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March 20, 2005

ツーリズムは、ヴォランティアを必要としているか?〈後編〉

【予報】
[地上気象] (モトゥエカ)
晴れときどき曇り晴れ、ただし朝のうち曇りまたは薄霧。午後シーブリーズ。(高)24度、(低)13度。

[海洋気象] (エイベル)
 変風10ノット、午後シーブリーズ。海況はおだやか。

[潮汐表] (ネルソン)
 High 05:30 AM 2.9 m  Low 11:55 AM 1.7 m
 High 05:39 PM 2.9 m

天気図
© Copyright Meteorological Service of NZ Ltd

予報通り朝早くは曇っていたがあとはピカピカの快晴。今日は昨日とうって変わって、またインディアンサマーが戻ってきた。最高気温も最低気温も昨日と同じ? ウソだろ?

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昨夜というか、本日の早朝2時にサマータイムが終了。本日から日本との時差は3時間(ニュージーランドが先行)に戻った。
 これでまたしばらく、朝真っ暗な中起きなくてすむ。でもすぐに日が短くなって、また暗いうちから起きなきゃいけなくなるんだろうけど。

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昨日のエントリーツーリズムは、ヴォランティアを必要としているか?〈前編〉からの続き。

 ◇”まちづくり”便利帳「ボランタリー・ツーリズムという発想」

を題材に、ツーリズムとヴォランティアについて論じている。
 早速コメントをいただいていて、大感謝ですm(..)m

 昨日は、「サーヴィス業のプロ」と「ヴォランティア」の違いを検証し、よって「ヴォランティアにツーリズム業はつとまらない」ということを見てきた。
 本日はそれを元に、そもそもの「ネタ」である上記エントリーに即して問題点を整理する。

ただ分析に入る前に、昨日触れなかった点にもう一点だけ言及する必要がある。
 昨日の論点は、「ヴォランティアをツーリズム催行側として使うことは不可能」ということだ。これを論じないと先に話が進まないので、あえて長文をつづった。

 ところが、昨日のコメント欄でRさんやMiyaさんがご指摘くださった通り、管理人cheolsaito氏の主張は実際には別のところにあるように見える。昨日、ヴォランティアとプロ側をきちんと切り分けずに混同する危険性を指摘したが、当該エントリーの中にも確かにそれは見うけられる。
 しかしながら、氏の本当の論点としてはおおむね、「ヴォランティアという形で一人でも多くの一般の人にツーリズムの現場をみてもらう機会を設けたい」、あるいは「ヴォランティアそのものを顧客としてとらえる」というアイディアを念頭においていらっしゃるようだ。

 そのアイディア自体には一概には反対しない。少なくとも昨日論じた点と違って一考の余地はあるし、上手い実現の可能性もあるだろう。

 特に前者の「ヴォランティアにツーリズムの現場を見せる」という案に関しては、産業としてツーリズムが一応完成しているニュージーランドの場合にも実際に機能している。ツーリズムを学ぶ学生が、会社を訪れて無料奉仕労働をしながら実地で勉強し、同時に就職活動をするというシステムが教育プログラムとしても定着している。なかなか良い仕組みだと思う。

 ただし僕らプロは、彼らの無料労働力は裏方単純労働としてしか当てにしていない。例えばウチの会社なんかの場合は、使いっ走り、あるいはカヤック、食器、キャンプ道具などの洗浄、片付けなんかが、学生ヴォランティアの仕事だ。つまり基本的にはベースクルー見習いという感じ。
 彼らの研修期間はだいたい二週間というのが相場で、その間に二度、三度はツアーに連れて行って現場の接客を見せたりもするが、基本的に彼らに接客はさせない。彼らはヴォランティアではなく、あくまでも「プロの卵」なのだが、それでも学生にいきなり接客は無理だ。

 「ヴォランティアに体験させる」のは大切だが、それには別途「上手い活用方法」を考えなくてはならない。お客様は、ヴォランティアのいい加減な仕事を求めているわけではないのだ。ヴォランティアに「いかにお客様の邪魔をしないようにしながら、現場の仕事を体験させるか?」という点は、熟考の余地がある。
 この点のケジメは、昨日のエントリーのコメント欄でMMさんが「日本の弱点」としてご指摘くださったが、僕もまさしく同感。
 実際に困ったケースについては、次段で僕の仕事を実例として挙げる。

 もちろん、ヴォランティア側から自発的に企画が持ち上がってきた場合は、それを否定すべきではないことは昨日論じた通り。
 ただしこのケースでは、現地に商業ツーリズムがすでに存在する、あるいは近い将来立ち上がる可能性があるとき、ヴォランティア運営の類似活動がその邪魔になる可能性が出てくることは、しっかりと念頭に置いておきたい。
 せっかく大きなビジネスに育って地域を活性化させるポテンシャルを持っている「商品」があっても、「ヴォランティア」として無料あるいは破格値で運行され、結果としてその大きなポテンシャルが潰されてしまう例は少なくない。
 実は商業ツアー業者同士でさえ、先発業者の弱腰の低価格設定に後発業者も右にならい、マーケットが相当大きくなってきた後もきちんとした収益が上げられないという問題も、実際にたくさん起こっている。
 ま、これはどちらかというと昨日論じた点に相当する例かもしれないので、これ以上は繰り返さない。

次に、RさんやMiyaさんがご指摘下さった「ヴォランティアを観光客として扱う」というアイディアについて。

 これに関しては、さらに二つに分けて考えた方が理解しやすいだろう。すなわち、「ヴォランティア=純顧客」という発想と、「ヴォランティア=サクラ」という発想だ。順に論ずる。

《「ヴォランティア=純顧客」案》
 これはマーケティング対象として、現地に来てくれているヴォランティアを「顧客」として想定するだけの話。マーケットをどこに絞るかというのは、各業者の腕の見せ所。王道を狙う方法以外に「ニッチマーケット」を狙う方法だってもちろんある。
 ヴォランティア対象というのは、ニッチ狙い組としてはいたって妥当、かつ当然の目の付け所だろう。

 ただし、それが賢明なアイディアかどうかは、まったく別問題。個人的にはあまり得策とは思わない。

 理由その一。
 ヴォランティアと一般客の「客層の違い」をどのようにしてマーケティングするかという営業上の問題点、あるいは「まったく違うモティヴェーションをもった二つの客層を、いかに同時にさばくか?」という現場のカスタマーケア上の難問があるという点。

 普段世界中から「まったく違う価値観と期待を持って集まってくるグループ」を担当している僕としては、この点は甘く見ることができない。一つのグループの中に、まったく違う客層が混ざると、顧客全員が不満のうちにツアーを終えてしまう危険性が飛躍的に高まる。
 僕らニュージーランドのガイドがガイディング技術に自信を持っているのには、普段からこういう「混成グループ」ばかりを扱って実際に高い費用対効果を上げているという実績の裏打ちがあるわけだが、裏を返せばそれだけ難しい技術だということにもなる。ガイド同士の毎日の会話のメイントピックも、ほとんどがこれに関することであるという事実もそれを裏付ける。

 また「ヴォランティア」でなおかつ「リピーター」となると、業者側(あるいはcheolsaito氏の論旨に即せば現地の人)との馴れ合いが強くなるので、一般客との溝がますます深まる危険性が高い。
 実際僕らツーリズム業者、サーヴィス業者が扱いに困るのが、常連客の雰囲気に飲まれて小さくなってしまう新規顧客の扱いなのである(しかも「常連」が割引を受け、「新規顧客」の方が高い金を払っていることが多いので、費用対効果の差はさらに大きくなる)。
 日本人の場合は、常連客は平気で「顧客」と「業者側」の線を越えて、「こちら側」に踏み込んでこようとする傾向がある。これも我々にとっては恐ろしいことなのである。素人さんに手を出されることの問題点は、昨日もさんざん論じた通りだが、その実例は次の「ヴォランティア=サクラ」案のところで挙げる。

 同じ価値観と期待を持って集まってくるお客様同士でさえ、常連と新規の間にはこうした溝があるというのに、それが「ヴォランティア」と「一般客」という別種の顧客層だった場合は、そこにどれだけの断裂が生まれるか、考えただけでおそろしい。
 ここまでが「客層の違い」という問題点。

 二つ目の理由。
 「ヴォランティア」はあくまでも「ヴォランティア」であって、「観光客」と違って「金を落とす人種ではない」という点は、第一の理由以上に重要だ。彼らがリピーターとなってくれた場合も、経済効果は薄い。
 また、ヴォランティアが呼んで来る次なる顧客も、やはりヴォランティア、あるいはそれに類似する「金を落とさない人種」である可能性が非常に高い、という点も無視できない。
 つまり、こういう形でマーケティングを始めた場合、事業そのものが収益の期待できない「ヴォランティア事業」と化してしまう危険性が大きいわけで、こうなると結局のところ「ヴォランティアにツーリズムをやらせるな!」という僕の主張と真っ向からぶつかる形になってしまう。

 昨日のエントリーの冒頭で、僕は次のように述べた。

 にもかかわらずこの種のツーリズムが日本ツーリズム界、あるいは日本産業界の起爆剤となりえていない現状はどう説明できるのだろう? むしろ逆に、ヴォランティアとツーリズムの相性そのものに問題点がある証しではないか?
 この文は、ヴォランティアをツーリズム業者側として起用するときだけではなく、ヴォランティアを顧客としてマーケティングする際にも当てはまる。

 これら二つの理由を見ると、僕には「本当にそれで商売になるのか?」という疑問がわく。
 cheolsaito氏のエントリーには、「誘致」「費用負担補助」などの言葉があるが、これをやればますます「金にならない悪循環」を強めるだけではないか? 「費用負担補助」を受けて「誘致」されて来たヴォランティアの人間が、浮いた金をパァ~ッと現地で散在するようなタイプかどうかは、考えるまでもない。またそのような人が呼び込める新たなマーケットも、きっと似たようなタイプだろう。

 っつぅか、これがまさに全国の地域ツーリズムの現場で起こっている「ヴォランタリー・ツーリズム」とやらの実際の主要問題点の一つなのではないか???

《「ヴォランティア=サクラ」案》
 こちらは純然たる顧客として扱うのではなく「ヴォランティアに体験させる」という準スタッフという位置づけ。

 こちらも問題は小さくない。昨日大きなスペースを割いて論じた通り、そもそもヴォランティアはツーリズム業者側として顧客をもてなすことに向いていないのである。
 よってこの手法では前段で論じたように、現場のガイド、コンダクターなどのマネージメント側に「お手伝い意識満々のヴォランティアの手綱を締め、現場で顧客の邪魔にならないように上手く使いこなす技術」が要求されるのだが、これが口で言うほど生易しいものではないのだ。

 具体例をあげよう。僕がやってるシーカヤック・ツアーの場合も、こういう「ヴォランティア」はときどき現れる。経験者がツアー参加者の中に混じっていた場合、「善意かつ無料奉仕」で他の参加者に盛んに世話を焼き始めることがあるのだ。
 例えば僕は漕ぎ方を教習する際、ハーフデイ・ツアーならば休憩を挟んで合計1時間半の、ワンデイ・ツアーならば2回の休憩を挟んで合計3時間半のパドリングを何とかこなせる程度の教習しかしない。だからハーフデイ向けの教習内容と、ワンデイ向けのそれさえ違う。傍目にはわずかな差だろうが、そのわずかな差を意識してコントロールするところにプロの技がある。
 詳しいことは省くが、わずか1時間半のパドリングのために、余計な細かいことを教えすぎるのは、混乱を招くばかりで百害あって一利なしなのだ。だから「どこまで削れるか?」「どこが『最低限』のラインなのか?」を見抜き、しかもその日その日のそれぞれの顧客に即してそれを柔軟に運用するのが僕らの仕事だ。

 ところが「志願ヴォランティア・インストラクター」には、そんな意識も技術もない。ただあるのは「善意の教えがりムズムズ発作」だけだ。昨日ヴォランティアの「自己満足」や「善意の押し付け」に触れたが、まさしくこれが典型例だ。
 彼は陸上教習のときも人によっては僕をさえぎってまで他人にパドリングを教えようとするし、海に浮かんだら最後、何十分でも延々と周りの人間に漕ぎ方を教えて始めてしまう。もちろん教えられる人は手を止めて話を聞くので、かえってますます遅くなるし、往々にして僕ら的には「教えてはならないこと」を教えている。「正しいテクニック」と「ハーフデイに必要なテクニック」は必ずしも一致しないのだ。
 こういうヴォランティアが困るのだ。

 もちろんこの手の「有害行為」をとめ、他のお客様を「救う」のは、僕らガイドの大切な仕事だ。この「救う」というのは、善意の押し付けから救うというだけの意味ではない。時として彼の「勝手な講習」が危険を招くこともあるので、リスクマネージメント上も止めなくてはならないのである。
 しかし、この志願ヴォランティア・インストラクター君も、他ならぬ僕の大切なお客様の一人であるというのが、厄介で難しい点だ。つまり、彼を傷つけず、むしろ彼の自尊心をうまくくすぐりつつ、ひそかに手綱を絞るというのが、カスタマーケア技術、グループマネーマネージメント技術の「肝」なのである。
 ただし、僕らの技術も「旦那が奥さんに手取り足取り教え始めた」というシチュエーションの場合は、まったく及ばない。旦那様が奥様に何かを教えているのを止める術はない。奥様が不快に思っているのが傍目にも明らかで、グループ全体がいやぁな雰囲気になっていたとしても……。

 特に、プロとヴォランティアの線引きがあいまいなジャパンにおいては、この傾向は顕著で、日本で仕事をしているときの方が「教え魔」に遭遇する頻度ははるかに高かった。リピーターのヴォランティアとなれば、さらに扱いは難しくなるだろう。

 というわけで、「ヴォランティアをサクラとして使う」というアイディアにも、僕自身は経験上すごくいやぁ~な予感を覚える。つまり、ヴォランティアをサクラとして使う場合は、事前に相当な「ヴォランティア向けの講習」が必要になってくるというわけだ。これまた一筋縄でいかない厄介な仕事だねぇ……。

さて、ここからいよいよ当該エントリーに即して話を進める。

 まず

観光する人の「後ろめたさ」を取り除くには無理があるということ。仮に非被災地であっても、被災地の隣で回遊するのは、やはり躊躇してしまう。
という冒頭の洞察自体には、全面的に賛意を表明しておく。
 被災地やその近郊に物見遊山に行くのは、尋常な神経の持ち主には気が引ける。しかし、それが地元経済にさらなる追い討ちをかけてしまう悲劇の上塗りの要因になるというのは、見逃せない大切な論点だと思う。

 つまり、議論のスタート地点に関しては、僕も同じ立場、同じ視点に立っていることをまず強調しておく。

 ただし細かい点については、この部分にも疑問はある。
 例えばこの文のすぐ後に述べられている、神戸が震災後10年を経て未だ以前のレヴェルに戻っていないという点。これは経済や社会の情勢の変化、旅行先としての「ブランド力」の低下を始めとする旅行トレンドの変化などが密接に関わってくるはずで、一概に「後ろめたさ」だけを原因ととらえるのは暴論かと思う。
 確かに被災直後は「後ろめたさ」がブランド力低下の最大要因だっただろうことは否めない。しかし10年たってもブランド力が回復しないのには、別の要因が大きいと見るほうが自然だろう。

 あるいは、「取り除くには無理がある」と断定してしまっている後ろ向きな姿勢にも、僕は賛成しない。僕ならば、
 「観光する人の『後ろめたさ』を取り除くことが、まず第一のポイントとなる」
という書き方をするだろう。マーケティングというは、そういうものである。「無理」と諦めてしまっては、出来ることだって出来なくなる。

ま、そういう細かい点はさておき、実際の具体案に対する疑問点を整理する。

(1)被災地およびその周辺の観光産業は観光に固執せず、ボランティア意欲の高い人を積極誘致する。ボランティア意欲の高い人は、人の役に立つことに喜びを感じるため、お手伝いをしてくれるだけでなく、現地情報発信メディアとして風評被害を抑制する。ボランティア活動は、現地の人と濃厚な人間関係を構築し、長期的なリピーターを生む。
 「現地情報発信メディアとして風評被害を抑制する」と「ボランティア活動は、現地の人と濃厚な人間関係を構築」の部分は理解できるし、ある程度の効果も想像がつく。

 しかし僕が気になるのは「誘致」で始まったものが、「長期的なリピーターを生む」と、一足飛びに結論に繋がる点。
 このアイディアは、Miyaさんの昨日のコメント欄の言葉を借りれば、「ヴォランティアを対象とした、復興活動支援アクティヴィティ」というツアー商品なのだろう。
 一見問題ないように見える。しかし、ツーリズムは産業、つまり商売であるという基本的な視野が抜け落ちていないか? 「誘致」という言葉がそれを如実に物語っているが、そういう揚げ足取り的な論法は避けるとしても、「ヴォランティアは金を落とさない存在である」という大切な点が論じられていないのが気になる。
 金を落とさない存在は、いくらリピーターとして何度来てくれても経済効果はないという大切な点が論じられていないのは、どうだろう?

 つまり一口で言えば、「儲かる仕事ではない」というわけで、ならば必然的に運行側(観光産業側)は、ヴォランティア的な立ち回り方をせざるを得ないという事になる。
 となると、これは今まで僕が主張してきた「ヴォランティアにツーリズムは務まらない」という主張に思いっきり抵触する結果を招くことになりそうだ。

(2)復旧が落ち着いたら、関東・東南海地域の住民向けに災害復興研修ツアーを実施する。今後想定される災害に対し、どのような対策が有効か、どのような困難があったのか、現地にて経験者の生の声を聞くのは説得力がある。
 「災害復興研修ツアー」自体は、面白いアイディアだ。「後ろめたさ」を解消する方便としても、非常に有効だと思う。
 上記の(1)と違って、これは基本的に収益を前提にした商業ツアーという発想で組み立てることが出来る点も評価できる。

 ただ、このツアーのどこに「ヴォランティア」とか「ヴォランタリー・ツーリズム」とかの入り込む余地があるのか、よく分からない。「現地の経験者」の側に、救援活動に従事したヴォランティアを起用し、彼らの生の声を聞くというのだろうか? その程度なら、取り立てて「ヴォランタリー・ツーリズム」などと大げさに言うほどの話ではないように思える。
 また、「生の声」にはなるべく現地の住民を起用し、少しでも彼らに謝礼を渡すという方が、現地経済への貢献度も高い。他所から入ってきたヴォランティアにそのポストを渡してしまうのはいかがなものか?

 しかしもっと大きな問題は、実際にはこれが「商品」として成立するかどうか分からないほど非常に難易度の高いということだ。この点は長くなるので次々段で詳述する。
 プロにとっても難易度が高い商品となるがゆえに、運営側にヴォランティアを起用するというアイディアは完全に不可能だろう。

(3)経験豊富なボランティアには、国際・国内のボランティア経験回数に応じた優待運賃を設定し、被災地へ向かう費用負担の軽減措置を講ずる。
 交通費の一部を負担するなどとケチなことを言わず、本当に実力のある人間には、それ相応のギャラを支払うべきである。昨日論じたように、ギャラをもらうことによって生じる責任感は、その人間の能力を遺憾なく引き出し、さらに高めることに繋がるし、それに続くものを鼓舞する効果も高い。経験豊富で能力のある人間を、相手の善意に乗じてあえて無料で使い続け、交通費の足しだけでごまかそうなどというシミッタレたことばかり考えていると、その人の能力を殺し、モティヴェーションを下げるばかりだ。それだから、ツーリズムが発展しないのではないか? 実力を評価するなら、ギャラでその実力をさらにもっと引き出し、さらに実力をアップさせるべきだ。
 二十人のヴォランティアに少しずつ補助をするくらいならば、その中で飛びぬけた実力と経験を有する一名だけにその全額を「ギャラ」として渡す方が、はるかに「費用対効果」が高いのではないだろうか。
 この点は昨日のコメント欄でMMさんが米国の事情として述べてくださっていることとも符合する。彼女の日本のヴォランティアに対する洞察は、あいかわらずお見事。

 あと、この項目に関しては、これが「ツーリズム」の話なのか「災害復興」の話なのかがよく分からなくなっている。両者は似てまったく非なるものゆえ、「ヴォランティア」を介在する場合は、果たしてどちらの話なのかをキチンと切り分けて論じる必要があると思うのだが、その点でもこの項目は非常に弱い。

(4)できるなら、お金と人材を切り離し、義援金をボランティアの渡航費用に回す新たなビジネスモデルを構築し、時間のある人がボランティア活動を起こしやすい環境を整える。これは義援金の使途を可視化することで、さらに義援金を呼び込む効果がある。災害時に影響の大きい日本旅行業協会や金融機関、NPOなどが連携して枠組みを構築することが望ましい。
 これは上記(3)と同様、「ツーリズム」とはまったく別問題なのではないかという気がする。むしろ復興活動、災害防止活動だろう。というわけで、そもそも論点が完全にずれているように見える。

 いや、氏が「復興活動、災害防止活動」そのものを「ツーリズム化、アクティヴィティ化」しようというアイディアをお持ちなのだろうという事は理解しているつもりだ。しかし「ツーリズム=商売」という点を前提に立ったとき、氏のおっしゃる「ビジネスモデル」とやらが、どれだけの利益を生み、どれだけ地域社会に貢献できるのか、僕にはまったくイメージできない。

 また別の論点としては「いや、だからそこまでやるんだったら、なぜ彼らを『ヴォランティア』のままタダでこき使おうという浅ましいことを考えるのか、ぜひともお聞きしたい」という、(3)で指摘したのと同じこともいえる。

 むしろ僕なら、そのアイディアをさらに発展させ、時間の余っている人たちを「プロのガイド」に仕立て上げてしまう。ビジネスモデルというからには、そっちが正道だ。プロが思い切って仕事をすれば、顧客満足度も費用対効果も桁が違ってくるので、義援金を呼び込む効果がさらに上がるのはもちろん、収益だって上げられるのだ。ならば集める金も「義援金」だけではなく、企業のスポンサーシップも視野に入れられる。

 ちなみに呼んでいただければ、彼ら相手にプロガイド・ワークショップ(PGW)を開催して、プロフェッショナリズムを植えつけるお手伝いはする。別にあのプログラムは対象をシーカヤックガイドに限定しているつもりはない(って、大変だからもう止めたいもうこれが最後と言いつつ、ついこういう事を書いてしまうからイカンのだ、僕は……)。

これら4項目に対する疑問点を総括してみれば、被災地(およびその近郊)から人が去り、経済的に大きな打撃を受けていることを問題とし、それを打開するための「ツーリズム」を主題にすえながらも、なぜか「収益を上げ、それを地域社会に還元するビジネスプラン」を練るのではなく、「無料のヴォランティアの活用」、つまり被災直後の救援活動と同じレヴェルで論旨を展開しているところに、大いなる矛盾を感じる。
 昨日のエントリーで「混同」「誤解」「勘違い」について指摘したが、僕はまさにここにその好例(悪例?)を見た気がする。その混同は、

  1. 「災害復興活動アクティヴィティ」としての商業ツーリズムか、あるいは「災害復興支援活動」としての慈善支援ヴォランティア活動なのか?
  2. ヴォランティアを「顧客」として捉えるのか、あるいは「業界側の補助」として使うのか?

の2点に及んでいるように感じられる。

 あえて線引きをしていないとおっしゃるならば、それは悪手であると申しあげる。僕があえて当該エントリーの内容と即さない「ヴォランティアにはガイドは出来ない」という論点に絞って昨日のエントリーをアップしたのも、線引きを明確にして論点をクリアにするためである。
 もう一度言う。ツーリズムは、あくまでもビジネスである。商売である。金儲けである。ビジネスモデルを考えるならば、収益を上げることを第一義に考えるべきであり、ならば「ギャラをとらず」「金も落とさない」存在であるヴォランティアを中心に据える理屈は、最初から矛盾と破綻をはらんでいるのではないか?
 その矛盾と破綻が、結局日本のこうした地域ツーリズムの伸び悩みの要因なのではないか?

さて、ここで上記の具体案(2)の問題点を指摘した際に、後述すると書いた点を話そう。

 これから大震災が予想される地域の人々を、すでに震災を経験した地方でシミュレーションさせる「災害復興研修ツアー」のアイディア自体は、なかなか卓抜している思う。

 しかしながら、現場の人間から見れば、実現は非常に難しい。なぜなら、このツアーの「成功」とは、参加者に「このツアーに参加したおかげで、自分たちが被災したときに被害を確実に軽減させられるだけの勉強が出来、そのノウハウも身につけた」という達成感を与えることに他ならないからだ。
 いや、達成感だけではダメだ。これは生き残るための勉強ツアー、つまり命のかかった商品なのだから、実際に本番に対処できるだけの「技術」を与えなくては、成功とはいえない。
 これは非常にハードルが高い。

 ところが、被災者の話を聞くだけでは、決してそれだけの技術はおろか、達成感を与えることさえ難しい。

 本を例にとる。
 被災者の覚え書きやインタビューだけをひたすら集めた本が出版されたとする。それを読んで、「うわぁ、これは役に立った!」と思える人がどれだけいるだろう?
 被災者の悲惨な体験に震え上がったり同情することは出来ても、それらの「生の情報」から、「では、自分の番が来たらどうすればいいのか?」「自分の環境に置き換えるとき、この経験をどうアレンジすれば良いのか?」という形でノウハウに消化し、実際に被災したときにキチンと行動に移す技術を身につけられる人は、ほとんどいない。特に日本人はそういう危機管理が極端に弱く、危機管理を研究している学者先生方でさえわけの分からん机上の空論を振り回す国だ。ちなみに過去にシンクタンクのお粗末な危機管理論にツッコミを入れたのはご承知の通り。

 つまり、そういう覚え書きを集めただけの資料は、専門家にとっては非常に情報価値が高い反面、素人さんにはほとんど役に立たないということだ。
 彼らには、専門家による「ではどうすればいいか?」という解説(調理済みの情報)が添付されていないと、生の情報をポン投げ出されても飲み込むことはおろか、歯を立てることもできないだろう。

 これは本に限った話じゃない。ツアーの形でもまったく同じことが言える。
 現地で被災者やヴォランティアの方々から生々しい体験談を聞いても、それだけならば「消化できない未調理の生の情報」で消化不良をおこすだけだ。
 参加者が次に被災したら、おそらく同じ過ちを犯し、その後で「あぁそういえばあの研修ツアーのときに聞いた話がこれだったんだ!」と思いあたるのが関の山ではないか?

 この消化不良を「腹いっぱい食べた」と勘違いして、ツアー終了時には「満足した」と言ってくださるお客様もいらっしゃるかもしれない。というか、そういうケースが多いだろう。
 が、それはあくまでも勘違いだ。そういう「お客様の勘違い」に付け込んだ甘い費用対効果を設定するのは、プロの仕事とはいえない。
 また私事だが、僕がプロガイド・ワークショップをやった場合も、理解度・消化度が低いと思われる参加者ほど、手放しの高評価を下さる傾向がある。逆に理解度が高い参加者ほど、疑問点や課題点を指摘して辛い評価をして下さるものだ。

 つまり、この研修ツアーを成功させるには、体験談に基づいた「では、どうすべきか?」という、ノウハウを提供する必要があるのだ。それでこそ「研修ツアー」である。
 よってガイドとしては、「生の声」を聞かせてくださる被災者(やヴォランティア)の方々と事前に綿密に打ち合わせをした上で、話をしていただくエピソードを選び、そこから専門的な危機管理メソッドを引き出した上でノウハウを構築しておくといった下準備が必要になるわけだ。
 あるいはガイドの手に負えなければ、別途危機管理の専門家を招聘してツアーの中に講義を組み込む必要もあるだろうが、その場合も「生の声」側と講師側の間の調整は、ガイドの仕事となる。

 そんな作業をキチンとこなせる人間、果たしてどれくらいいるのだろう?
 サーヴィス産業の中では極めて異例なことに、僕はもろに危機管理を仕事にしているアウトドア・ガイドだ。その僕にとってさえも、この「災害復興研修ツアー」は考えただけで胃が痛くなるような大変なツアーだ。素人ヴォランティアは言うに及ばず、添乗員、ガイド、コンダクターなどと呼ばれる人たちにも、これをこなせる人はそう多くないはずだ。

 また、この商品のメインの売り物が「現地の被災者の生の声」であるということは、別の問題点も含んでいる。
 つまり、ツアーのハイライトが、雄大な自然だとか、洗練されたショーだとか、美味い食事だとか、良い温泉だとか、そういう分かりやすいものではなく、あくまでも「素人の被災者が語る、悲惨な災害の話」なのである。これはいくら「研修ツアー」とはいえ、旅のハイライトとしては、かなりリスキーなシロモノなのは素人さんにも容易に想像がつくと思う。
 となると、上記のシナリオ作り、ノウハウ構築以外にも、ツアーの他の部分でガイドが徹底的にフォローをして商品品質を高める努力が必要になるのである。
 この点でも、条件をクリアできるプロがどれだけいるのか疑問だ。

 だからこれをやるには最低でもノンフィクションを一本書くくらいの取材力と、世界トップレヴェルのガイディング技術、さらに都市サヴァイヴァルまで含めた危機管理技術の三つが必要になると思うのだが。都市サヴァイヴァル技術には、有毒ガスに対する避難およびファーストエイドなんぞも含まれてくるわけで、こうなるとほとんどの人間にお手上げではないだろうか?

 もう一つの案として、このツアーを「ヴォランティア常連」を顧客として展開するという方法もあるだろう。この案の利点は、一般客よりもカスタマーケアが楽になるということだ。業者側にとっては大助かりである。
 しかしその反面、別の問題点も出てくる。
 まず「災害復興」ならまだしも、「災害対策」をヴォランティア意識の高い人間だけに対象を絞り、それ以外の人を無視するというのは得策でないという点。
 そして難易度が高いゆえに価格も決して安くは設定できない宿命を背負う商品を、果たしてヴォランティア対象に展開できるか?という点。
 この二つが、大きな問題として立ちはだかるだろうと思われる。

 というわけでこの「災害復興研修ツアー」、依然として面白いアイディアだと思うし、出来ることなら一刻も早く実現すべき妙案だとも思う。
 しかし同時に、実現性はかなり低いし、やったとしても魅力的な商品に仕上げるのは至難の技だとも感じる。

 僕? 依頼があれば無下に断りはしないものの、相当なギャラと相応の準備期間をいただかないとウンとは言えないなぁ、そんな大変な仕事。というか、結局は労力に見合うだけのギャラはもらえず、それこそポリシーに反した「ヴォランティア仕事」になってしまいそうだし……。

というわけで、まとめ。

 僕は、「業者側」として起用するにしろ、「顧客」としてマーケティング対象と考えるにしろ、ヴォランティアをメインに据えて考えている限りは、日本のツーリズムは発展しない、と結論付ける。
 よって最初に申しあげたとおり、「ヴォランタリー・ツーリズム」という発想には、賛成しかねる。それはますます「サーヴィス=無料」と勘違いする人間を増加させ、同時に低レヴェルのサーヴィスを蔓延させて、日本サーヴィス業全体を沈下させることに繋がる、危険なアイディアだとさえ感じてしまう。
 もちろん、手をあげてくださる有志の意思を否定してはならない。しかしその際も、使い方を誤れば、危険性の方が大きくなることを意識しておきたい。

 だからそういうことは、金払ってプロを雇い、一般の顧客を楽しませる努力を中心に組み立てるべきだ。そういう流れが上手く出来てくれば、必然的にその中でヴォランティアにも任せられる役割が生まれてくるはず。最初から大きな要素として想定すべき存在ではない。

 ニュージーランドのツーリズムが大きく発展し、国の根幹を支える基幹産業となりつつあるのは、徹底したカスタマーケアを前面に押し出した「商業ツアー」として展開しているからだ。下手に善意のヴォランティアに期待せず、プロはプロの役割に、顧客は顧客の役割に徹することのできるシステムが、世界中の人間に理解され、彼らを魅了しているのだと思う。

 ちなみに昨日のエントリーの冒頭で書いた「結論」は、業者側としてヴォランティアを使うことだけに言及していた。もちろんあれは、昨日のエントリーで「ヴォランティア=顧客」を論じるスペースがなかったためである。
 よって、続けて一気に読むと、時間かかるだろうなぁ。
 いや違った(笑)
 よって、続けて一気に読むと、昨日の冒頭とこことで、若干結論がずれている印象を持たれると思うが、これは「連載」という形で分けたゆえの弊害と思って、大目に見てやってください。分ける前は、冒頭の結論もここと同じような内容にしてたんだけど、分けた後に書きかきかえたんよね。

さて、批判だけで代替案を出さないで逃げるのは卑怯なので、最後に簡単に一つだけ。
 とはいえ、実際には「ヴォランティアを念頭から排せ」という、ここまで主張してきたことだけでも、十分に立派な代替案だと思ってるんだけどね。でも、そうは受け取れない人も多いだろうし、せっかくだから、ついでにもう一つ案を出しておこう。

 ニュージーランドのツーリズム業界と今の日本の同業界を比べたとき、日本にもっとも欠けているのは、同じツーリズム業界内に属している者同士の連帯意識だと考えている。

 例えば僕はシーカヤック・ガイドだが、ウォータータクシー業者も旅館業者もバス業者も「同業者」として見ているし、実際に彼らと同じ土俵で話をする。同じお客様を実際に我々は順繰りに「リレー」して接客しているのだから、まさしく同業者であり、ただ単に担当している部門や順番が違うというだけの話だと思っている。例えばつい先日のエントリーにも、バスドライヴァを「同業者」と書いている。

 また、こちらではこれらの職業間での転職も頻繁だ。実際に僕の周りにも、シーカヤックガイドからウォータータクシー・ドライヴァに転職したヤツもいるし、今期から宿に転職した同僚もいれば、バス・ドライヴァを兼業していた元同僚もいる。だから、当然まったく同じ次元で話が通じるのである。

 よって、僕は彼らすべてをライヴァルだとも思っている。バスの運転手に接客の上手いヤツがいれば悔しい思いとともにその技術を盗もうとするし、いい加減な対応をする宿には、同業者として腹を立て、羞じ、そして蔑む。

 では、日本はどうか? 例えば、とある観光地で働くタクシー運転手と自然観察指導員とホテルマンが、同業者として同じテーブルにつき、このエリアの観光業振興のためにはどうすればいいだろうか、なんて話し合っていたりするだろうか?
 地方公共団体の主催する村おこしの会合などで、実際に彼らが同じテーブルにつくこともあるかもしれないが、じゃぁその場で彼らが話し合ったとして、同じレヴェルで話がちゃんと通じ、理解しあえるのだろうか?
 仮に、それぞれの会社の社長レヴェル同士で話が通じたとして、それではそれらの組織の末端職員同士は話が通じるのだろうか?
 つまり観光地のバスの運ちゃんに、「あなたと、あそこのお土産物屋のオバチャンは同業者ですよ」と言って、理解してもらえるだろうか?
 あるいは、バスドライヴァを「同業者」と言い切るシーカヤックガイドがいるだろうか?
 あるいはNPO系で環境ツーリズムを考えている人は、商業エコツーリズム業者と同じ視点を共有しているだろうか?

 考えれば考えるほど、その辺は悲観的にならざるをえない。

 ツーリズム先進国ニュージーランドと、後進国ジャパンの大きな違いは、ここにもあるような気がする。

 ヴォランティアを使ってツーリズムを何とかしようなどとイジマシイことを考える前に、こうした「サーヴィス業のプロ」たちに、大きな視点で「同業者意識」を与えることが先決ではないか?
 このブログの読者の中には、プロのシーカヤックガイドなんて数人しかいない。それを承知の上で僕がプロガイド・ワークショップ(PGW)の話やガイディング技術のことをときどきポロリポロリと語り続けているのは、こういう「大きな意味での同業者」は読者の中にもたくさんたくさんいらっしゃるだろうと思っているからに他ならない。そういう方たちが、「あ、これは自分にも当てはまる!」と気づいてくださると良いな、という願いを込めて書いている。

 日本中のあちらこちらで、タクシー運転手とバス・ドライヴァーとホテルマンと自然観察指導員とシーカヤックガイドと土産物屋のオバチャンが、「同じエリア内のツーリズム業者同士」という連帯感を共有し、ともに将来のプランを語り始めれば、互いのプロ意識も格段に向上し、マーケティング能力も拡大し、面白いアイディアもどんどん出るだろう。
 被災地のブランド力回復策だって、そうしたアイディアの中から生まれるべきなのだ。ヴォランティア云々の話をする以前に、こういう風に業界側の結束を高め、ヴォランティアなんぞに頼らなくても産業としてしっかり回るだけの商品力をつけることだ。
 そうすれば、日本のツーリズム界は必ず変わる。すぐに変わる。劇的に変わる。みるみる変わる。変わるに決まっている。

 ま、代替案は他にも色々あるだろうが、今日のところはこれくらいで。
 どうせこの「地域ツーリズム振興」っていうのは、どうやら僕にとってもこれから長い付き合いのテーマになっていくのだろうから。面倒なテーマだから、うっとうしいと思うこともあるんだけどね、でもこういう職業に就いたからには、祖国の地域ツーリズムも無視するわけにもいかなくなってきている。

あぁ、しんどかった。こんなに長くなるとは思わなかった。こりゃ斜めにしか読んでもらえないよなぁ。
 しかも10日もすれば、過去ログに埋もれて忘れられる運命。ブログって何だかなぁ(^^;

 ま、自分では勉強になったから良いけど。たまにはこういうモードで書いておかないと、筆も鈍るしねぇ。

 しかし、月曜日(21日)に出社して、土日のエントリーをまとめて読もうと思った方は、さぞかし肝をつぶされただろうな。
 って、実はそれが狙いであえて土日にブチ込んだという話もあったりして(笑)

ほい、というわけで、この続きは編集長に回そう、かと思ったが、フェイントでごうちゃんよろしく。

 って、リレーエッセイじゃないってば(笑)

追記(同日)
 これをアップするのと入れ違いに、昨日のエントリーにHokulea2006さんがコメントを下さった。

元エントリーの提唱するコンセプトそのものは、ある種の可能性を秘めていると思いますよ。つまりRyuさんも指摘しているように「ボランティアをツーリストとする」という発想です。要するに「ボランティアで来る以上、転んでも泣かない。自分の始末は自分でつける。」というハードボイルドな構造を作るわけですね。「ボランティアなんだから・・・」という甘えを一切許さない、言ってみればただのツーリストよりもハードルの高いツーリストになれる人だけ来て下さいよという事です。
 このアイディア、Hokulea2006さんもその次におっしゃってるように、なかなかの「暴挙」ではあり、サーヴィス業のプロである僕の口からはなかなか言いづらいアイディアではあるのだが、しかしあえてこういう形の「ニッチマーケット」を狙うという手法は、僕自身も大いにあると思う。
 今回のエントリーの冒頭部で「上手い実現の可能性」と書いたが、これもその一つかもしれない。

 しかし、贈与経済の考え方をツーリズムに導入するというのは、まったく盲点でした。目から鱗が落ちました。これからのテーマとして、ちょっと研究してみますm(..)m>Hokulea2006さん

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「長ぇよ!」とお怒りの方は人気ランキングを、「あぁ長かった!」とお喜びの方はranking.gifをクリックしておいて下さい。
 僕? 僕は前者かなぁ(笑)

投稿者 Ryu : March 20, 2005 01:31 PM
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Title: ヴォランティア・ガイド、その数なんと27,000人!?
Excerpt: ■【予報】 [地上気象] (モトゥエカ) 晴れ。風おだやか。(高)20度、(低)9度。 [海洋気象] (エイベル)  変風10ノット、午後一時北東に変わる。海峡おだやか。  その後12時間:北部...
From: Ryu's Logbook ニュージーランド在住シーカヤックガイドのlogbook(=航海日誌)
Date: 2005.04.06
Title: ヴォランティア・ガイド、その数なんと27,000人!?
Excerpt: ■【予報】 [地上気象] (モトゥエカ) 晴れ。風おだやか。(高)20度、(低)9度。 [海洋気象] (エイベル)  変風10ノット、午後一時北東に変わる。海峡おだやか。  その後12時間:北部...
From: Ryu's Logbook ニュージーランド在住シーカヤックガイドのlogbook(=航海日誌)
Date: 2005.04.06
コメント

 まあ、ビジネスとしては異常にニッチだと思いますが。もう最初から「金を払って損をしに行くツアーです。参加しても払ったお金ぶんのサービスは出ません。というかあなた達はわざわざ金を払ってサービスしに行く、サービスする側の人になるので、客として扱いません。」と宣言してしまう(笑)。

 新潟なら新潟で、わざわざ身銭切って温泉旅館に泊まって、昼間は泥にまみれて復興支援(爆笑)。のろまな参加者は容赦なくガイドから怒鳴りつけられる。「走れ、グズどもが!」

 でもこれって例えば永平寺でお金払って修行したり、吉野で大峯奥駆け修行をわざわざ金払ってするのと同じだと思うんです。もうあらかじめ、来たら損するよってアナウンスした上で、「でもあなたたちが損したぶんのお金は被災地にきちんと落ちて、被災地のリカバリーに確実に役に立つ。あなたたちが流した汗も同様。そうやって自分の一部をコミュニティに差し出すのは気持ちいいですよ。」とやる。

 損をしに行くツアー。結構面白いと思うんですが。

Posted by: Hokulea2006 : March 20, 2005 03:17 PM

大いにありでしょうね(笑)
ニッチではあるでしょうが、でもそれに反応す潜在層は、確実にありそうな気がします。
下手に「楽しいよ、美味しいよ、キレイだよ」と、ありきたりなコピーを並べるよりも、

「金払って、シンドイ思いしにいきませんか?」

って行っちゃう方が、確実に人目を引くっていうのもありますしね。

っていうか、これからのツーリズムって、コンヴィニエンス感覚をいかに払拭するかが売りになるという面もあると思うんです。
おっしゃるような宗教修行系もそうですし、ヒマラヤは遠くにあって苦労しなきゃたどり着けないから値打ちがあるわけですし。

それと同じような価値観を、こういう「損しに行くツアー」に付随させる上手いマーケティングが出来れば、ニッチとはいえかなり面白いことになるかも……。

う~ん、良いなぁ、「走れ、グズどもが!」って(笑)
ガイドとして、一度は行ってみたいと夢に見てしまうセリフかもしれない(爆)

Posted by: Ryu : March 20, 2005 03:41 PM

昨日は先走った質問して失礼しました。
前後編を通して読むとRyuさんの主張が理解できました。

せっかくの3連休、花粉症にやられて身動きできない私としては、明日も長文を期待してしまうところです。
楽しみにしてます。

Posted by: R : March 20, 2005 05:28 PM

>Rさん
こんにちは。
花粉症ですか、お大事になさってください。
今年はなんか花粉量が多くて大変のようですね。

前編でのコメント、ホント感謝しています。
後編も骨子はこの通りだったんですけど、コメントいただいたことによって大幅に見直しできました。
あれをいただかなかったら、もっと乱暴な論になっていたと思います。
また今後もバシバシ突っ込んでいただければと存じます。

でも、今日は長文勘弁してください。
休日出勤なんですよ(^^;

くれぐれもお大事になさってください。

Posted by: Ryu : March 21, 2005 06:42 AM

アッサムをIllyのエスプレッソに急遽変更して眠い目をこすりながら読破しました~(笑)。
子供を寝かしつけた後だったので睡魔と闘いつつ。

で、前後半ともに読み終えて「ヴォランティア」と「ツーリズム」はやはり相容れないものという前提に、では逆に「何故『ボランタリー・ツーリズム』という発想自体が生まれたのか」という事が頭をちらつき始めました。

日本のヴォランティア活動の「特性」(という言い方を敢えてしておきます)として、始めにヴォランティアをする人間側に「自分はこういうことがしたい」という意思が明確になっている場合が多いというのがあると思います。この「したい事」があるが故にそれをツアーのコンセプトにすり替えるという小細工が出来てしまうのが問題の一部なのではないかと。

良い具体例が急に思いつかないので、説明の為に比較例を挙げるとまたまた米国との比較になってしまって申し訳ないのですが、こちらのヴォランティアというのは自分のスキルや余っている時間を丸投げで奉仕する(例:選挙事務所をいきなり訪問して電話番をするなり逆に勧誘電話のロータリー作戦の人海術に参加したり)わけですが、日本の場合はどうも言い方は悪くなりますがヴォランティア側の方にやりたい事の選り好みが見られるような気がして仕方がないのです。
新潟の地震の際も実はコンピューター入力系の人手が一番足りなかったのに人道支援系のヴォランティアばかりが集まったというような事を耳に挟みました。
ということで、ヴォランティア活動自体が現地のニーズに合わない=ヴォランティア自身に活動のアジェンダがあると、いうことは、それを逆手に取れば目的がはっきりしたツアーであれば、しかもそれにヴォランティアをしましたというオイシイ「手土産」も付くとなれば、参加者の自己満足度は確かに高い「商品」になるかも、という事なのでしょうか・・・


あいにく昨日九州北部で大きな地震がありましたが、あの離島の状況を見てヴォランティアをする個人は少なからず居ても(人道的に被災者を助けたという充足感は一番受けやすいでしょうから)、天神の交差点のビルの窓ガラスがあれだけ割れているのを見て「わが社のガラス窓用製品の方が耐震性に優れています」といって商品や技術者を送り込めるようなヴォランティア意識というのはないんだろうなぁ、と思いっきり斜めスタンスでニュースを見ていました。
それこそ、そんな企業があればそれこそ間接的に贈与経済と市場経済が企業PRで繋がったトライアングル形ビジネスモデルでも出来るかもしれないのに。

眠い目をこすりこすりで、書いている事が支離滅裂なので(ハイ、自覚しております)適当に流してくださいマシ~>皆さん。

Posted by: MM : March 21, 2005 08:02 PM

う~ん、鋭い洞察。

僕が前編で「ヴォランティアに頼らざるを得ないツーリズムの現状に対する議論は棚上げ」と言いましたが、この考察ですべてが語られているかもしれません。

僕もちょいと酔っ払ってるんで、熟考したわけじゃないんですが(笑)

しかしこの「ヴォランティア」と「ツーリズム」の関係を扱ったこのトピック、こう考えるといろいろ広がりがありますねぇ。
「ヴォランティア」っていう概念そのものが、いろんな問題を含んでいて、海外との比較まで持ち出すと本当に面白い。

Posted by: Ryu : March 21, 2005 10:37 PM

市場経済と贈与経済の融合はフェアトレード運動などで試みは始まっていますね。ボランティアやドネートに積極的に取り組んでいる企業の製品を優先的に購入するというような動きもあります。直接この問題を扱っているわけではないですが、松井彰彦さんの取り組んでいる「文化の経済学」なども、全てをアメリカ式のwinner takes all型市場に任せるのではなく、市場の振る舞いの地域差を積極的に認めて、より多くの人が人間の尊厳を確保出来るような市場経済を目指していると言えるでしょう。

Posted by: Hokulea2006 : March 22, 2005 12:19 AM

フェアトレードは、まさしく両経済の融合実験ですね。
個人的には10年以上前から気にしてみているのですが、ココに来て少しずつ認知度が高まっているようで、嬉しいです。

「人間の尊厳を確保出来るような市場経済」、ホント実現して欲しいです。
金が人間の尊厳を踏みにじり、金のために人が命を落とすような社会は、どう考えたっておかしいです。

Posted by: Ryu : March 22, 2005 10:42 AM
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