December 6, 2004
《 自由テーマ 》 プロ論。
■ 【予報】
[地上気象] (モトゥエカ)
晴れる。午後シーブリーズ。最高気温17度、最低気温8度。
[海洋気象] (エイベル)
南西15ノット。海況おだやか。
[潮汐表] (ネルソン)
High 04:56 AM 3.2 m Low 10:48 AM 1.5 m
High 05:33 PM 3.4 m Low 11:42 PM 1.3 m

© Copyright Meteorological Service of NZ Ltd
■ 予報通り、早朝は曇っていたが、すぐに快晴になった。でも、南西が吹いてるからやっぱり初夏にしてはちょっと肌寒い。
■ ウィルソンズの社長に会う用事があり、朝からアポ取りの電話をかけ続けているのだが、さっぱりつかまらん。自分で「月曜の朝一に電話してアポ取ってくれ」って言っておいて、朝から電話するたびに「社長はあと30分で出社予定」と言われ続け、挙句の果ては「午後にならないと出てきません」だと!
こっちにも予定があるんだぞ、バカヤロ。
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■ 極々私的なメモ。
昨夜、久しぶりに愛娘の散髪。一週間ほど前に自分で生え際をハサミでちょん切って500円ハゲを作ってしまったのが良いキッカケになったらしい(笑)

今回は、生まれて初めて「前髪」が作ってみたらしい。ハゲをごまかすため、という噂もある(笑)

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■ スズメレスキュー日記。
スリーデイに出ている間に、二羽とも急に大きくなってビックリ。とくにChibbyが大きくなり、一見しただけじゃChobbyと見分けがつかなくなってきた。
かなり飛べるようになってるものの、ネコに対する警戒感がゼロになってるので、まだ放すわけにはいかない。ココは危ないから使えないけど、ストライピーに協力してもらって、ヤツラを追っかけまわして「ネコは怖いんだぞ!」ってのを再教育しなきゃダメか。
ヤレヤレ。
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■ 先週から始まったリレーエッセイに、おなじみの『にしび~のニッキ』から参加表明!!
ますます面白くなりそうで、ワクワクしておりまするぅ(^^)
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■ さて、「自由テーマ」の第3回目。
本日はちょっと真面目に、硬めの「比較文化論系」のお話をば。
2001年3月執筆の「プロガイド論」を皮切りに、このブログ内でも何度となく「プロ意識」について書いてきた。10月に連載してご好評をいただいた「ガイドのつぶやき」のシリーズも、乱暴に言ってしまえば、要は「プロ意識」について色んな角度から独り言を言ってみたという企画だった。
ところで、「プロ」ってなんだろう?
こんな風に始めると、
「これのどこが『自由テーマ』なんだ? ガイドがどうたらっていういつもの仕事の話じゃん」
というツッコミが殺到しそうだが、今日はガイドの話じゃなくて、世間一般の「プロ」すべてについてポロポロと書いてみる。
■ さて、改めて。
「プロ」ってなんだろう?
ニュージーランド(NZ)に来て、日本との仕事ぶりの違いに驚く方は少なくない。表面的な点しか見ず、金もケチって生活しているワーホリの若い子たちの間では、
「キウィ(NZ人)は怠け者。日本人は勤勉」
という偏見が一般的だ(いや、実はワーホリ君だけじゃなく、良い大人でも「日本人は世界一勤勉」という幻想をいまだに信じている人は少なくないらしいのだが、とりあえず今は便宜的にワーホリ君を代表にしておく)。
ワーホリ君たちにとっては、昼間にラフな格好をして町をブラブラしている人が多いのを見ると、「何なんだこの国は!?」となるらしい。
そりゃそうだよ、ここは一次産業立国だぞ。日本みたいに大多数がスーツに身を包んで9~17時で「宮仕え」しているわけじゃないんだから、そりゃ昼間に町中でラフなかっこうした人がたくさんいるのは当たり前だってば。
産業構造や経済規模が日本とは全然違うんだから、いささか短絡的すぎる。これで「海外に出て見聞を広めた」つもりで国際人を気取られると、ちょいと問題あり。
■ そりゃ確かに、日本人と比べるりゃ、キウィの方が圧倒的に「生活の質」を大切にしている。彼らにとって仕事はあくまでも「金を稼ぐ手段」であり、アフター5、週末、あるは休暇中を本当の自分の生活と思い定めて、よく遊ぶの何のって。
だから、人間性を評価するとき、「仕事熱心」というパラメータは、日本ほど大きくは評価されないのも事実だろう。
そういう意味では、欧州人と非常に良く似た価値観だ。先日のスリーデイ・ツアーにも英国人の医者&弁護士の夫婦がいらっしゃったが、彼らとこの話をしたとき、「日本人は、いまだに休むこと、遊ぶことに後ろめたさを感じていて、勉強や仕事をしているときは他人の目を気にしなくていいから気楽なんだ」という話をしたら、「僕らとはまったく反対のメンタリティーだなぁ」とため息をついていた。
僕自身は金がドカンと転がり込んできて、職業欄に「隠居」と書ける日が一日も早く来ることを夢見ているメンタリティーの持ち主なので、彼らの意見に賛成、ワハハ。
ただし、その可能性はいまのところゼロである、ワハハトホホ。
最近は日本でもこうした生活観が次第に一般的になりつつあり、特にこういうアウトドア系のブログをのぞきに来ていらっしゃるような方たちの中には、そうした価値観の持ち主が多いかと思う。僕とご同類ですな、ワハハ。
ただし、こっちの連中は概して日本人よりもずっと徹底している。
ワーホリ君たちにはなかなか垣間見る機会はないだろうが、確かに5時になったとたんに少々仕事が中途半端でもそこでビシッと切り上げ、悲鳴を聞きつけたクラーク・ケントのように(喩えが古いか)、颯爽と職場を飛び出していくのはキウィにとっては当たり前のことだ。
そんなとき、そういう文化背景をよく理解していない新入社員の日本人が、キリのいいところまであと1時間がんばろうとオフィスで粘っていると、
「こら、さっさとしろ! 僕は早く帰りたいんだ。僕がオフィスを閉めなきゃいけないのに、誰か残ってると帰れないよ。もう良いから後は明日、明日!」
とボスに叱られることになる。
こういうのも、日本人には「怠け者」と映るらしい(ただしキウィ全員がこういう仕事ぶりだというわけではない。遅くまで働く人だっていることは言うまでもない)。
■ でも、キウィってそんなに怠けものかなぁ?
僕がこちらに来て、キウィたちの働きぶりを目にしたときは、むしろ、
「うわぁ、なんてよく働く連中だ!」
と感じたんだけど。
特に、目の前に困った人がいるときに発揮される、「ここまでやってくれるのか!」という親切ぶりは、さすがに世界一のホスピタリティを売り物にする国だと思う。
また、二十歳になるかならないかの若者(いや、むしろ少年、少女と言ってもいい年齢)が、上司の判断を仰ぐことなく、自分の裁量でどんどんと仕事を進めていくさまを見ると、本当に気持ちいい。
あと、肉体労働系になると、日本人との圧倒的な体力差がモノを言う。僕自身こっちの肉体労働業界に入ってずいぶん長いのに、彼らが日本人の数倍の仕事量をアッと言う間にこなしてしまうのには、いまだに唖然とさせられる。
こういうのを目にすると、我が祖国を思って引け目に感じることもしばしば。
■ 確かに日本人の労働時間は、長い。
しかし、仕事量はどうだろう?
17時以前を「時間つぶし」に使い、残業手当のつくアフター5になってから、やっと本気で働き始めるっていう人が昔は非常に多かったが、今はどうだろう? そういう人種が絶滅したとは考えにくいのだけど。
あるいはそうでない人も、必ずしも今日仕上げなくてはならないから残業しているのではなく、別に早く帰ってもすることもないし、遊びに行く金もないから、なんとなく残業している、ってな人はもっと多いんじゃないかなぁ?
こういうのを良しとする文化圏の人間が、17時まで全力で仕事しているキウィを怠け者扱いするのを見て、正直言って僕は大変な違和感を覚えた。
■ ただ公平を期すために申しあげておかねばならないが、もちろんキウィの中にだってとことんレイジーなヤツは多い。日本ではちょっとお目にかかれないようなレイジーぶりを見せてくれるヤツも、確かにいる。こういうときは「他人の目を気にしない」「遊びが身上」という価値観が裏目に出る。
あとよく働く連中にしても、仕事ぶりをつぶさに見れば、日本人の目には「ラテンのり」とも思えるような荒っぽいやり方が目立つのも確かだ。
■ だから、その辺を差し引きすれば、僕自身は「どっこいどっこい、どっちもどっち」と思っている。
ダラダラと長時間働き続けるマラソン型勤務に適応した日本人と、少々荒っぽい仕事ぶりながら短距離全力疾走型で働くキウィ、どっちが勤勉でどっちが怠け者とも言い難いななぁ、という感じ。
■ ただ面白いことに、キウィの中に「キウィは怠け者で、日本人は勤勉」と口にする人間は、少なくない。そのたびに僕は、
「いや、日本人は家に帰りたがらないだけなんだよ。長時間職場にいるのが苦にならないから、マラソン型に細く長く働くだけなんだ」
と言う事が多い。
だって、自嘲気味に「キウィはレイジー」と口にするキウィは、揃いも揃っておっそろしくよく働く連中なんだもん。そういう連中の前では恥ずかしくて、口が裂けても「うん、日本人は勤勉だよ」なんていえない。
■ さてさて、どっちが働きものでどっちが怠け者かはさておき、今度は仕事に対する姿勢を見てみたい。っていうか、これが本題。ワハハ、例によって枕が長いぞ。
先ほど「キウィの方が仕事が荒い」と言ったが、それでもなお、僕が「プロだなぁ!」と感じる仕事ぶりを見せてくれるのは、キウィの方が多い。仕事ぶりを見て「気持ち良いプロ意識」に感動を覚える場合、相手は往々にして日本人ではなく、キウィだったりするのだ。
■ この話をすると、
「そんなことないですよ、日本の方がもっとプロ意識高い人多いですよ!」
と反論する若い日本人も多い。
で、話を聞いてみると、彼らは宮大工の棟梁だとか、頑固な鍛冶屋だとか、芸術的な仕事をする板金屋さんだとか、カリスマ美容師だとか、鉄人シェフだとか、均一な品質の作物を生み出す農家だとか、著名な陶工だとかを挙げる。
フムフム、なるほど、なるほど。彼らはそりゃプロだよね。
ただどうだろう、こういう人たちが本当に「プロ意識」の高い仕事をしているだろうか?
彼らは「職人意識」の高い仕事をするのは間違いないだろうが、「プロ意識」の方は、実際にそれぞれの仕事ぶりを拝見しないことには、なんとも言えない、としか申しあげられない。
■ 僕なりの定義をもう少し詳しく述べると
- プロ意識 :
意識が「顧客満足」「費用対効果」にフォーカス
「お客様に対して恥ずかしくない仕事」という意識が強い
- 職人意識 :
意識が「仕事のクォリティ」にフォーカス
「自分自身や同業者に対して恥ずかしくない仕事」という意識が強い
といったところだろうか。
国民性として、人懐っこくホスピタリティにあふれている反面、ラテンなのりで乱暴な仕事ぶりになってしまう傾向のあるキウィの場合は、どうしても前者が多いように思える。
その反面、人と接するのが苦手でマニュアルがないと挨拶一つ出来ない人も少なくなく、その上自他の区別をあまり明確につけたがらない反面、「仕事」を自分の分身ととらえて丁寧に仕上げようとする傾向のある日本人の場合は、後者が多いような気がする。
日本でも「顧客満足」だの「費用対効果」だの言葉はよく聞くが、概ねマーケティング調査の結果として「数字」に表れたそれを議論している場合が多く、生の生きた人間を相手に「このお客様をどうやって喜ばせようか?」という姿勢は、やはり乏しいような気がする。
意地悪な言い方をすれば、日本人の場合はマーケティング調査をして数字をはじき出すのも「職人的」にこなし、それを元に議論してマーケティング手法を構築するのも「職人的」な作業としてやっている、という言い方も出来るかもしれない。
■ 職人意識は、もちろんプロにとっても非常に大切な要素だ。キウィを見ていると、荒っぽい仕事ぶりに腹立たしさを覚えることもある。そういうときは、日本人のきめ細やかさが懐かしくなる。
ただ、一つ注意しておかなければならないのは、「プロ意識」はあくまでもプロ特有のものであって、アマチュアにはありえないモノであるのに対し、「職人意識」は決してプロ特有のものではない、という点だ。
むしろ、職人意識を遺憾なく発揮できるのは、消費者・クライアントという足かせのないアマチュアだったりすることもある。
一例を挙げれば、家具職人(日本人)がアマチュア木工家(やはり日本人)の手による素晴らしい椅子を目にして、
「良いよなぁ素人さんは。金も時間もたっぷりかけて、こんな芸術品作れるんだからよぉ。オレたちゃ時間も金もかけるわけにゃいかねぇから、こんなシロモン絶対作れねぇよ。一回で良いからこういう仕事してみてぇもんだよなぁ。どっかにこういう仕事注文してくれる人いないもんかねぇ……」
とぼやいたというエピソードを耳にしたことがある。
これなどは「アマチュアの職人意識」のレヴェルの高さを示す好例だが、これは別に木工に限ったこっちゃない。プロ裸足の作品を生み出すアマチュアは、どんな世界にも必ずいる。そういうアマチュアは、プロ意識こそないものの、プロと同等あるいはそれ以上の職人意識を持っている。
つまり逆に言えば、元々はプロだったはずなのに、職人意識をとことん極めた結果、究極の作品を産み出せるようになったものの、その作品が消費者のニーズからどんどん外れていって、プロとしては食えなくなってしまうという場合だってあるだろう。
特に芸術方面では、「売れる作品」を作ることを恥じ、あるいはバカにし、貧乏に堪えながら自分に妥協しない「芸術」を極めるのを良しとする傾向がある。これば、僕の用語で言えば、「職人意識」の塊ではあるが、「プロ意識」は欠片もない、ということになる。
■ 別にどちらが良いとか悪いと言っているのではない。ただ、「職人意識」というのは、プロだけではなく、その道にはまり込んでしまった者ならば、アマチュアでさえしっかりと持っているものであり、すなわち「高い職人意識」はプロの証にはならない、ということを言いたいのだ。
むしろ、同レヴェルの高い職人意識を持つハイレヴェルなアマチュアとプロの間の「一線」が、「プロ意識」なのではないかと思っている。
■ さて、言葉の定義が終わったところでもう一度日本人とキウィの話に戻る。
非常に乱暴にステロタイプ化した印象を語れば、キウィの場合は「プロ意識が高いものの、職人意識が欠落した人間」を非常に多く見かける。
一方、日本人の場合はプロ意識といえば、「職人意識」のことだと思っており、顧客満足、費用対効果などの本来の意味での「プロ意識」は、おまけくらいにしか考えていない人が多いような気がする。
■ どっちが良いかと問われれば、実は僕自身はどっちも失格だと思っている。
僕は、「職人意識」と「プロ意識」の二つが、プロフェッショナルにとっての「両輪」だと考えている。両者のバランスが崩れていると、プロとして真っ直ぐに走れない。
ではなぜ、僕がネット上、あるいは「プロガイド・ワークショップ(PGW)」の場などで「プロ意識」ということばかり強調しているかといえば、上記のように、日本人は職人意識をプロ意識と勘違いし、結果プロ意識が欠如する傾向が少なからずあると思っているから。
逆に真面目な日本人というのは、だいたい職人意識の方はしっかり持っているものだ。
だから、こっちでキウィの若手を指導するときは、徹底して「もっと丁寧に」ということを強調し、彼らに「職人意識」を植え付けようと努力しているのだ。
■ というわけで、僕が日本語で「プロ」、「プロ意識」と言っているとき、決して「職人的仕事」のことを念頭においているわけではなく、むしろ職人的な仕事ぶりばかりにフォーカスしてアマチュア的、オタク的なアプローチに陥る危険性に警鐘をならしているニュアンスが強い。
■ 面白い記事を見つけた。
◇Unforgettable Days...「日本の医療が患者本位にならない理由」
医師の意識だのモラルだのの話題は昔からお馴染みのネタで、このコンテンツでは倫理規定の中に問題点を指摘している。
この倫理規定が「卵」なのか、それとも「ヒヨコ」なのかはよく分からないが、僕の言う「プロ意識欠如」というのがそれと対になっているのは間違いがないように思える。
つまり、日本の医学界には「医学を追及する学者」や「病気と闘う職人」は多いが、「患者の満足を考慮するプロ」は少なく、よって倫理規定にもそういうプロ意識はうたわれていない、と。
僕に言わせりゃ、医者なんて究極のサーヴィス業なんだから、もっとも高いプロ意識が要求される職業だと思うんだけどねぇ。アウトドアガイド風情に「プロ意識が低い」なんて言われることが許される職種じゃないと思うぞ。
■ ただし、上で挙げたような職業の方たちすべてが「職人的で、プロ意識欠如」と言っているわけではないことは、念のため申し添えておかねばなるまい。職人意識とプロ意識をきちんと併せ持った、素晴らしいプロフェッショナルが日本にもいらっしゃることは、僕自身もよぉ~く存じている。医師もしかり。
そして、逆にNZをみると、両方を併せ持った人間はやっぱりそんなに多くないことも申しあげておかねばなるまい。
つまりここで言いたいのは、あくまでも両国の一般的な傾向であり、あるいは日本人は「職人意識」と「プロ意識」を味噌糞一緒にしやすいので、気をつけようぜ、ということである。
■ って、ここまで書いて気づいたんだけど、今回の話って「危機管理考」で述べた、「危機管理」と「自己責任」を混同するなというのと、非常に似た論旨展開だったな。
つまり4年半以上たってるのに、あまり成長していないということか。ガッカリ。
■ 追記(2006年10月4日)。
別冊版「再考『プロ論』」で、当エントリの不明瞭な言葉づかいを訂正。
「プロ意識」の中を「プロ意識」「職人意識」の二つに分けるわかりにくさを、「プロ意識」の中を「ホスピタリティ意識」「職人意識」の二つに分けることで修正。および職種によってこの二つが必要なものと、片方だけでよいものがあることにも言及。
■ 関連過去ログ【ガイドのつぶやき】
◎その1「怖さについて。」 (10月7日)
◎その2「過保護について。」 (10月8日)
◎その3「プロの基準について。」 (10月9日)
◎その4「互助について。」 (10月12日)
◎その5「トウイングについて(前編)。」 (10月13日)
◎最終回「トウイングについて(後編)。」 (10月14日)
◎番外編「老兵は語るべきか、去るべきか?」 (11月13日)
■ 来週月曜日は、柔らかぁ~い、くっだらない話題でもやろうかなぁ。
何かトピックのリクエストあったらどんどんお寄せください。アウトドアネタ縛りはないので、「Ryuにこんなことについて喋らせてみたい」ってな話だったら、何でも良いですよ(ご期待に沿えるかどうかは保証の限りじゃないですが)。
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■ 「自分は職人型にあこがれるな」と思った方は
を、「自分はプロ型を目指したい」ってな方は
を、「オイラは両方をバランスよく兼ね備えた天才プロだぜ!」と思った僕のようなおめでたいタイプの方(笑)は、両方をクリックして下さい。
http://www.gofield.com/openair/mt/mt-tb.cgi/1132
本日も力技のエントリー、お疲れ様です。
力作ゆえ皆さん突っ込みどころがなくて逆に感心しきってしまってコメント出来ないんですよ、うん。
でもコメントがないと可哀想なので無理やりがんぱってしまう私設秘書(笑)。
大雑把に言って仕事に対するスタンスのミクロ的見地とマクロ的見地の相違、といった感じですか>職人とプロ。
あと、プロはその職業についている人間自体、逆に職人はその人間の仕事自体が評価対象になっているという違いもありますよね。
両方の要素が伴っていないとその道のエキスパート(と言う言葉を一応使っておきます)にはなれないですね、確かに。
確かに日本だと職人的仕事の仕方(=ひたすら内省的、自己批判しながら緻密な作業をする)事イコール「デキル」という事になるんでしょうね。
長年に亘る大企業で終身雇用なんていう世界で対外的に個人レベルで血を流しながら戦う事がデフォルトでオミットされているビジネス文化で、日本人のビジネスメンタリティーがそうなってしまったのかもしれないですね。
でも、
数年前に聞いた話ですが、プロダクティヴィティー(生産性)の国別比較では日本はしっかりアメリカに負けていたんですよ。
就業時間に対して実際の生産量が伴ってないとレッテル貼られたような調査結果だったので、一応アメリカで「仕事のできる」「ワーカホリックな」人々に囲まれて仕事をすることが出来たラッキーな私はさもありなん、と思いました。
(この件に関して万一ネットで情報が拾えたらアップします>Ryuさん)
それにしてもウィルソンズの社長、「やっぱりね」といった感じですねぇ。
聞いているこちらも溜息、いやある程度予想通り過ぎて脱力・・・
お気遣いありがとうございます。
コメントいただけると、張り合いがでますです。
でも、力技に見えます?
力抜いてかるぅ~く書いた、「たわごと」なんですけどね。
職人気質のバックグラウンドは、いろいろあるでしょうね。
おっしゃるような「防波堤に守られた職環境」もあるでしょうし、伝統的な気質もあるでしょうし。
> プロダクティヴィティー(生産性)の国別比較では日本はしっかりアメリカに負けていたんですよ。
米国に負けるのは当然だと思いますけど、他国と比べてもひょっとすると最近は危ないんじゃないかなぁとも思います。
ウィルソンズ、社長とは結局あって話できたんですが、今日は下っ端の連中が信じられないミスを連発してまして、これからもその尻拭いでお客様に電話して土下座しなきゃいけません……。
もーやだ、あの連中。
あと、職人気質のバックグラウンドとして無視できないのは、日本人は「普通」を重んじるあまり、自分が良いと思うものが、世間でも良いと思ってもらえるという無自覚の思い込みがあるでしょうね。
お客様が実際にどう思っているかを考えずに、なんとなく自分と同じように感じているという風に勘違いしてしまう。
これなんかは、個々が大きく違うということを前提に生きている欧米文化圏ではちょっと考えにくい話かも。
Posted by: Ryu : December 7, 2004 7:57 PMProfessionalという概念はもともと信仰告白Professionから来ている概念です。この概念が広く認知されるようになったのはヴィクトリア女王の治世下のイングランド。ご存じのようにUKは1000家族に満たない地主貴族が「上流階級」であり、彼らの嫡子ではない子弟かつ他の空き家の爵位(断絶した家系など)もゲットできない人々が医者、弁護士など高等教育を要する専門職に就いて「中流階級」を形成していました(無論、商売に成功して下から上がってきた人々のうち、家業を継げなかった子弟もこのクラスにエントリーします)。
彼らは禁欲的なプロテスタントであり、その信仰の影響で、自らの職業を「天命によるもの」と考えました。神様が自分にその職業を遣わしたのであり、よって自分はその職業に全身全霊を打ち込まなければ・・・・最後の審判の時に天国に行けないであろう。そう考えたのです。こうして自らの職業に宗教的情熱と誇りを持って取り組む人々が生まれ、また社会全体が産業革命により二次産業・三次産業へと重心を移していく中で、プロフェッショナルである、つまり宗教的な心情を根拠に仕事に取り組む態度が高く評価されるようになっていきました。
これが本来の意味での「プロフェッショナル」であり、そういう意味ではRyuさんの言う「職人」気質のほうが原義に近いと言えるでしょう。日本が近代化に成功した理由を、宋の時代の儒教道徳を商工業者向けに再構築した石田梅岩の思想(石門心学)に求めた研究もあるくらいです。石門心学もまた商工業者に、その職業を天職と考えるべしと説く思想でした。
それでは何故、本来は宗教的な意味合いを持っていた職業観であるProfessionalが商道徳として別の意味合いに転化していったのか。マックス・ウェーバーはプロテスタントの予定説(自分が最後に天国に行けるかどうかはあらかじめ決まっている)にその理由を求めました。ぶっちゃけた話、もしも自分の職業が天命によるものであれば、その職業は成功するはずだという論理です。つまり、自分の仕事で成功して稼げば稼ぐほど、天国に行ける可能性が高いと考えられたのです。
ここに、稼ぐけれどもその金を使わず、さらに果てしなく富を積み上げていくという不気味な現象が生まれ、この富の蓄積が資本主義を生んだ、というのが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の説く物語です。
このような歴史的経緯から考えると、Ryuさんの考えるプロ、言い換えれば「愛される商人であろうとする態度」は、宗教的な心情を伴う「己の職業に身命を捧げる態度」とは区別して、出来れば別の言葉で呼ぶべきではないのかと私は思っています。
ほぇぇぇ。
そういう経緯があったんですか。
メッチャクチャ勉強になりました。
僕、何を隠そう世界史、古文、漢文が思いっきりガンでして、さっぱり阿呆なんです。
でも思いっきり興味わいてきたので、こっち方面にもちょいと触手を伸ばして……。
いかん、Hokulea2006さんのお話、ツボに入ることが多すぎて時間が足りん!
編集長みたいに4時に起きるしかないのか?(^^;
しかし、まさかこのブログにマックス・ウェーバーが登場することがあるなどとは、お釈迦様でも予想しなかったのでは?
>出来れば別の言葉で呼ぶべきではないのかと私は思っています。
なるほどねぇ。
「プロ」、「職人」という言葉をここでは使ったのですが、既存の言葉で他に類似のものを探すと、「玄人」くらいしかないですねぇ。
玄人っていうのは、素人との対比が出るから、プロと職人をひっくるめたようなイメージがあるし……。
今後のテーマとさせていただきますm(..)m
日本語においては「プロ」という概念が、さらに職業からも切り離されて、一つの芸能や技能に熟達した人物を指して使われるようになっているような気がします。例の公認指導員問題も、この「プロ」概念の混同が背景にあるのではないでしょうか。内田さんにしろ野田さんにしろ、あるいは日本カヌー連盟の元競技者たちにしろ、カヤックにおいて第三の(日本独自の意味における)「プロ」ではあっても、カヤックによるレクリエーションにおいて「良き商人である」あるいは「宗教的情熱を持って商売に取り組んでいる」という、本来の意味でのプロフェッショナルではありませんから。
Posted by: Hokulea2006 : March 22, 2005 1:21 AM腕に覚えがあることも「まかせとけ、俺はプロだぜ」という表現もありますね>日本語
プロ概念の混同は、ホントにやっかいな問題だと思います。
あと、どこか別のところでも論じたような気もするのですが、それにしたがって、「アマチュア」が「プロ」を軽視するという傾向も、日本には顕著です。
これもプロ問題を考えるときに頭がいたい。
おっしゃるとおり、内田氏も、野田氏も、僕の捉え方では、文筆のプロであって、カヌーのプロではありません。
夢枕獏氏が、格闘技や釣りのプロではないというのとまったく同じ。
でも、日本では前のお二人は「カヌーのプロ」ととらえられてますね(たぶんご本人たちもそう思っていらっしゃる)。
不思議です。

