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June 17, 2005

障害者とデザイン。

【予報】
[地上気象] (モトゥエカ)
晴れときどき曇り晴れ、高曇り。北東風。(高)12度、(低)9度。

[海洋気象] (エイベル)
 北東15ノット、セパレーションポイントより北では25ノット。西部海域は荒い。西部では午後の雨中視界不良。
 向こう三日間:北東15~25ノット、土曜夜半から西5~15ノットに変わり、月曜北東15~25ノットに。

[潮汐表] (ネルソン)
 High 04:57 AM 3.4 m  Low 11:03 AM 1.2 m
 High 05:26 PM 3.3 m  Low 11:33 PM 1.3 m

天気図
© Copyright Meteorological Service of NZ Ltd

「晴れ、高曇り」じゃなく、どんよりと曇り。家にいると風はほとんど感じない。
 明日から雨の予報だが、夕方からすでにパラパラし始める。
 
 明日はかなり降る予報とのことで、マネージャから「明朝7時半に会社に確認の電話をくれ」との連絡が入った。一応数名のブッキングが入っているが、催行できるかどうか微妙とのこと。
 ふむ、最悪の場合、氷雨の中でツアー決行か。覚悟しとこ。

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極々私的なメモ。
 また大工仕事。ホントは昨日片付けたかったのだが、ネット回線が遅すぎて一昨日夜から昨日一日PCの前に張り付いていたので、今日になった。

 まずは文庫本用本棚を作った。昨日夕方材料購入と罫書きは済ませておいたので、二時間ほどで完成。後半は雨がぱらつき始めたが、おがくずが出る作業は終わってたので室内で続行。
 が、本を入れてみるととても収まりきらない。同じものをあと三つか四つ作らなきゃいけないらしい。ヤレヤレ。

 続いて壊れてたカーテンレールを修理しようとしたら、ドリルの電池が切れた。ヤレヤレ。

 充電時間を利用して、ブログをアップしようとしてるのだが、また回線の具合が悪い。また今日もアップできないのか?

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応援したい試み!

 ◎T@2「ショウガイとデザインとキリマンジャロ」

 上記ブログからだとDOCファイルダウンロードになるので、面倒な方はこちらをどうぞ。
 
 ◎Monkey Magic「キリマンジャロ プロジェクト!」

 視覚障害者のキリマンジャロ・アタック、素敵だ。
 
さて、最初に挙げたブログのエントリの最後に、こんな一文がある。

いろいろと突き詰めていくと、ケンジョウシャとショウガイシャの感覚の溝を埋めるのは「デザイン」しかないということに気がつく。そして、デザイン先進国の北欧を見ていると、なるほど障害者福祉が充実するだけの土壌があるのだなあと感心する。

 なるほど、デザインか。
 
 意識して考えたことはなかったが、そういえば拙ブログの過去ログで何度か取り上げた障害者関連の話題の中でも、「デザイン」に関するものがあった。昨年6月27日のピクニックテーブルと、障害者カヌー。なんかは、まさしくデザイン面からのバリアフリーについてのトピックだった。

 また航海カヌーを愛でる「みんなのヌルいヨット」で、waka moana氏がおっしゃるとおり、確かにアウトドア・アクティヴィティの敷居の高さは「道具のデザイン」に思いっきり左右される。

 よって、僕も『T@2』の藤崎氏のおっしゃることは、全面的に正しいと思う。

が、しかし、疑問は残る。はたして「『デザイン』しかない」と断言していいものだろうか。

 確かに社会的にも精神的にもバリアフリーが実現している社会の場合は、最終的なバリアフリーの決め手は「デザイン」だろうと思う。
 しかし、日本がそのレヴェルに達しているのだろうか。というのが僕の疑問。
 
 僕は日本の障害者アウトドア活動を考えるたびに、上記の昨年6月27日のエントリーの最後でとりあげた、中学校が生徒に対して投げかけた質問のことを思い出してしまう。
 同エントリ内でとりあげた通り、22人の大学生(健常者)の大所帯を率いるツアーリーダーが義足だったということがあったが、義足だろうが弱視だろうが、アウトドア・リーダーを務められる人はいる。自然は、障害者手帳を持っているかどうかなんかを気にしたりはしない。大自然は、残酷なまでに平等なのだ。

 つまり極論すれば、僕はアウトドアには「健常者」と「障害者」の区別はないと思っている。あるのは、アウトドア能力の高低だけであり、街では「障害者」とされる人の方が、「健常者」と言われている人よりも高いアウトドア能力を持っていることだって珍しくはない。

 日本の場合は、まずこうした認識の点で遅れをとっているように思えてならない。「身体障害者=ハンデを抱えていて、健常者の助けが必要」という固定観念が身体に染みついていて、自分よりも能力の高い身体障害者の存在など最初から考えてもみない人が、決して少なくないような気がする。学校までもが、そういう考えを助長するような教育をしていたりする。

 そうした現状を見ていると、「デザイン」の問題は、まずこれがクリアされてから、という気もする。
 
藤崎氏のエントリに登場される「コバちゃん」さんのように、ガイドやインストラクタを務める身体障害者が、日本でもどんどん出てくることを切に願う。
 
関連過去ログ【障害者関連】
 ◎ピクニックテーブルと、障害者カヌー。 (2004年6月27日)
 ◎新年度スタート。 (2004年10月1日)
 ◎オルカもうらやましいし、北島もうらやましい……。 (2004年11月24日)
 ◎デカイ貝殻。 (2005年1月21日)
 ◎ツーリズムは、ヴォランティアを必要としているか?〈前編〉 (2005年3月19日)
 ◎インタープリテーションについて。(コメント欄参照) (2005年6月1日)

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投稿者 Ryu : June 17, 2005 11:36 AM
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コメント

Ryuさん
トラックバックありがとうございました!

>はたして「『デザイン』しかない」と断言していいものだろうか。

そうですよね~

僕の言った「デザイン」とは視覚的な話だけではなく、ビジネスデザイン、コミュニティデザイン、ツアーデザイン…(これって、和製英語ですか?)、僕はさまざまな場で「デザイン」ということを意識しています。
ショウガイシャとケンジョウシャの境目って言うのは僕はないと思っていて、むしろそれを意識しなくても暮らせる社会は絶対にデザインできると思っています。
共同経営者の岩山は重度のショウガイシャの自立支援NPOで働いてました。ウチでショウガイシャをツアーで受け入れるときに彼がいつもスタッフたちに言うのは、ショウガイの度合いと、設備や自然環境に応じてサポートの数を増減するだけだ、ということです。うちの会社でできるのだから、社会全体でもやろうと思えばできると思っています。
デザインはイマジンですからね(笑)。そういう社会が作り出せる!というイメージが日本には絶望的に少ないと思います。長くなりました。

Posted by: 藤崎です~ : June 17, 2005 06:18 PM

 現在、障害の捉え方としていくつかのモデルが考えられています。例えば石川准さんのこの文章

http://fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp/~ishikawa/shuchou.htm

 社会モデルは障害をdisabilityとimpairmentに分けて、disabilityというのは社会全体(制度や資源配分のシステム)のデザインがimpairmentを持たない人々専用になっている為に起こる現象であり、社会がそういった人々以外への配慮を積み重ねることで、この部分が減少していくと考えます。そして、このバリアフリーデザインが理想値になった時には、障害は身体的にどうしようもないもの(例えば盲人にものを見せるとか聴覚障害者に音を完璧に聞かせるというような物理的に不可能なこと)以外は存在しなくなると考えるのです。

 一方、文化モデルは障害者そのものを様々なminorityとして、例えば盲人がものを見ないことと晴眼者がものを見ることの違いは、両者の生活文化の違いであり、アメリカ人が銃を持ち歩くのと日本人が銃を持ち歩かないのの違いと本質的に違いはないと主張します。そういった主張を最も強く行っているのが、アメリカのろう者Deaf Peopleです。

 この他に、医療モデルといって、障害を「障害者本人が克服・受苦すべきもの」というように、障害を個人の問題とする視点もあります。

 藤崎さんがおっしゃっている事は、障害の社会モデル的理解に近いと思います。そして、ツーリズムが障害者と関わる時に最もスムーズに採用出来るのは、社会モデルだと思います。少なくとも私は。というのも、ツーリズムは本質的に貨幣経済のうちで行われるものであり、貨幣経済は誰が持っていようが100円には100円の価値を認める事で、等価交換とその場限りの関係性を実現するからです。(たまに障害者は100円で300円ぶんくらいの買い物が出来ると勘違いしている人がいます。障害者の親に多いような気がしますが、もちろん障害者の親の全てがそうというわけではありません)。

 問題は、社会デザインがdisabilityをどこまで無くす事が出来るのかが、特にそういったバリアフリーデザインに意識的ではない社会で生まれ育った者には想像しづらいという点にあります。ですから、例えば聾学校を取材して作ったテレビ番組に字幕をつけずに放送するといったナメた真似をして、そのおかしさに気づかないテレビマンというような奇妙な方を我々は目にする事になるのです。あるいはよく言われる話ですが、日本の聴覚障害者は外国映画はいつでも見れるが(字幕がついているから)国産映画は滅多に見られない(字幕がついていないから)。

 私にはろう者の友人が沢山おりますが、ある時、「私たちろう者は普通にアブノーマルです。」と言われたのがとても印象に残っています。この言葉は、自分たちはやはり若干、健常者とは違う(アブノーマルである)けれども、アブノーマルな存在が世の中に居る事はノーマル(普通)なことであるという意味です。

 障害者へのdisability圧縮サポートのノウハウを蓄積していくことは、ツーリズム産業においてはメリットとなりうると思います。

Posted by: waka moana : June 17, 2005 07:44 PM

うわぁ、すごい反響!
ありがとうございます。


>藤崎さん
>これって、和製英語ですか?

えっと、ネイティヴにもちゃんと通じると思います。


>ショウガイシャとケンジョウシャの境目って言うのは僕はないと思っていて、むしろそれを意識しなくても暮らせる社会は絶対にデザインできると思っています。

良い言葉ですねぇ。
いや、まったくおっしゃる通りだと思います。
デザイン、なるほどねぇ。
僕もこれからはデザインを意識します。


>waka moanaさん
いつも色々教えていただいて、本当に感謝しています。
石川さんの文章、面白いですね。
disabilityとimpairment(なぜimpedimentじゃないんですかねぇ???)に分けるという考え方、しっくり来ます。

社会モデル、文化モデル、両方とも理解できます。
他のツーリズムはどうだか分からないのですが、僕のようにいわゆる健常者と、いわゆる障害者を混成でお連れする仕事をしていると、社会モデルだけではなく、文化モデルの捉え方も大いに必要になってきます。
なるほど、文化モデルは米国の聾唖者の主張なんですか。面白い。


>障害者へのdisability圧縮サポートのノウハウを蓄積していくことは、ツーリズム産業においてはメリットとなりうると思います。

おっしゃるとおりだと思います。
貴ブログエントリにあったとおり、やっぱりカヤックは障害者にとってはバリアが比較的高いのですが、カヤック自体の「デザイン」、ツアーやガイディングの「デザイン」をはじめとして、色々なdisability圧縮サポートのノウハウは、まだまだ開発できると思います。

やること、まだまだ色々ありますね。
がんばろ。


Posted by: Ryu : June 17, 2005 10:38 PM

 何故impairmentなのかはちょっとわからないですね。

 もともとこういった研究は英国で始まったのですが(disability studiesという)、輸入された時にはもうdisability, impairment, cultural identityの3概念がセットになっていたような・・・・。

 障害の文化モデルが大きな力を持ったのは、アメリカのろう者がDeaf Cultureという事を言い始めてからですね。1965年頃に言語学分野で手話Sign Languageが自然言語であると指摘された後は、Deaf Peopleは「しゃべれない」のではなく、手話を「しゃべる」、言語マイノリティだという主張が始まったのです。

 聴者とろう者の違いが「しゃべれる」「しゃべれない」であるとしたら、手話を「しゃべれる」ろう者は「障害者」ではなく「少数民族」だというわけです。

 これは必ずしもろう者社会の内部で完全に共有されている価値観ではないらしいのですが、大きな力を持つ考え方であるのは事実です。日本だとアメリカに留学してきた若い世代のろう者や、聴覚障害児の親の一部に一定の勢力を持っています。

 ちなみに、障害の文化モデルの先駆的な例として、1970年代の日本の脳性麻痺患者が行った「青い芝」運動というのもあります。

Ryuさんの経験のように、色々な身体を持つクライアントを同時にケアする場合には、何をスタンダードとするかという点で、文化モデルを参照する姿勢も必要になってくるでしょうね。

Posted by: waka moana : June 17, 2005 10:57 PM

なるほど、なるほど、勉強になります。
いや、障害に関する勉強を、僕がしてなさすぎたんですね。
現場で障害者の方をいつお迎えするか分からない以上、こうした「座学」(僕らの場合、海での「実技」に対してこういう言葉を使います)も、しっかりやっておかねばなりませんね。
ありがとうございます。

いや、ホント僕らの場合は、いろんな考え方を知っておく必要があると、改めて認識しました。
少なくとも現場では、文化モデル的アプローチも社会モデル的アプローチも、両方必要なのは間違いないですし。


Posted by: Ryu : June 17, 2005 11:11 PM

藤崎です
楽しいですね~こういう議論。
「フツーにアブノーマル」(笑)いや~深い言葉です!

実は僕の実家のそばにはショウガイシャの施設があって、僕が小さな頃からフツーに身の回りにショウガイシャがいたんですね。(自閉症もダウン症も筋ジスも、後天的な機能障害も「ショウガイシャ」ってひとくくりにするのがとにかくイヤなのですが(笑)。)子供の頃から彼らと遊んだ(?)しケンカ(?)もしたし、とにかく僕にとってはどんなショウガイシャもフツーの存在でした。
何というかたくさん違いがあるのが社会だと思うんですね~。それを楽しくフォローしていたのが、僕の実家周辺の姿ですよ。だから、僕は断然イメージできるんですね。でも、僕の体験がごくごく稀だ…ということに気がついたのは、大人になってからです。
そういう意味では、僕もフツーにアブノーマルです。

Posted by: 藤崎です~ : June 18, 2005 01:29 AM

 私なんかは収入がフツーにアブノーマル・・・・・・残念!

Posted by: waka moana : June 18, 2005 02:32 AM

American Sign Languageですが、アメリカの高校以上の教育機関ではもう外国語というか第2言語扱いですね。
(家庭で英語以外の言語を主としているケースが激増し、必ずしも「外国語」では無くなってしまっているので「第2言語」「第3言語」という呼ばれ方にシフトして来ています)
きちんと単位がおりますよ。
日本でいう「ベビー・サイン」なんかもこのASLが基になっていると思うんですが(というかアメリカのはそのまんま同じ物を小さい子供に使用)、最近はテレビの子供番組なんかでも簡単なThank you とかI love youとかは、例えばVサインみたいな感じで、もう自然なジェスチャーとしてどんどん入って来てますね。

日本文化にありがちな落とし穴として、便宜上の分類がうっかり「白か黒かの決断」に取って代わられてしまっていて元は灰色スペクトラムだったというのをすっかり忘れ去ってしまっているというのは、今回の件のみならず度々目にします。

Posted by: MM : June 18, 2005 05:44 AM

>藤崎さん
>自閉症もダウン症も筋ジスも、後天的な機能障害も「ショウガイシャ」ってひとくくりにするのがとにかくイヤなのですが(笑)。

僕も、障害者のこと話してて一番抵抗を覚えるのが、ここです。
大人になってから病気で聴覚を失った人と、ダウン症の人を同じくくりでとらえて論ずるっていうのが、すでに暴論ですよねぇ。


>waka moanaさん
いや、それを言うなら私なんて……(号泣)


>MMさん
手話まで第二言語っすか。
さすが米国、その辺はやっぱ進んでますね。

あ、そういえば先日mixiで「NZに留学して英語と手話を学びたい」っていう方がいらっしゃったのですけど、NZで学んだ手話を、日本でどう活かすつもりなのかなぁ?と思ったことがありました。
NZのはきっと英国式なんでしょうけど、日本のとは天地の差がありますよねぇ、たぶん?

ま、それはともかく。


>日本文化にありがちな落とし穴として、便宜上の分類がうっかり「白か黒かの決断」に取って代わられてしまっていて元は灰色スペクトラムだったというのをすっかり忘れ去ってしまっているというのは、今回の件のみならず度々目にします。

ホンマですね。
元来は、白黒の二元論ってのは、むしろ西洋的な発想で、東洋はグレーのスペクトラムを丸ごと呑みこんでしまうという文化的特長があったと思うのですけど、西洋がグレーゾーンに対する理解を深めている一方で、日本が逆にガサツな二元論に染まりつつあるのは、なんとも悲しい話だと思います。

Posted by: Ryu : June 18, 2005 07:36 AM

 ASLはたしかアメリカ国内での話者人口が英語、スペイン語の次くらいに多かったはずです。

 ニュージーランド手話がどの系統なのかはちょっと知らないですが、日本手話とは全く違うでしょうね。ちなみにアメリカ手話やアイルランド手話はフランス手話系、イギリス手話はこれらとは別系統の手話です。韓国手話は日本手話系。

 ニュージーランド手話と日本手話が使えれば、商売としては成立しないけれども、小遣い稼ぎ程度には需要はあるでしょうね。そういえば先日はフィジーあたりのろう者が来日して講演してました。

Posted by: waka moana : June 18, 2005 11:51 AM

同じ英語圏でも、手話に方言の差が大きいって言うのは、なんとも不便な話ですよねぇ。

ちなみに僕もNZの手話がどの系統なのかは、お恥ずかしいことに把握していません。
おそらくイギリス系だと思いますが。


>ニュージーランド手話と日本手話が使えれば、商売としては成立しないけれども、小遣い稼ぎ程度には需要はあるでしょうね。

商売にはならないんですか。
手話で二ヶ国語が出来れば、通訳として大きな需要がありそうな気がしちゃうのですけど、やっぱり素人考えなんですね……。

Posted by: Ryu : June 18, 2005 10:25 PM

 手話の場合は方言ではなくて完全に言語系統が違うのです。アメリカ手話はフランスで聾教育を学んだギャローデットがアメリカに帰って作った聾学校から広まりました。19世紀の話です。アイルランドはアンチ・イングランドが国是なので、わざわざイギリス手話ではなくフランスの手話を導入しました。

 ちなみに手話通訳者はアメリカではいっぱしのプロとして高級取りですが、日本ではカネが回らないのでボランティア頼みになり、ボランティア頼みだからプロが成立しないという悪循環を続けています。

 あくまでも個人的感想ですが、日本の場合はデフ・ナショナリスト右派が自らのアイデンティティの拠り所として日本手話を神聖視し、その純粋性を過剰に語ろうとするぶん、どうしてもネイティヴのようには手話を使えない手話通訳者を蔑視あるいは強く批判してしまう傾向があり(手話通訳者がネイティヴなみに手話を使えるとアイデンティティの拠り所が浸食されるので)、手話通訳者が育ちにくいという構造もあるような気がしますが。

Posted by: waka moana : June 18, 2005 11:17 PM

>手話の場合は方言ではなくて完全に言語系統が違うのです。

なるほど……。


>アイルランドはアンチ・イングランドが国是なので、わざわざイギリス手話ではなくフランスの手話を導入しました。

ありがちな話ですね。


>あくまでも個人的感想ですが、日本の場合は

う~ん、こっちもありがちなお話ですけど、いやはやなんとも……。
日本人とまったく同じように日本語を操る外国人に嫌悪感をいただく傾向が、日本人にはありますけど、あれと同じことが手話でもあるわけですね。
イヤハヤ……。


>手話通訳者が育ちにくいという構造もあるような気がしますが。

う~む……。


Posted by: Ryu : June 20, 2005 07:23 AM
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