなのおかしい!
誰が誰とつきあおうが、誰が誰と別れようが、どこに住むか、どこで働くかは別問題じゃないか!

私は、ただ個人的にまだ東和町ライフに納得してない!
(なにしろ、ただの金魚のフン扱いだったのだから)
そして、そんなヘンな人が住んでも認められる世の中が、東和町にも来てもいいのではないのかと・・・
(大体トウキョウなんて、そんな人たちの集まりで成り立ってるわけだし)


その後、たまたま東和町の農家の長男と恋に落ち、結婚を機に移住してきた
神奈川出身の人と友達になりました。

がしかし、彼女にとって、その生活はあまりのギャップ。
地獄のような日々。・・・わかるわかる!
親戚・親類・「マキ」・地域・・・ものすごい包囲網の中、彼女が数年後、東和脱出を決意したとき、私は・・・・・・・彼女を手伝いました。
人の離婚を手伝うなんて・・・って思う人もいるかもしれません。

でも、ホントにあの当時の彼女は孤立無援。
こんなヘナチョコなワタクシぐらいしか、すがる人もいなかったのです。

今、神奈川で女手一つで長男を育てながら働いている彼女。
当時、東和町で唯一腹を割って話せた彼女がいなくなるのは、私にとっては
寂しい限りでしたけど、でも、神奈川でなんとか苦労しながらがんばってる頼りが
彼女から届くと、私は、やっぱり手伝ってよかったと思うんです。


今、多分世間一般には遊びすぎだと思われる、さだっちょんライフではありますが、
でも、このお外遊び仲間は一度たりとて、こーいったプレッシャーをワタクシに与えたことはありません。
つねに、参加者みんなが対等な立場で楽しみます。

そのことが、どんなにワタクシの岩手生活の支えになっていることか。
多分、この海遊び、川遊び仲間と出会ってなければ、私とて、今ごろは
彼女のように都会の雑踏にまみれる生活に舞い戻っていることでしょう。

戻らないことがよいことなのか悪いことなのかは、わからないけど
でも、今ワタクシは、仕事も遊びも、ブログも、誰の付属ブツとしてでなく
「岩手のさだっちょん」としてやっていくこと、それが何よりも大切なことなように
感じています。

そして、こんな田舎でも、こんな楽しみ方もあるんだぜっ!
いいだろ。へっへーんだ!
・・・ってことを伝えられる手段を、このような形でもてたことは、すごく大きな前進だと思っています。
 
 
だから、多分ワタクシは岩手を遊び倒すまでは、多分生息しているでしょう・・・
そして、その後は秋田を、そして青森を
そしてそして・・・あら?一体どこまで行くの??
 
 

そんなことをネイティブなじっちゃんと話しながら、そしてまた上司に新たな見合い話を
持ってこられながら、感じた今宵だったのでありました。
 
 

ってなわけで、いつもの清き一票よろしくお願いしまーす

投稿者 sada : June 2, 2005 09:56 PM
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コメント

僕は海外移民だけど、横浜から岩手ってのも、海外移民に近いカルチャーギャップだよねぇ。
いつもながら、この手の話になると、ひたすらうなずきつつ読んでしまいます(笑)

Posted by: Ryu : June 3, 2005 07:01 AM

横浜に住もうが、東和に住もうが、さだっちはさだっち。
ネイティブとの価値観の違いこそが大切なわけで、あえてネイティブになる必要はないと思うよ。
もっも、ネイティブ達はその違いを簡単には認めてくれないんだけどね。

Posted by: 助さん : June 3, 2005 09:28 AM

あーほんと~によくわかる(笑)
いちいちうなづきながら読んでしまった。

こっちに来てからのカルチャーギャップに
「わかる~」「なんか状況が似ているわ~」と
一番共感してくれたのは、
アメリカに移住した友達でした(爆)
私たち、ここでは外国人なのかも・・笑

Posted by: fumiko : June 3, 2005 09:30 AM

追伸

新しいパターンでさだっちなりに生活するのは
とてもいいことだと思う(^^)
っていうかすごいとも思うけど。

パイオニアは大変なのよね(^^;
是非「こういう暮らし方もあるのだ」っていうのを示して頑張って~。
私も我が道を貫けるように頑張ってみるわ~。

Posted by: fumiko : June 3, 2005 09:35 AM

Uターンした俺でさえも凄くいやだった思い出がある。
地元の人たちはいちいち細かいことまで干渉してきて噂が一人歩きしてたり・・・
帰ってきて数年間は地元でも殆ど飲みに出たりしないで盛岡や仙台で遊んでた。

でもこれって単純に東和町と横浜のギャップだけではないような。ある面若者と年寄りのギャップでもある。
(結果的には東和町と横浜のギャップだけど)

田舎は殆どの人口をお年寄が占めてるからねぇ。
そしてその方達は本当に狭いエリアでのみの生活を送っている。よっぽど何か用事がなければ遠くへ出かけたりしない。

俺みたいな男一人家に帰ってきただけでも、格好のネタなのです。

昔タモリが言ってたなぁ「田舎の人ほど他人の心の中に土足で上がり込んでくる」って。
これは確かに当たってるね。

晩ご飯までネタにされるくらい話題が少ないのだよ・・・・トホホホ

実際親子間でも相当ギャップがあるよね、戦中戦後の物がない時代を生きていた人たちと物があふれまくっている世代の自分たち。
日本の歴史上例のないくらいのギャップかもしれない。

で、今、自分としてはまず殆ど気にならなくなっている。
慣れもあるのだけれども、そればかりじゃない。
最近よく聞く言葉「若い人たちは若い人なりの考えがあるから・・・・」

少しずつだけど変わってきているかもしれない。今後は僕らが変えていけば良いだけだしね。

しかし慣れたのは、単純に自分がトシくっただけ????\(>o

Posted by: きゃぱく : June 3, 2005 12:06 PM

いやー酔っ払ってしか書けない本音トーク。
・・・後から読むとハズカシイ限り。
できることなら消し去りたい!!!

でもね、これと似たような経験って、大なり小なり、たくさんの人がしてると思うんだよね。
口に出せないだけで・・・

と思って、いつかは書きたかったのでございました。

コメントなくても、これを見て
「そーか。オラもオラ流をつらぬくぞー!」
などと少しでも思ってくれた人がいたら嬉しい限りです。

Posted by: さだ : June 3, 2005 10:28 PM

助さん>ギャー!!!!コメントくれてたのね。おしょすなや~
でも、お心強いお言葉、どもありがとさんです。
明日も、もちろんサダ流本領発揮でっせ。ふっふっふ
コーヒーぐらいおごってしんぜよう。(安っ!)

フミコさん&キャパクさん>それぞれ、私より数百倍タイヘンな思いをしてきたと思いますわ。
そして、これからもきっと・・・ため息だね。

でも、ぜひぜひフミコ流&キャパク流新スタイルを築いてってくださいね!ホンット応援してまっせ!

そしてRyuさん>いつもこのネタになると、心強い感想をくださってありがとございます。
このシリーズ書くのは、かなりエネルギーがいるのですが、今後とも気長におつきあいくださいなのです。

Posted by: さだ : June 3, 2005 10:41 PM

女性の場合、単身で田舎に行くということは、余計な「意味」を背負わされてしまうんですよね。北海道の農家でも実際にそういった場面を見てましたので。「農家のお嫁さん募集」とか、「就農希望者募集:単身者または妻帯者」といった書き方が今でも平然と見られる。女性はオトコのオマケ、と言わんばかり。

カレシと別れたらここにはいられないかも、という心境は、田舎なら十分あり得るでしょう。そこで「仕方なく」ケッコン、あるいは「仕方なく」横浜へ戻る、という、ありそうな選択肢を選ばず、居場所がないなら作ってやる!と、ホントに作ってしまうのがさださんのすごいとこですねえ。

さださん自身がパワフルでおもしろいから、まわりにおもしろい方が集まってくるんですね。

Posted by: にしやん : June 5, 2005 08:22 PM

いやー、ホントこれを書けるようになったこと自体に時の流れを感じます。

周りのおもしろい人に助けられて、今のさだざえもんがあるんですね~・・・

Posted by: さだ : June 6, 2005 11:19 PM

こんにちは、はじめまして。カヤックつながりで、流れて参りました。
自分も、関西から鹿児島県に8年ほど前に流れてきました。仕事もやや、役場関係・・・ということで、北と南!で似たような感じですね。あ、オスですが。
自分はもともとあまり、周りを気にしないので、いろいろ聞かれましたが、おお!そんなに俺がめずらしいのか!と思っていました。何でこんなところに来たの?という質問が一番多かったですが、鹿児島の良さをその人に再発見させるいい質問だったと思います。でも、女の人だとちがうでしょうね。結婚の話題が多くなるでしょうし。でも、かごしまはどこかあってらかんとしていて、その人が一人で気にせずやっていれば、それはそれで受け入れてくれるんだと思います。しかし、自分も同世代の友達はいないですね。いるのは年上の独り者(なぜかバツイチがおおい)ばかり・・・。

Posted by: うみくろ : July 8, 2005 09:33 AM

うみくろさん>コメントありがとごぜます。

地方へ移住するっていう行為はホント男女差並びに地域の価値観が大きく左右する部分はあるようですね・・・(今だからいえる)

Posted by: さだ : July 8, 2005 10:05 PM
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