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March 19, 2005

ツーリズムは、ヴォランティアを必要としているか?〈前編〉

【予報】
[地上気象] (モトゥエカ)
晴れときどき曇り朝のうち曇りときどきにわか雨、後晴れ。風おだやか。(高)24度、(低)13度。

[海洋気象] (エイベル)
 変風10ノット、午後シーブリーズ。海況はおだやか。

[潮汐表] (ネルソン)
 High 04:42 AM 3.0 m  Low 11:33 AM 1.8 m
 High 05:14 PM 3.0 m  Low 11:25 PM 1.8 m

天気図
© Copyright Meteorological Service of NZ Ltd

朝起きると庭がかすかに濡れてた。夜半に降った模様。
 マラハウはもっと濡れてて、ついさっきまで降ってたらしい。カヤックを引っ張り出して準備をし始めた頃から再度小ぬか雨が降り始め、お客様が到着したころはけっこうな小雨。ただ出発時にはほぼあがってたし、その後はだんだんに雲も薄くなる一方。海況は予報通り超ベタ凪。
 午後は晴れ時々曇りといった感じ。昨日までの暑さはどこかに行ってしまった。 sbh 8

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本日いっぱいでサマータイムは終わり。あぁ、ついに……。

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ときどきお邪魔してる大変興味深いブログを久しぶりに覗いたら、モロに僕の守備範囲の話題があった。しかも僕の主張と真っ向からぶつかる論旨。さっそくとりあげる。

 ◇”まちづくり”便利帳「ボランタリー・ツーリズムという発想」

 管理人cheolsaito氏は素人さんじゃないので、久々に遠慮会釈なく書かせていただく。

 もちろん久方ぶりの超長文。お茶でも淹れて長期戦の構えでどうぞ(と書いたんだけど、あんまり長いから前・後編に分けることにした。それでもやっぱり超長文だから、やっぱりお茶淹れてきた方がよろしいかも)。

まず結論から書く。
 ニュージーランドのツーリズム業界の末席に列するようになってから、痛感していることがある。ツーリズム・ガイドは、アマチュアのヴォランティアにはとうてい勤まらない、極めてプロフェッショナルな業務だということ。

 日本でグリーンツーリズムやエコツーリズムを始めとする地域ツーリズムが今ひとつ定着しなかったり、おかしな具合に曲解された殿様商売になっていたりする現状には色んな要因があると思うが、中でも「善意だが、まともなガイディング技術を持たないアマチュア・ヴォランティアに頼っている」というのは大きな問題点の一つだと思う(そうせざるをえない現状に対する議論をするスペースはないので、今回はあえて棚上げする)。

 上記のエントリーで、

 ボランタリーなツーリズムは、決して真新しいものではない。これまでも農山漁村の体験と交流を通じたグリーンツーリズム、植林やゴミ拾い等を含むエコツーリズムは、ボランタリーな精神を含んでおり広く認知されるようになった。
と述べられている。
 「真新しくなく」、しかも「広く認知されている」というのが事実であると仮定しよう(疑問はあるが、とりあえずそれは脇に置く)。では、にもかかわらずこの種のツーリズムが日本ツーリズム界、あるいは日本産業界の起爆剤となりえていない現状はどう説明できるのだろう? むしろ逆に、ヴォランティアとツーリズムの相性そのものに問題点がある証しではないか?

 そもそも根本にある「グリーンツーリズムやエコツーリズムは、ヴォランタリーな精神を含んでいる」という定義そのものは、果たして正しいのだろうか? 適切な考察なのだろうか?

 上記ブログのエントリー、お気持ちはよぉく分かるし、問題提起としては非常に大切なテーマだと思うものの、それが業界側からの提案という点を鑑みると、その定義や方法論には、僕はあくまでも反意を表明する。

 つまり、本日(と明日)のメインタイトルは「ツーリズムは、ヴォランティアを必要としているか?」だが、僕の答えは「No!」であり、サブタイトルはズバリ「ツーリズムは、ヴォランティアを当てにするな!」である。

さて、古くからの読者諸氏にはもう言うまでもないことだが、僕は以前から「プロガイド論」というコンテンツでこの業界の似非プロ、似非ガイドを批判し続けてきたし、このブログでもプロガイドのつぶやきシリーズを始めとして「プロフェッショナル・ガイド」という立場にこだわったエントリーも多くアップしてきた。

 なぜなら「ツーリズム」という産業は、まぎれもなく「サーヴィス業」の一つであり、冒頭で書いたとおり「サーヴィス業」はアマチュアや似非プロの手には余ると考えているからだ。
 これらの駄文は、いちおう商業シーカヤック界に絞った書き方をしてきているが、他のすべてのツーリズムへの読み替えを想定して書いていることも付記しておくし、それ以外のサーヴィス業への読み替えが可能なことを指摘してくださる方も多いこともあわせて書いておく。

ここでいきなり脱線大魔王の得意技。いや、ホントは脱線ではなく定義なんだけど。

 日本では「サーヴィス」という言葉が「無料」という風に曲解されている。「代金割引」や「無料」のことを「サーヴィスする」と表現するが、むしろ本来の意味よりもこちらのニュアンスの方が多用されているくらいだろう。通販サイトを見ても「\5,000以上お買い上げで送料サービス!!」などの記述が多い。

 しかし本来「service」という英単語には、「無料」という含みはない。
 ちょうど昨日までやってたスリーデイ・ツアーでもジャパングリッシュ(和製英語。Engrishともいうらしい)の話題が出たので、「stearing wheel → ハンドル」などと一緒にこの例も挙げたが、欧米人にかなり不思議な用法だったらしく、ひとしきりその話題で盛り上がった。

 ここで「正しい英語の用法は」などと講釈をたれるつもりも、「誤用だ!」と目くじら立てるつもりも毛頭ない。言葉は生きている。時や場所や応じて柔軟に意味合いが変わるのは当然だし、だからこそ面白い。

 ただし日本においても、「サーヴィス業」という言葉の場合は、「無料奉仕産業」とか「ヴォランティア産業」という意味ではない。「接客業」だ。
(厳密に言えば「サーヴィス業」の中には直接接客しないものも多く含まれてくるので、本来ならもう少し広義に訳すべきだろうが、今日のところは「接客業」ということにしておく。)

 ここのところ、本題に関わるので、キチンとおさえておきたい。
 そもそも、ツーリズムにヴォランティアという概念を持ち込む発想も、結局根っこのところにこういう混同があるのかもしれない、というのは邪推すぎるだろうか?

さて、話を戻す。
 「サーヴィス業」の目指すところは、もちろん「顧客満足」。ま、どんな産業だって顧客満足は無視できないのだが、「サーヴィス」そのものを売る産業においては、特にそれが顕著。なんせそれ以外には売るものがないのだから。
 よって接客には、相当な自己犠牲を強いられる運命にある。その代償としてギャラを受け取るのだ。ホテルマンしかり、床屋しかり、アウトドアガイドしかり。

 ところがややこしいのが、ヴォランティアもまた自己犠牲を捧げる存在であるという点。ここにも誤解、勘違い、混同の入り込む余地があるようだ。

 ただ両者の違いはギャラを受け取るか否かだけではないことに注目したい。そもそも双方の「自己犠牲」は、目的や方向性がまったく異なることに注意が必要だ。
 サーヴィス業のプロの「自己犠牲」は、「顧客満足」のために捧げられたものだ。
 それに対して、ヴォランティアの「自己犠牲」は、あくまでも「自己満足」のための方便なのである。

ここで改めてお断りしておくが、僕はヴォランティアを悪く言うつもりはさらさらない。「自己満足」という言葉を持ち出すと、「けなされた!」とお怒りの方もいらっしゃるかと思うが、そのつもりは微塵もないどころか、彼らの善意や志、行動力には、心から敬意をはらう。

 ただし、やはり両者の間には、越えがたい深い深い溝があるのは事実。
 それは結局「生活をかけてギャラを受け取っている」か、「本業の余暇を利用した、別段やらなくても生活に困らない活動」かに起因するのだが、これが「責任」とか「背水の陣」とか「プライド」とか「プロの技」とかの差として現れてくる。これらが欠けるとサーヴィス業はつとまらないことをキチンと理解していただかないと、本稿の話は進まない。

 この違いを一言でまとめる際に、「顧客満足」と「自己満足」という言葉で言い表してみただけのこと。別な表現法もあるだろうが、こういう言葉しか思いつかなかった。特に他意はない。気に触った方には、お詫び申しあげる。

 つまりヴォランティアとプロとは、同じ「自己犠牲」を捧げる存在ながら、目的が対極であり、ゆえにその立ち位置が同じでも、目線は別の方を向いている、ということが言いたいのである。

これを言うとまた叱られるかもしれないが、どうか怒らずに聞いていただきたい。
 どうも日本人には、ヴォランティアを美化しすぎる傾向があり、逆に金を取るのを「汚い」とさげすむ傾向があるようだ。
 世界的に見れば拝金的傾向が相当に強い民族なのに、同時にこういうメンタリティを持ち合わせているというのは非常に面白い矛盾であり、これはこれでまた別のテーマとして大変に興味深いのだが、それはまたの機会に譲る。ともかく、そういう傾向があることは事実。

 確かに「ヴォランティア精神」は尊いし、「動機が金」というのは分かりやすい反面、俗な印象を受ける。僕自身だってそういうイメージを持っている人間の一人だ。

 しかし、金を受け取るからこそ生まれる「責任感」があり、またその逆の「無責任さ、気楽さ」もある、という点を無視してはならない。

 これについて、敬愛する魚柄仁之助師が面白いことを語っている。

 どんなに環境保護を叫んでも、自然の大切さを叫んでも、体制はそう変わりません。
 じゃぁ、環境や資源の問題にどう取り組んでゆくのか?
 リサイクル運動に代わるものは?
 あたしはそれがリサイクル産業だと思います。善意や正義感で動く運動より、利益を求めて動く商売の方がより人間をかきたてると思うんです。江戸時代のクズ屋と同じです。
 あたしの子供の頃だって、磁石で鉄クズを拾い集めりゃ5円になりました。善意や正義感で空き缶を集める方が変なんじゃないかと思いますが、そうでもしなきゃ成り立たんほど、今日の消費状況はおかしくなってるとしか思えません。
  『古道具屋さんの経済原論』魚柄 仁之助 飛鳥新社 P.242より)
 師は環境問題、資源問題に関しても、ヴォランティアの力は当てにならないと看破し、ご自身は徹底的に営利を主眼にやってきたがゆえに生き残ってきたし、それゆえにこれからもモチヴェーションを維持でき、大きな効果も生み出せる、という。また江戸時代が徹底したゴミレスリサイクル社会を実現していた理由にも、「商売」としてそれが確立していた点を指摘している。

 慧眼だと思う。ヴォランティアが流行れば、その機動力もバカにならないが、流行は去るかもしれない。しかし、この資本主義社会が続く限り、金のもつ威力はそうそう変わるものではない。

 これは、ツーリズム産業にもそのまま読み替えがきく。
 僕自身は、金、金、金っていうのは大嫌いで、消費社会にもどうもうまく馴染めない性質。それゆえに自給自足的手作り生活を求めてニュージーランドに移民までしちまった。
 しかし、師の人間観察には全面的に賛成するし、僕自身だって例外じゃない。

 実を言えば、今の「環境保全」だの「エコロジー」だの「エコツーリズム」だの「グリーンツーリズム」だのは、僕は一過性のブームだと見ている。ブームで終わらせてはならない大切なテーマを多く含んでいるが、しかしながら多くの人は時代や社会が変われば、舌の根が乾かぬうちに別のことを唱え始めるだろうと思っている。10年前のアウトドアブームと同じように。例えば、今の中国の世論が、果たしてエコを唱えるだろうか?

 ただ、それが産業として確立すれば話が少々変わってくる。サステイナビリティ(永続性)ということは、この手の環境問題、エコロジー問題に必ず出てくる言葉で、最近は日本でも市民権を得はじめた用語だが、産業として確立して「商売」として市民生活に溶け込むことは、すなわち強力なサステイナビリティを手に入れることに他ならない。ヴォランティア精神だけでは、サステイナビリティはなかなか確立が難しいのではないか? 飛ぶ鳥勢いの中国でも「エコツアーが儲かる!」となれば、世界最先端レヴェルの上質なエコツアーが定着する可能性はあるのだ。

 商売が流行に左右されるのは言うまでもないが、ヴォランティアも別の意味でやはり流行に思いっきり左右される。いや、ある意味商売以上に影響を受けやすい側面も強い。

 ゆえに僕は、ある特定分野においては、ヴォランティアよりもプロを信頼する。サーヴィス業も、その中の一つである。

さて、ヴォランティアの方に偏りがちになってきた話を、再びサーヴィス業の方に戻す。
 サーヴィス業とは、文字通り「対価を受け取って、サーヴィスを提供する」という産業である。つまり、提供すべきは「顧客満足」であり、この満足度と支払った対価の関係が「費用対効果」としてあらわされることになる。そして「プロのプライド」は、「自分の技術が顧客満足に直結する」という自信に由来する。

 ところが、ヴォランティアは「自己満足」を目的とした存在であり、「無給」で動いている存在ゆえに、「費用対効果」を意識することが難しいし、「責任感」もプロには遠く及ばない。「ヴォランティアのプライド」は、「自分は無給で善行を行っている」という利他的、自己犠牲的な自分の行為自体に由来する。
 どれも見ても、サーヴィス業に不可欠な「顧客満足」を保証するには、はなはだ危なっかしい。

 実際にヴォランティアの現場では「善意の押し付け」によって迷惑をこうむり、しかも相手が善意であるがゆえに文句も言えないという話がよく出てくる。
 プロならば顧客のニーズに敏感にならざるをえないし、顧客側も金を払っている気安さからクレームもつけやすいので、ヴォランティア相手の場合ほど問題はこじれにくい。

 これが、「サーヴィス業というのは、極めて専門的な技術を要するプロフェッショナルな職業であり、素人のヴォランティアに勤まる仕事ではない」というのが僕の基本的なスタンスの理由である。
 もちろん、サーヴィス業の最たるものであるツーリズム業についても、まったく同じことが言える。
(ここで念のため申しあげておきますが、ダメプロとか、例外的にプロを超える能力をもつヴォランティアとかの「例外」は、脇に置いといてください。あくまでも一般論ね。)

もう一つ別の側面から「サーヴィス業のプロ」という存在について見ておく。
 世の「プロ」の中には、「金なんぞもらわなくたって、これだけやってりゃ幸せ」という人もたくさんいらっしゃる。例えばコンピュータのプロは金が入らなくたってキーボードを叩いてプログラムを組むだろうし、ミュージシャンは楽器をいじって曲を書き、画家は絵筆を握って絵を描くだろう。実際、仕事を終えて家に戻ってからも、プライヴェートな時間にそれらをする人は多いだろうし、それがプロのプロたるゆえん(あるいは「業」)でもあると思う。

 が、同じプロといってもサーヴィス業の場合はお客様がいらっしゃらないと実践できないという点で、上記のような「技術系プロフェッショナル」とは完全に一線を画すことに注目したい。家に帰ってから趣味で「接客」をしてしまうサーヴィス業のプロがいるだろうか? まずいないだろう。というより、「顧客不在」で「接客」をするのは、基本的にはムリだ。

 言い換えれば、ツーリズムなどの「純然たるサーヴィス業」は、「お客様あってのサーヴィス業」なのである。画家やミュージシャンとは根本的に違う。
 もちろん画家やミュージシャンだって、広義では「サーヴィス業」に含まれるのは間違いない。ただし、顧客不在で実践が可能か不可能かという点では、「純然たるサーヴィス業」とは大きな差がある。つまりここで「サーヴィス業」と呼んでいるのは、「狭義の純然たるサーヴィス業」の方である。
 ちなみにシーカヤック・ガイドも、プライヴェートでパドルを握って遊ぶことはあるだろうが、これは接客ではなく、仕事とはまったく別の行為である。

 つまりサーヴィス業にとっては、画家やミュージシャンとは比較にならないレヴェルで「お客様が大切」なのである。存在価値そのものなのである。
 よって最初の方で書いたとおり、「顧客満足」や「費用対効果」を無視したサーヴィス業というのは、ありえないということになる。
 別の言葉で言えば、「オレの芸術が分からないなら、帰ってくれ」というのは、画家やミュージシャンには許されるかもしれないが、サーヴィス業には基本的には許されないという事である。

 その点でも、サーヴィス業とヴォランティア=「自主的・自発的に何かをする人」とは、言葉の定義上もまったく馴染まない。

つまりそういうわけで「ヴォランティア・ガイド」という言葉は、僕の辞書の中には存在しない。「プロの学生」とか「アマチュアの官僚」と同じくらい矛盾した「ありえない言葉」だと思っている(ただし、「プロのガイドが、ヴォランティアをする」ということは、当然ありうる)。

 よって同様に「ヴォランタリー・ツーリズム」も、僕的にはありえない言葉だ。
 最初に結論を書いたが、これでようやく論拠が出揃った。

 ヴォランティアなんぞに任せるから、いつまでたってもツーリズム業界に目立った成果があがらないのではないか? 日本のグリーンツーリズムやエコツーリズムを見るが良い。どれだけ「顧客満足」や「費用対効果」を無視した、「自己満足」のクソツアーが満ち溢れているかを。痒いところに手が届くどころか、「痒い? 勝手にかけ。いちいちそんなことでこっちの手を煩わせるな!」といわんばかりの殿様商売が山ほどあるじゃないか。
 これは、僕が常々批判している似非プロの問題なのだが、実は彼らの大半はヴォランティアか、それに近い存在だったりするという事実は無視できない(ちなみに、ちょうど昨夜ニュージーランドで規定以上の人数を連れてツアーをやっていた日本人トレッキングガイドのことが報道され、この業界ではホットな話題になっているが、あの会社はヴォランティアに毛が生えたようなワーホリのアルバイト・ガイドばかりを使っていたので、どうせそのうちこういう問題が出るだろうと思っていた。なんで日本人はこうなっちまうんだろう? 恥ずかしいったらありゃしない……)。

 本当に顧客が満足しているならば、年々すごい勢いで業界が拡大していなきゃおかしい。
 これって、「金を取る代わりに責任を持つプロ」が少ないからに他ならないんじゃないのか?

 余談だが、つい先日まで僕は「エコツーリズム」とか「グリーンツーリズム」という言葉が大嫌いで、僕自身を「エコツアーガイド」と呼ぶ人には「違います!」とむきになって否定してたりしたものだが、これって上記のようなクソツアー、クソガイドの仕事ぶりのイメージが強く、本来のエコツアーとかグリーンツアーを勉強しないままに食わず嫌いをしていたためだ。あんな連中と一緒にしてくれるな、こっちはプロだ、という意識が強かったのだ。だから、僕は自分のことを「観光ガイド」と称していた。
 もちろんこれは僕自身の勉強不足が悪いのだが、でもプロの僕にしてそうなんだから、冒頭に書いたように、きっとクソツアーのせいで悪印象を持つ人は少なくないはずだ。そもそもすべての人が勉強して理念を知っているわけではないので、それは無理からぬことだと思う。

 ちなみに今の僕はエコツーリズムやグリーンツーリズムの基本理念は理解しているつもりだが、それらが根本的に抱える大きな矛盾に関しては今もなお思いっきり疑問視しているので、これらのツーリズムを全面的に肯定したり推奨しているわけではないことを付記しておく。
 ただ、以前とは違って「一緒にしてくれるな」などと突き放して考えることはやめた。今は自分自身も取り組むべき問題ととらえ始めている(でなきゃ、こんなエントリー書かないわな)。

閑話休題。
 ここまでヴォランティアを排するような話ばかりしてきたが、かといって僕はすべてのヴォランティアを否定しているわけではない。ヴォランティアでも構わないものもあれば、ヴォランティアであることが望ましいものもあるし、ヴォランティアでなくては勤まらないものもあることは認めている。

 例えば救援活動はヴォランティアの力が不可欠だ。プロである警察、消防、自衛隊、医療関係者だけにレスキューを任せておけ、なんて暴論を吐くつもりはない。
 あるいはPTAや町内会の活動なんかは、ヴォランティアで運営されるべきだ。

 これらに共通しているのは、「顧客を相手にするサーヴィス業」ではないということである。

 つまり被災地に関していえば、「救援活動」と「経済復興のために観光客を呼び戻す活動」は、まるっきり分けて考えなくてはいけないわけだ。前者にはヴォランティアの力が必要だが、後者のためには不要なのである。

ただし、サーヴィス業の現場に「お手伝いします!」と名乗りを上げてくださったヴォランティアの方々に向かって「君らは不要だ。引っ込んでろ」っていうのは、ちょっとお門違い。ここのところを誤解されると困る。

 ヴォランティア志願があれば、ツーリズムの現場といえども、それを退ける必要はないと思う。
 実際問題、日本の地域ツーリズムやグリーンツーリズムは、ヴォランティアの手で運営されている例も多い。お忙しい本業の傍ら、僕らプロから見ても頭が下がるほどの努力をなさっているヴォランティアの方々の存在も、僕自身よく存じあげている。
 例えば「障害者カヌー」の活動をしている友人もいる。あるいはネット上で知り合った人には、離島で光るキノコを案内するユニークなエコツアーを運営してる方もいらっしゃる。もちろん両者ともヴォランティアである。

 そういう方たちに「ヴォランティアは引っ込んでろ!」などという資格は、僕にはない。それどころか、彼らの努力を自分自身への戒めとしているし、協力することが務めだろうとも思う(だからこうして長文を書いてる)。

 つまり、僕が「ツーリズムはヴォランティアじゃダメだ」ということを言いたい相手は、ヴォランティアの方々ではない。
 今の僕は、あくまでもプロの側、業界の側に話しかけているのである。つまりプロの側、業界の側が、ヴォランティアを当てにするという姿勢がダメだと戒めているのだ。
 現状の「ヴォランティアに頼らざるを得ない」というツーリズムの現状を恥じ、ヴォティアを一人でも減らして、逆に一人でもプロを増やすことを心がけるのが、業界側の務めだろう。
 逆にヴォランティアの力を当てにしてツーリズムを盛り上げようなどというのは、ツーリズムやサーヴィス業と、ヴォランティアのことを理解していないたわごとではないか? そういう発想が、アマチュア側、ヴォランティア側から出てくるのは、むしろ健全なことだと思う。しかし、プロの側からそういう発想が出てくるのは論外だ。たとえば「障害者向けのカヌーイヴェント」といえば、すぐにアマチュアのヴォランティアをかき集めようとする業界側の姿勢を批判したいのである。

 つまり、冒頭に挙げたブログエントリーが、仮に地域ツーリズムを憂うアマチュア・ヴォランティアの有志の手によるものだったならば、僕はこんなエントリーを書いたりしない。逆に応援エントリーを書き、その存在を広く知らしめるお手伝いをしたことだろう。
 逆に今回こうして辛らつなエントリーを書いているのは、管理人氏が「業界側」に属する方だからである。

余談だが、このように素人さんに向かうときと、同業者に向かうときで、あたかも「ダブルスタンダード」とも思われるほどまったく違う反応を見せるのも、まさしくサーヴィス業のプロの特徴の一つである。ま、当たり前のことだぁね。

 でも、この「当たり前」がなかなか厄介。
 というのも今の日本の「地域ツーリズム」を語る場では、往々にしてプロとヴォランティアが入り混じるからだ。つまりまったく同内容の発言に対しても、僕としては相手がプロがアマかによってまったく反対の態度をとらざるを得ないことがあるのだ。ほとんどの人には、それがダブルスタンダード、二枚舌に映ることだろう。残念ながら、今の日本には「あぁ、プロ相手と、ヴォランティア相手で、ちゃんと言い方を変えてるな。さすがプロ」と理解してくれる人は、ほとんどいない。
 だから、協力はしたいのはヤマヤマだが、下手に発言すると大いに誤解を招くだろうなと腰が引け、発言を控えてしまうこともないではない。
 まぁ基本的には無責任な外国人ガイドの立場を利用して、けっこう奔放に発言してしまうが。

 これが僕にとって日本の同業界の厄介な点の一つとなっているのも事実だ。

さて、本日分が終わりに近づいたところで、僭越ながら私事を書く。
 僕は、シーカヤックガイド以外にも物書きの看板も上げているが、両方に共通して心がけているには、只働きをしないということだ。言い換えればヴォランティアをやらないように気をつけている、ということ。

 これは、自分自身への戒めだ。
 僕は元来、金を取るのが苦手で、ともすると「あぁ、お金なんか要らないから」と言ってしまう性質。
 しかし、一度業務でやり始めたことを、その後に無料奉仕でやると、どうしても「これは金もらってないんだから、やっつけ仕事で良いや」となる。当たり前の態度だ。
 ところがこの当たり前が、プロにとっては大きな罠。一度「手抜き」という「厄介な技術」を身に着けてしまうと、その後も仕事が荒れてしまうからだ。

 僕はこれがイヤなのだ。

 ライターとしては駆け出しで、仕事のえり好みを出来る立場ではない。しかし上記の理由で、無料で書けという執筆依頼はすべて断る(驚くなかれ、出版界もまたイビツな世界で、無名ライターにはかくも非常識な依頼がけっこう来るのだ)。いや、駆け出しだからこそ断っている。今は手抜きを覚えたくない。
 駆け出しは無料の仕事もどんどんこなして将来へのステップにするべきだという考え方もあるだろう。もちろんそういうやり方も、否定はしない。でも僕はそういうスタンスじゃない。
 逆に「零細ゆえに些少で失礼は承知ですが、原稿料○○円でお願いできますか?」という形の依頼ならば、たとえそれが目まいがするような少額でも、基本的には二つ返事で請けるようにしている。値上げ交渉はその後関係作りが出来てからでも遅くない。
 つまり金額の多寡にかかわらず、ギャラをもらってそこに責任を発生させることが大切なのだ。

 シーカヤックだって同じ。パドルを握って接客する以上、安全とサーヴィスには全責任を持つ。そのためにギャラは取る。それが僕のプロフェッショナリズムだ。

 別に「オレは遊びでやってんじゃねぇんだ、仕事だ。遊び半分でやってるヤツと一緒にするな」などと、よく聞くようなセリフを口にするつもりはない。僕はあのセリフは大嫌いだ。「仕事」が「遊び」よりエライなどとは、まったく思わない。むしろ、「仕事」でやってるよりも、自発的に「遊び」でやってる人の方がエライと思うこともあるほどだ。
 しかし、「ギャラに付随する責任」というものの存在があるのは事実であり、その点を言ってるだけに過ぎない。

 ただしそんな僕も、上で書いたように、目の前で緊急事態が起これば、「救援活動」としてロハでパドルを握ったりキーボードを叩くこともやぶさかではない。

 僕が大声で、「接客業」における只働き(=ヴォランティア)の存在価値も認めないと主張できるのも、こうしたポリシーあってのことである。

さて、ここからいよいよ冒頭挙げたエントリーに言及するところだが、すでにやたらに長くなってしまったので、ここから先は明日また改めて。

関連過去ログ【英語】
 ◎アルミコーティングのチタン!? (2004年4月14日)
 ◎キウィ英語と米語 (2004年4月15日)
 ◎続・キウィ英語と米語。 (2004年10月6日)
 ◎クッカー? スキレット?? (2004年10月21日)
 ◎[ 自由テーマ ] 規格、そろそろ統一しない? (2004年12月13日)
 ◎「セミ」と掛けて、「食べる」と解く。 (2005年1月7日)

関連過去ログ【ガイドのつぶやき】
 ◎その1「怖さについて。」 (2004年10月7日)
 ◎その2「過保護について。」 (2004年10月8日)
 ◎その3「プロの基準について。」 (2004年10月9日)
 ◎その4「互助について。」 (2004年10月12日)
 ◎その5「トウイングについて(前編)。」 (2004年10月13日)
 ◎最終回「トウイングについて(後編)。」 (2004年10月14日)
 ◎番外編「老兵は語るべきか、去るべきか?」 (2004年11月13日)
 ◎番外編「自己責任と、クラス区分。」 (2004年12月25日)

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投稿者 Ryu : March 19, 2005 08:59 PM
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Title: ツーリズムは、ヴォランティアを必要としているか?〈後編〉
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From: Ryu's Logbook ニュージーランド在住シーカヤックガイドのlogbook(=航海日誌)
Date: 2005.06.17
Title: 団塊とサーヴィス
Excerpt: ■そうなんだよなぁ。  ◎nikkeibp.jp「団塊世代とスポーツ(2)」  これは、僕らのようなアドヴェンチャー・ツーリズム業者も気づいてて、たとえば先月8日に京都で会合があったの...
From: Ryu's Logbook 別冊
Date: 2005.10.06
コメント

Rと申します。いつも楽しくブログを読ませて頂いてます。
さてRyuさんの今日のエントリーと「”まちづくり”便利帳…」とを読み比べて少々疑問に思ったことがあるので、コメントさせていただきます。

先ず、「”まちづくり”便利帳…」で提言されている『ボランタリー・ツーリズム』というのは、「後ろめたさ(被災者の皆さんが苦労されている地域へ観光(遊び)に行くのは、気が引ける)」のために、復興後も被災地の観光業界が冷え込む現象への解決策として、
ステップ1.費用負担を補助し救援活動に来る人(ヴォランティア)を、積極的に呼びこむ。
ステップ2.人の往来があれば、観光目的のツーリストも復旧後の被災地を気兼ねがなく訪れ易い。
という論旨だと理解しています。乱暴ににまとめると、
・「ヴォランティアをツーリストとして扱おう」
という考えではないでしょうか。

一方、Ryuさんが従来から仰っているのは、「ツーリズムという産業では、サービス提供者はプロフェッショナルが従事すべき」という主張だと理解しております。少々Ryuさんの考えとズレがあると思いますがが、先ほどのまとめに表現を合わせると
・「ヴォランティアをガイドとして扱うな」
となるでしょうか。

そこで(ここまでの双方に対する私の理解が正しいなら)、Ryuさんの主張と『ボランタリー・ツーリズム』は「真っ向からぶつかる論旨」というより、異なる事象に向けられた提言ではないのか、と言う違和感を覚えました。

件の『ボランタリー・ツーリズム』の考えも、「ヴォランティアの力を当てにしてツーリズムを盛り上げようという考え」だといえば、たしかにそうですが、Ryuさんの「業界の側が、ヴォランティアを当てにするという姿勢がダメだと戒めているのだ」と言う記述に、客としてのヴォランティアを当てにするという行為も含めて仰ってるようには思えません。
とすると、今日のエントリーは、Ryuさんも引用されておられる「”まちづくり”便利帳…」の一段落目の定義だけに対する議論だったのでしょうか?
それとも、「”まちづくり”便利帳…」に対する私の理解とRyuさんの理解がことなるのでしょうか?

後編を読む前にコメントをするのは失礼かとも思いましたが、今後のエントリーの趣旨を理解するためにも質問させて頂きました。

それでは、後編も楽しみにしています。

Posted by: R : March 20, 2005 02:38 AM

日本語って難しいですね。
僕が読んだところでは、
「ボランティアの人」≒「観光客」
「復興活動支援」≒「アクティビティ」
のようにしていこうという提言と解釈しました。

Posted by: Miya : March 20, 2005 04:01 AM

「サーヴィス業」のみならず「ヴォランティア」という言葉や概念自体も既に一人歩きをしてEngrish化してしまっていると自分は感じています>ジャパン。
問題のややこしさはそのあたりにもあるのではないでしょうか。
普段ヴォランティアに明け暮れている身としては、日本の概念には(1)セミプロ意識や(2)イイ意味での自己満足と自己犠牲精神に対する美徳との微妙な兼ね合い、などという物が絡んできてしまっていてプロとの線引きがどんどん難しくなっているのでは、というのが自分の感想です。
こちらのヴォランティアもあくまでも「隙間」業、処理能力がいくら高くてもプロの様には意思決定が絡まないと言う感じですね。
逆にそういった能力の高いヴォランティアの場合は、あらかじめその方面・業界にキャリアを求めている人間だったりする場合が多いですし、又逆に周囲から「脱」ヴォランティア(=すずめの涙であろうとお給料をもらってプロの仲間入りをする)を勧められたりしますしね。

>またその逆の「無責任さ、気楽さ」

も、プロの方々の

>金を受け取るからこそ生まれる「責任感」

というブランケットに守られている、と言う事を自覚してこそ、の事ですし、又ヴォランティアに関わるプロの方には必ず自分の「下の」ヴォランティアも含めた責任問題というのがありますし。
そういう縦の関係と言うか縦割りと言うか、はあってしかるべきなのではないかと思いますが。

本日のエントリーでRyuさんが描いているガイド像として、ヒマラヤのシェルパなんがが浮かんできましたけれど・・・
トレッキングにワーホリ程度のガイドツアーが成り立つ段階で、その業者も、ガイドも、お客さんも、三者皆まとめて生ぬるいですね。
基本的に「生」や「自然」の厳しさがわかっていないんでしょう。
まあ、そういった方々はその厳しさあっての美や充実感なんていう物とも一生ご縁がなくって可哀想なんですけれど、きっと。

後半も期待に胸躍らせながら極上アッサムを控えさせてありますので安心して長ーーーーーいエントリーを(笑)。

Posted by: MM : March 20, 2005 08:32 AM

>Rさん、Miyaさん

コメントありがとうございます。

ご指摘の点に関しては、続編で多少論じておりますので、少々お待ちを。
氏のエントリーに「ヴォランティアをツーリストとして扱おう」という含みが大いにあるだろうという事は、僕も感じていますが、とりあえずこの前編は、氏のエントリーの細かいところには一切言及していません。
とりあえず、僕のスタンスを書いてみただけっていうのが、この前編です。


>MMさん
ヴォランティア自体の、国ごとの微妙な違いっていうのは僕も大いに感じてるんですけど、それに話を膨らませるととんでもないので、今回は割愛しました。
でも、基本的にはおっしゃるとおりだと思います、ハイ。


Posted by: Ryu : March 20, 2005 08:54 AM

 ボランティア問題は、障害者関係では多いですね。お金が回らないからボランティア頼みになる→ボランティア依存症になってお金を回さなくてもなんとかなると勘違いしてしまう→ボランティア故にサービスの品質保証が出来ず、サービスを受ける側にもデメリットになる

 例えば手話通訳者はアメリカでは職業として確立しているから、資格を取ればかなり良い年収が期待できるし、それ故技術レベルも高い。日本だと主婦や学生ボランティアに依存してしまっているので必要な時に確実に調達できず、また技術レベルもバラつきが非常に大きい。もちろんアメリカでは手話通訳者は絶対にタダ働きはしないし、させないです。

 ボランティアとはみんながちょっとずつ出し合って一つの大きなものを作っていくという時に最大の力を発揮するものです。コミュニティ形成ですね。これを贈与の経済と言います。しかし現代ではコミュニティ・ベースではなく、個人対個人での取り引きもまた存在していますし、これは通常は貨幣を媒介として行われます。このサービスにはこれだけの貨幣という約束を決めてきちんと支払う。貨幣経済ですね。

 贈与経済と貨幣経済はそれぞれ得意とする分野が違うのですが、これをきちんと理解して、使い分けていかないと、結果として非効率的なシステムになり、誰もが損をする事にもなりますね。しかし、日本社会では特にそうなのですが、誰もが大事だと考えているものほどゼニカネの問題ではないと言い出す。例えば教育。教師は聖職者なんだからゼニカネの話をすべきではないし、24時間365日教師であれと要求する(しかも自分を棚に上げて)。それだったらむしろ教師は出来る人が一切ゼニカネを受け取らずにボランティアで賄うべきでしょうが、それは結局手話通訳者の問題と同じで、品質保証が出来ない(ボランティアにそれは要求出来ない)から、結局は社会全体が損をする。だから教師はプロとしてお金を払って雇われているのですが、そこを理解出来ていない。

 贈与経済システムは「それに関わる全員は自ら何かを差し出す」局面で使うべきであって、「何かと何かを交換する」局面では使うべきではないというのが私の結論です。だから観光ガイドにはボランティアは馴染まないでしょう。

Posted by: Hokulea2006 : March 20, 2005 12:42 PM

 付け加えておきますが、元エントリーの提唱するコンセプトそのものは、ある種の可能性を秘めていると思いますよ。つまりRyuさんも指摘しているように「ボランティアをツーリストとする」という発想です。要するに「ボランティアで来る以上、転んでも泣かない。自分の始末は自分でつける。」というハードボイルドな構造を作るわけですね。「ボランティアなんだから・・・」という甘えを一切許さない、言ってみればただのツーリストよりもハードルの高いツーリストになれる人だけ来て下さいよという事です。

 おわかりのように、これはツーリストを等価交換の世界から叩き出してしまう暴挙なのですが、だからこそツーリストもまたボランタリーなコミュニティのメンバーとなれるわけです。贈与の世界はコミュニティ形成が基本であり、その為には全員が損をしなければいけません。

 ボランタリーなツーリズムの世界にお客さんは存在出来ない。お客さんがいるのであればボランティアは不可能。そう思います。

Posted by: Hokulea2006 : March 20, 2005 01:01 PM

貨幣経済に対する贈与経済の視点、目から鱗でした。
そういえば先日Hokulea2006さんのサイトでも読んだばかりだったのに、今回この件を論じる際に頭から抜け落ちていました。

ありがとうございます。

しかし、大切なことになるほど「ゼニカネじゃない」となる風潮、僕も常々問題だと思っています。
大切なことには、しっかりギャラを払ってプロの技術を担保すべきなのに。
政治家の給料も安すぎるという問題もありますね。
給料を10倍に上げる代わりに、汚職は死罪にするとか。
って、これは脱線しすぎだな(^^;


>ボランタリーなツーリズムの世界にお客さんは存在出来ない。お客さんがいるのであればボランティアは不可能。そう思います。

ハードルの高いツーリストのお話は、本日分の後編に引用させていただきましたm(..)m


しかし、贈与経済は、今後もうちょっと勉強します。
今後大きなキーになりそうですね。

Posted by: Ryu : March 20, 2005 02:30 PM

cheolsaitoこと"まちづくり便利帳"の斉藤哲也です。
Ryuさん、トラックバックありがとうございました。大変熱い議論になっているので、全部拝見できていないのですが、素直な感想として、賛成・反対ともども熱い議論をして下さったこと、拙稿を真剣にお読みいただけたことを大変嬉しく思います。
というのも、私が提案した4つの事柄はいずれも未熟なことを自覚しており、むしろそれを題材に他の皆さんがどのように考えるのか、そもそも観光地の風評被害にどの程度関心があるのかなどを知る為に、あえて書いた事柄です。単に”ここが問題です”というだけでは、只の評論家で、事の進展が期待できませんから(微力ながら、課題解決に向けて動く予定です)。

斜め読みした時点での印象では、Rさんの意見に同感です。私は既に旅行業界を後にし、地域をいかに良くしていくかに関心があるので、立場が全く異なります。ただ、その立場の違いからくる様々な意見が、新しい気づきや刺激となって、新たな価値を生むと私は思います。そういう意味でも今回取り上げて下さったことは、私にとって大いに勉強になり、感謝しております。
厳しい意見を含め、今後とも宜しくお願い致します。

ちなみに、私はここ数年Social VentureやSocial Enterprise、CSR、SRIなどの世界の目覚ましい動きに注目しています。P.F.ドラッカー氏や様々な識者が指摘するように、世界はネクスト・ソサエティに向けてパラダイムシフトを起こしており、ボランティアの形も随分と変貌を遂げつつある、これだけは言えるでしょう。

Posted by: cheolsaito : April 4, 2005 05:32 AM

>cheolsaitoこと斉藤哲也様
初めまして。
コメントありがとうございます。

パラダイムシフトがおきつつあるというご指摘は、確かに僕も肌で感じております。


>私は既に旅行業界を後にし、地域をいかに良くしていくかに関心があるので、立場が全く異なります。

僕自身も今の仕事には体力的な限界を感じており、斉藤さんと同じような形でシフトしつつある過渡期です。
よって、まったく立場が異なるとは思っておりませんで、むしろ僕は今の仕事で見につけたものを、いかに別の立場に応用していくかを課題としています。
日本の地域振興がうまくいっていない現状を外から眺めたとき、ニュージーランドのツーリズム業界で学んだことを応用すれば、解決できるアイディアがいろいろあるなというのが、僕の基本的スタンスです。

が、日本の地域振興は「応用」ではなく、「直訳」が多いのが問題ではないか、と。

つまり常々感じているのは、「世界」と言葉で語られる西洋文化圏の常識は、日本人にとっては本当に「違う世界のこと」で、例えば一口に「ツーリズム」とか「ヴォランティア」と言っても、日本人がイメージするそれは西洋人の言うそれとはまったくかけはなれているという事。
その決定的な違いをきちんと認識しないままに、日本では言葉だけが輸入され、西洋の文法で話が進んでいる印象を受けます。

エコツーリズムの世界では「インタープリテーション」が重視されていますが、そういう意味でこういう大きな視点で地域振興を考える場合も、西洋のコンセプトと日本の認識のずれをキチンと「インタープリテーション」することが重要かと。

どちらにしましても、僕自身もこれから斉藤さんの後を追う形で勉強をさせていただく見ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by: Ryu : April 4, 2005 09:21 AM

大阪のABCラジオのインターネット版で「ニュース探偵局…観光ボランティアについて、お話をうかがいました。」
http://www.asahi.co.jp/webio/frame.html
という番組が聴けます。
奈良の観光ボランティアのNPOの代表の方のお話です。
聴いた感じでは、ボランティアの動機は・・・・定年後の余暇の使い道、って言うのが一番大きいように感じました。
週一更新なので、もしご興味ありましたらお早めに。

Posted by: Miya : April 4, 2005 04:30 PM

Miyaさん、すごくタイムリーな情報、ありがとうございました。

どうやら、この団体ですね。
http://www.e-suzaku.net/


確かにおっしゃるとおり、「引退後のヒマツブシ」ということが、恥も隠しもせずに語られていました。


「応募してきた人、ほとんどを採用」
「平均年齢約63歳」
「知識はテストもしないので、自主的な学習範囲内」
「研修はわずか12回」
「時間厳守」

など、やっぱり僕らが聞くと、素人さんの「ガイドごっこ遊び」にしか聞こえないです。
安全性だとか、顧客満足とかに関する話は一切なく、すべて会の内部、ボランティア間の話に終始し、完全に「お客様不在の自己満足」という、上記駄文の中で指摘したことが、いかんなく語られていて、あらためてガッカリいたしました(^^;

しかし全国合わせると組織数1,000、ボランティアガイド数27,000人というのはショッキングでしたね。
要するに、これだけの「無料奉仕ガイド」が、ツーリズム産業を「善意」で圧迫し、ツーリズム産業全体のレヴェルアップを阻んでいる、というわけで。

イヤハヤ……。

Posted by: Ryu : April 5, 2005 01:09 PM

ご指摘の通りに感じました。

しかしながら、もしも自分がRyuさんのサイトに来たことが無く、
ガイド=サービス業=プロ
の考えに馴染んでいなかったなら、
地元のボランティアガイド+NPO法人=安心+タダ
ってな結論に達してしまったかもしれません。

一般的な概念として、
ガイド=プロの仕事=満足=費用対効果
というのを持ってもらうのは難しく感じます。
特にプロよりボランティアのほうが幅を利かせている現状では・・・。

Posted by: Miya : April 5, 2005 02:50 PM

>一般的な概念として、
>ガイド=プロの仕事=満足=費用対効果
>というのを持ってもらうのは難しく感じます。

おっしゃる通りだと思います。
本文内でも書きましたが、特に日本ではヴォランティア精神を無批判に賛美する風潮が強いため、ヴォランティアを批判すること自体にタブー意識も働くという難しい点があります。

さらに「サーヴィス業」自体に対する考え方も、まだ古く、「上質なサーヴィスに金を払う」という余裕のある消費者よりも、「サーヴィス=割引、無料」と考える人の方が多い。
この辺も欧米とはかなり開きを感じます。

こんな訪問者数の少ないブログで僕一人が論じてみても、なかなか変わっていかないでしょけど、でも誰かやらないと絶対に変わらないのも事実なんで、気長にボチボチやりますよ。
ま、あんまり根気のない人間なんで、どこかで放り出すかもしれませんが(笑)

Posted by: Ryu : April 5, 2005 03:32 PM
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