July 09, 2004
「封建的な官主導」の指導者育成事業
■ 予報
地上気象 - 快晴。風おだやか。最高気温12度、最低気温0度。
海洋気象 - 変風10ノット。海況はおだやか。
■ 車も道路も水溜りもみごとに凍り付いていて、出勤途中の峠道はすべりまくり。
11時半ごろから12時半ごろの1時間ほど、南南西10ノットが吹いた。変風10ノットの予報のときは、吹いてもせいぜい5ノットということがほとんどなので、これはちょっと例外的。とはいえ、変風の常で13時ごろには完全に止んでいたが。この季節の南風は、身を切るようにつめたい!
陸上にいれば「予報どおり」の天候だったはずだが、海にいるとやっぱり予報どおりとはいかなかった。 kc 4
■ 夕方、愛娘を散歩に連れ出したところ、やっとジャンプが出来るようになった! ジャンプはだいたい24ヶ月くらいでできるようになるらしいのだが、うちの子は26ヶ月直前になってようやく。本人もうれしいらしく、今もピョンピョン跳ね続けている。
あ、台所で椅子から落っこったらしい(^^;
すでにカヌー関連のウェブでは話題になりつつあるようなのだけど、カヌーにご興味のない方々にもちょっと見ていただきたいトピックだったりするので、僕もノンカヌーイストの読者も少なくないこのブログでまな板にのせてみることにした。
上記サイトは、一般の書店には流通していないカヌー雑誌がとりあげている、なかなかきな臭い話題だ。「怪」なんて書いてあるけど、別に怪談じゃないので怖い話嫌いな方もご安心して、とりあえずご一読いただければと思う。
実はこの雑誌、代表者氏がお一人でやってらっしゃるものなので、まずこの勇気に最大の敬意を表したいと思う。なんせ、話を読んでいると業界大手メーカーも絡んできているようなので、下手をすると相当にややこしいことになる厄介な話題である。
同サイトには、同問題専用掲示板まで用意されていて、なかなか熱い議論が戦わされているが、あそこに書き込むには少々文が長くなってしまいそうなので、こちらにアップした上で、あちらの掲示板にその旨告知するというスタイルをとることにした。
上記の通り、カヌー愛好者以外にも知っていただきたいという意図もあるし(これこそが、まさにブログ本来の使い方ともいえるかもね)。
■ さてさて、しかしこれまたやっかいなというか、なんというか、まったくしょーがねぇな……。
同問題専用掲示板でも皆さんおっしゃってるとおり、僕自身も指導者公認制度を導入しようとする動きそのものは、悪いことだとは思わない。
ニュージーランドにもNZOIAとかSKOANZとかの団体が指導者公認制度をもっているし、僕自身もこれらの制度は大いに肯定的にとらえている。
ちなみに念のため申しあげておくが、僕はSKOANZ資格は持っているが、NZOIA資格は持っていない。でもNZOIAインストラクター制度は尊重している。
ただし、それが「お上」からの押し付けであってはならないと思う。僕がこれらの団体の公認制度に敬意を払っているのは、それが「プロフェッショナルの、プロフェッショナルによる、プロフェッショナルとすべての利用者のための制度」として運営され、機能しているからである。
もちろん、箔をつけることが目的の名前ばかりのライセンスや、金儲けが目的のライセンスビジネスなどは論外だと思っている。
■ これを、日本で今問題になっている件に当てはめてみる。
当該サイト本文や掲示板での議論にもあるとおり、正確にいえば、同じ「カヌー」といっても競技カヌーとレクリエーション・カヌーは、性格がまったく違う。前者は勝負に勝つための技術を磨くという確固かつシンプルな目標があり、指導者の使命も「世界で勝てる選手の育成」ということになる。
ところがレクリエーション・カヌーの場合は、極端にいえば愛好家一人一人が別の動機を持っている。だから指導者と一口にいっても、必要とされる最低基準は、競技カヌーの指導者ほど単純に決められるものではない。
つまり、一口に「指導者公認制度」だの「指導者育成」だのといっても、競技カヌー指導者とレクリエーション・カヌー指導者ではまったく別モノと考えるのが自然なはずなのだ。
■ これは、資格試験のレギュレーションや審査基準といった問題にとどまらない。公認制度そのものの導入や立ち上げの仕方そのものに関しても、競技とレクリエーションではやり方は違ってきて当然なのである。
競技にはもともと厳然としたルールがある。また、年々発達し、少しずつ変わるとはいえ、競技にはやはり厳然たる「正しいフォーム」があり、よって指導方法もある程度型にはまったメソッドが存在する。
つまり、競技カヌー指導者の育成や公認制度に関しては、日本カヌー連盟の今まで積み重ねてきた活動の延長線上で話を進めても支障はないだろうし、むしろそうするのが合理的かもしれない。
よって、日本カヌー連盟の内部で独自にレギュレーションや審査基準などを話し合って制度化しても、特に大きな問題はないと思う(ただし、今問題にされているように、民間公認校の認定に不透明なところがある場合は問題があるが、これは今僕が論じている問題とは少し質が違うので、今ここでは触れない)。
■ この手法、あえてここでは「封建的手法」と呼ぶことにするが、ではこの封建的手法をレクリエーション・カヌー指導者の公認制度、育成制度に流用していいものだろうか?
これに関して、掲示板での議論を拝見していると、将来的に別団体のレクリエーショナルカヌー協会のようなものを立ち上げ、今回の認定業務を委譲するというような主旨の情報があった。
つまり日本カヌー連盟は、まさしくこの「封建的手法」を、レクリエーション・カヌーの指導者に対しても使おうとしているらしいのだ。
僕個人は、この点を大きく問題視したい。
僕は、レクリエーション・カヌーの指導者に関しては、この手法は最悪だと思っている。
理由は単純。上で述べたとおり、レクリエーション・カヌーイストは、目的・動機そのものが千差万別な上に、競技ほどの「ノウハウの蓄積」もないので、競技のように簡単にレギュレーションを「お上」が決められるはずがないからだ。
■ よって僕は、レクリエーション・カヌーの指導者公認制度に関しては、「マーケットの要望」が絶対条件だと考える。
ここでいう「マーケット」とは、エントリーレヴェルからヴェテランまで含めた愛好者から、製造・販売・輸入業者、またはアウトフィッターやスクールなど、すべてをひっくるめた業界全体のことだ。
「マーケット」が大きくなってくれば、世の常として質が落ちてマナーが悪化し、世間様に迷惑をかけるようになると同時に、事故が頻発するようにもなる。
カヌーでの事故は死に直結し、それはすなわち「マーケット」全体を脅かすことになる。だから、ある程度マーケットが成熟してく業界全体が肥大してくれば、指導者の育成と公認の制度を立ち上げるなどの、業界を防衛するための「自己規制」をしようという動きが出てくるのは、当然の流れだ。一般愛好者が、「安心できる指導者の指標が欲しい」と欲するのも、やっぱり同じように自己防衛のための要望と言えるだろう。
こういう「マーケットの要望」こそが、健全な業界の発展の証しだとも思う。
つまり、民間のレクリエーション・カヌーに指導者公認制度を導入しようとする動きは、「そろそろカヌー人口も増えたことだし、指導者公認制度でも作るかな」なんていう「官主導」ではなく、一般の愛好家を含めた業界全体が自分たちの業界を守ろうとする「民主導」であるべきだと思うのだ。「官」はこの時点で、「民」に最大限の協力をすればよろしい。
この手法は、「民主的手法」とでも呼んでおこうか。
■ 僕自身、一昨年から『プロガイド・ワークショップ(PGW)』という、日本の指導者にニュージーランドのガイディングのノウハウを伝える活動を始めている。ニュージーランドのカヤッカーでありながら、こうして日本のカヌー業界に物申しているのも、この活動でいまだに日本の業界とも深くつながりを持っているからに他ならない。
僕がこういう活動をするようになったのは、もちろん「マーケットの要望」があったからだ。つまり日本の指導者層の中に、すでに日本で知られているノウハウだけでは物足りなくなり、海外のノウハウを導入する必要性を感じ始めた人が増えてきているのである。
そういう意味で、上で書いたような「動き」は、すでに一部では始まりつつあるというのが、僕の実感である。
ちなみにちょっと脱線して念のためにあらためて定義しておくが、今日のこの雑文の中では、すべてのカヤックとカヌーを含めて「カヌー」と記し、ガイドとインストラクターをまとめて「指導者」と記している。特に、ガイドとインストラクターについては、普段の僕は厳密に区別して使い分けるようにしているのだが、この文中では例外的に区別しないで「指導者」という言葉にガイドも含めていることをお断りしておく。
話を戻す。このワークショップの中で、僕は、
「日本のシーカヤック界にはすでにインストラクター公認制度があるが、逆にガイド公認制度はない。しかし、だからといって安易にガイド公認制度を作ろうとしないでください。」
といっている。
理由は、上に記したとおりだ。時期尚早で業界のレヴェルがまだ熟していないうちに、形だけの公認制度を作ってしまうと、消費者不在、マーケット不在の「お上の決めた押し付けルール」のような、最初から形骸化したものが出来てしまう恐れが非常に大きいからである。それでは、何のための制度かわからない。
ならば、機が熟すまで作らない方がいい。機が熟してからならば、時期尚早で無理して形だけ整えるよりも、はるかに合理的で実情にかなった「きちんと機能する制度」を作れるはずだ。
■ つまり今の僕に一つハッキリいえるのは、少なくとも今まで競技カヌーにしか関わって来なかったような連中が、「お上の権威」でレクリエーション・カヌーの指導者を育成したり公認したりするなんてことは無理だろうということ。そりゃ形の上だけならば可能かもしれないが(形だけなら、やったもの勝ちだ)、実際問題としてそれをきちんと機能する形のシステムとして定着させることは、まず不可能だという見解だ。
そういう意味で、去年だか一昨年だかに始まった北海道のアウトドアガイド認定制度も、僕は思いっきり疑問視している。あれはまさしく「官主導」で形から作り上げられた封建的手法の制度だ。だから、僕もカヌー部門の審査基準の資料を見たことがあるが、
「な、なんじゃこりゃ!!?? なんでこんな科目があるの??? んで、なんで一番大事なこの科目が入ってないの?????」
と、頭をひねるどころか、腰を抜かしてしまうほど不可思議な試験内容だった。本当は、意見を上申するつもりで資料を手に入れたのだが、あまりにトンチンカンな内容を見れば本物のプロフェッショナルが認定基準作成に関わっていないことが明白だったので、上申書を書くのをやめて「何も見なかったこと」にしてしまった。
そんなわけで僕にとっては、あの試験に受かった人をそれだけで「一人前の同業者」とはみなすことはとうていできない。がんばって突破して「ガイド」の座を射止めた合格者諸氏には何の責任もないので、大変に申しわけない話ではあるのだけど……。(だからこそ、こういう事例を今後増やさないようにと、こうして意見を申しあげたりもしているわけだが)
■ 日本カヌー連盟がレクリエーショナルカヌー協会を立ち上げて公認機関を作ったら、こういうばかばかしい代物が一つ増えるだけになるのが、今から見え見えだ。
最初に書いたとおり、レクリエーション・カヌーの指導者公認制度を作りたいならば、
「レクリエーションのプロフェッショナルの、レクリエーションのプロフェッショナルによる、レクリエーションのプロフェッショナルとそのすべての利用者のための制度」
として作るしかないはずだ。競技畑の人たちには、無理だ。
「そんなことはない! 我々に任せておけ!!」とおっしゃるならば、世界一のシーカヤックフィールドの現役バリバリトップガイドであり、SKOANZレヴェル1公認シーカヤックガイドであり、ニュージーランドの業界も日本の業界もある程度知っており、なおかつ世界中の大統領や首相たちと親交のある(はずがない)この僕を、キチンと納得させられる認定基準と審査基準を見せて欲しい。
(北海道も、悪いこと言わんからちゃんと作り直した方がいいぞ、ホントに。)
■ しかし、なんで日本って、こういう風にすぐに「封建的手法」に流れてしまいがちなんだろ。
別に「封建」が悪くて「民主」が良いと、そんな単純なことをいうことをいうつもりはないが、なんでもかんでも「封建的」な発想をしてしまう体質は、なんとかして欲しいぞ。
■ ちなみに掲示板などでは「癒着」ということもさかんに言われている。
確かにそういう面もあるのだろうし(確かにどうもプンプン臭う)、それも無視できない問題ではあると思う。
たとえば、現状のままでは制度が形骸化して、モンベルを始めとするごく一部の業者が、ダイヴィング業界のような「腐ったライセンスビジネス」に走ってしまう懸念だってある。
しかしながら、むしろ僕としては上記の通り、日本に良くある
「よくわけがわかっていないお上が、現場の現状にまったくそぐわない不条理な規則を作って押し付ける」
という構図が、今回の日本カヌー連盟の
「専門外のレクリエーション・カヌーにまで、競技カヌーと同じ理屈を押し付けようとしている」
という側面にありありと見て取れる点を、より重大視したいと思う。
なぜなら、癒着を糾弾できる人は日本にもたくさんいるが、指導者育成公認制度の封建的手法の危険さを指摘できる人は、今の日本にはほとんどいないだろうから。ならば、これは僕の仕事だ。
■ ぶっちゃけた話、役所やら公益法人やらの類が民間と組んで何か事業をやろうとすれば、癒着云々の批判はどういう風にやったって必ずどこからか出てくるものなのだ。こうした批判が出ないように事を運ぶのは事実上ほとんど不可能だろうから、僕はこの癒着という問題に関しては、あえて特に何も言わないことにする。
もちろん、「日本の市場はウチだけで充分だ」などとふざけたことを抜かすヤツに美味しい目を見させるのは、僕だって気分はよくないけどね。
でも、いつまでもそういうヤツに大きな顔はさせてはおかないぞと、とりあえず久しぶりに啖呵を切っておくとする。
■ あと、今日のこの文を読んで、
「あれ? 資格制度がいらんとかいって、Ryuは似非ガイドに寛容になったのか?」
と勘違いされても困るので、あえてもう一度ハッキリいっておく。
僕は、『プロガイド論』を書いた頃から、基本的な姿勢は一切変えていない。昔も今も一貫して、似非ガイドは認めない。
公認制度が存在しようとしまいと、「プロとして最低限持っているべき技術レヴェル」というものは、厳然として存在する。そして、いやしくもプロを名乗るものは、その最低基準がどこにあるのかを常に探り、それを越えようと努力するのが、最低の義務である。
もちろん、それを越えたあとも常に努力を怠らないのが、本当のプロであることは言うまでもない。
だから、今すぐに「官主導」でレクリエーション・カヌー指導者公認制度を作る必要はないと思うが、だからといって、公認制度がないことにアグラをかいて、いい加減な態度でプロを自称する似非どもを容認する気もさらさらないことは、あえて改めてここに記しておく。
■ というわけで、この話は少し大きな議論にしてみるべきだと思うので、とりあえず上記サイトと掲示板、ぜひとものぞいてみてください。その上で、このブログへのコメントいただくのも大歓迎ですし、ご自身のブログをお持ちの方で関心を持っていただけた場合は、僕の意見に賛成、反対を問わず、どんどんトラックバックしていただければと大変うれしく存じます。
もちろんカヌーをやらない人のご意見やトラックバックも、大歓迎です。これって、どんな世界にも似たようなことはいつでも起こりえる話だと思いますから。
なお、仕事から戻ってから短時間で執筆した上、日本カヌー連盟の説明も何だかよく分からない意味不明な部分が多いため、勘違いをしている部分があるかもしれません。お気づきの際はご指摘、ご指導いただければと存じます。
http://www.gofield.com/openair/mt/mt-tb.cgi/441
Excerpt: 「公認指導員制度」 最近、ガイド仲間が集まったら必ず話題に出るんですわ。...
From: G's コラム アウトドアなブログ
Date: 2004.07.13
Excerpt: 「公認指導員制度」 最近、ガイド仲間が集まったら必ず話題に出るんですわ。...
From: G's コラム アウトドアなブログ
Date: 2004.07.13
Excerpt: ■ 予報 [地上気象] 次第に雲が広がる。北風次第に強くなる。最高気温18度、最低気温10度。 [海洋気象] 変風10ノット、午後に北15ノットに変わる。海況は穏やか。夕方からの雨...
From: Ryu's Logbook ニュージーランド在住シーカヤックガイドのlogbook(=航海日誌)
Date: 2005.03.12
Excerpt: ■【予報】 [地上気象] (モトゥエカ) 晴れ。風おだやか。最高気温23度、最低気温14度。 [海洋気象] (エイベル) 南西10ノット、午後一時北東に変わる。海況おだやか。 [潮汐表] ...
From: Ryu's Logbook ニュージーランド在住シーカヤックガイドのlogbook(=航海日誌)
Date: 2005.03.14
門外漢(漢ではないのですが)ですが、ほかのスポーツ団体総本山の人間等を見てきた時期が昔ありますので一言。
日本の「スポーツ界」という枠組みに入ってしまうと、悲しいかな、まず封建的になりますね。
しかも住所が「岸体育館」になった時点でそれが強権発動の半透明な葵の御紋になってしまう感じですねぇ(いや、本当に)。
あの建物こそが、日本のスポーツ界リーダーシップが「灯台下暗し」的になっている元凶だと、常々思っておりました。
でもスポーツ系「連盟」を名乗り、あの建物に事務所があること自体がステータス(補助金もそれで出るんだろうし)であるというスタートからして、今回の問題も出るべくして出たのかもしれません。
それはさておき、
日本のスポーツ界のプロとアマの神経質なまでの線引きというのも絡んでいるような気がしますね。
いや、スポーツだけではなくて日本人は資格や表彰・賞状に対して異常なまでに執着するではないですか。
まるで赤ん坊のセーフティーブランケット(よく小さい子供っておしゃぶりやぬいぐるみなど手放せない精神安定剤的「宝物」がありますよね、それです)のごとく肩書き先ずありき、で。
「パドル・・・」の方でRyuさんもおっしゃられておりましたが、資格はあくまでも自分が培ってきた努力を他人から見てもわかる形になったということを客観的に判断してもらえたという「能力確認」で、資格があるからこんなことが出来るようになる(=自動車の仮免的メンタリティー)、というのでは全くもって本末転倒です。
・・・あ、ここで自分で「仮免」と書いて気がつきましたが、「資格」と「免許」では意味合いが全然違うのも、字を一つ一つ見てみれば明白ですよね。この2つがごっちゃになっているのが問題の発端かな。
そして、その資格の意味の理解の欠落、能力のグレースケールを無理やり線引きして黒白つけてしまおうというお役所仕事的概念が、今回のケースにも当てはまるのではないかと。
この悲しいメンタリティーといつまでも定着しそうにない自己責任というものの概念というのも、とっても密接な関係があると思いますよ。
もう、わからない人には本当にわからない、箸にも棒にも引っかからない、って感じで。
これもいつか又別スレで大討論会になるであろうトピックですが。
おっと忘れるところだった。
姫、ジャンプご成功おめでとうございます。
早速椅子から落ちたとは・・・フフフ、我が家の苦しみがやっと分かち合えますな(爆)。
MMさん、見事なご高察ありがとうございます。
いやまったく、日本のスポーツ界は「封建制」の牙城ですね。
NZにも競技スポーツはあるのですが、あくまでもレクリエーション・スポーツの延長上、あるいは頂点に、世界の競技の場に出て行く人間がいるようです。
そもそも「sport」という英単語の語源が「暇つぶし」であるので、NZはその成り立ちに未だに忠実であるといえるかもしれません。
逆に日本は、スポーツの形だけを輸入し、封建主義の武士道の延長として競技スポーツを解釈してしまった節があるようです。
しかも悪いことに、江戸時代の本当の武士道や封建主義的なものじゃなく、明治以降の軍事国家時代に捏造された、性質の悪い方の封建主義。
戦後60年になるのに。
そして、レクリエーション・スポーツは、ここから「漏れて」しまった人のもの、のようですね。
ま、そういう背景はいいのです。
確かに日本の競技スポーツの世界に限っていえば、封建制もいちおう機能しているのでしょうから。
でも、それを他の世界に持ち込まないで欲しい。
レクリエーション・スポーツの世界は、まさにその「他の世界」だと思います。
あと、MMさんのおっしゃる、日本スポーツ界のアマ・プロの線引きの厳しさっていうのは、やぱり競技系スポーツに限った話ですね。
レクリエーションスポーツの場合は、逆に僕が糾弾している通り、似非プロがまかり通っている魑魅魍魎の世界です。
だからこそ、別の手法が必要なのに。
しかし、免許、資格をありがたがる性格は、ホント困り者です。
おっしゃるとおり、『パドルの向くまま、気の向くまま』で一度これに関しては論じているので、あえて本文では書きませんでしたけど、せっかく言及していただいたので、URL書いておきましょう。
http://www.onjix.com/paddle/essay/essay10.html
まったく、日本人の資格や免許に対するいじましい反応、見ててイライラします。
だから、今回の件も、ダイヴィング業界のような、ライセンスビジネスに移行して、結局カヌー業界を堕落させるんじゃないかと心配ですよ。
あわてて書いたので舌ったらずなままでレスして「まあいっかー」だったので、全然「見事」でも「高察」などでもございません>Ryuさん。
まあ例によって暇で減らず口と頭だけカラカラとよく回転するオバサンの放言レスということで。
その舌っ足らずなせいで明確になっていなかったポイントがプロ・アマの線引き部分。
いや、やはり明確にその線引きがレクリエーションスポーツ界にも蔓延しつつあるのが胡散臭さの原因ではないですか。
日本スポーツ界での既存の「エスタブリッシュ」された競技系スポーツの場合は、競技を続けていくとあるポイントでプロになることでしか競技を極められないというとんでもない踏み絵が存在します。
その一本道以外の選択肢として「日々精進しているが、敢えてプロにならないことを選んでいるアマ」が「エキスパート」であることが可能なはずなのに(究極の実力主義)、よりによってパターン化された「ド素人肩書きプロ」が大量生産されようとしていることで線のこちらと向こう側に頭ごなしに仕分け作業されてしまいそうだ、というのが、今回の皆さんの危機感の一部なのでは?
しかも、それに加えて素人目から見ても、同じ自転車競技というだけでツール・ド・フランスと競輪が一緒に括られてしまった様な妙な違和感もありますし。
それにしてもダイビング業界のライセンスビジネスって、ド素人にはピンと来ないのですが具体的にはどういうことなのでしょうか?
素人をおいしい所にとりあえずツアーという形にして連れて行って、通行手形の如く適当にライセンス出してあげてぽちゃぽちゃ遊ばせて「ナンチャッテ資格取った気分」を与えてしまうことで集金するのが慣例、パッケージ化していること(爆)?
なるほど、そういう視点で言えば、プロアマ線引きがレクスポーツの方に蔓延してきているというのも、確かにいえますね。
ダイヴィング業界のライセンスビジネスっていうのは、要は全ダイヴァーにライセンス取得を強制して、その受験料だとか会員料だとかで稼ぐシステムと、それの周りにもろもろと現れる弊害とかですね。
例えば、ライセンス持ってないと、機材を借りて遊ぶこともできないシステムが出来上がってしまっていたり、ライセンスを発行すればショップが儲かるシステムなので、まともな講習をしないままにライセンスを乱発したり。
その結果、事故がかえって増えたり。
カヌーの場合、一般パドラーにまでここまでライセンスを要求するシステムを作り上げるのは不可能だと思いますが、でも似たような弊害は十分に考えられます。
例えば、適切な指導者育成のために始まったこのシステムが、かえって似非プロにお墨付きを与えるシステムになるとかは、大いにありうることでしょう。
そうそう、一つちゃんとお断りしておかなきゃダメですね。
ライセンス制度のせいで、ダイヴィング業界全体がヒドイことになっている、なんていう極端なことを言っているわけではありません。
もちろん、良心的なショップさんやプロの方も多く、歴史の浅いカヌー業界の方が見習わなきゃいけない部分も、大いにあるのです。
特に、本気でレスキューを研究していらっしゃる方などは、まったく頭が下がる仕事をしていらっしゃったりもします。
これは、また改めてご紹介することもあると思いますが。
というわけで、一概に「あ、ダイヴィング業界はダメなんだ」と思わないでください。
僕が指摘しているのは、資格制度、ライセンス制度は、その資格・ライセンスだけが一人歩きして形骸化した儲け主義的な腐敗ビジネスにつながる可能性をはらんでいるということであり、その実例をダイヴィング業界に見ることができる、ということです。
MMさんがおっしゃるとおり、日本人の体質的に、こういうことは非常に起こりやすいですし。
同じようなことは、例えば日本で代替療法にも多くみられますね。
アロマセラピーとかリフレクソロジーとか、ショップ独自のライセンス制度を持っているところが多く、資格が乱立し、かなり「儲かるビジネス」になっているようです。
日本では医師法の関係で、代替療法を「療法」と称することは違法であり、つまり法改正をまたないと、こうした代替療法が公的な四角となることはありえないのですが、実際問題としてはこれらは厳然として「療法」なのであり、そういう意味ではきちんとした統一的資格制度を導入するべきだと思うのですが、実際には「ライセンスビジネスの温床」となっているのが現実のようです。
僕は、カヌーに同じことが起こって欲しくないなと思っているのです。
Posted by: Ryu : July 10, 2004 11:06 PMしかしねぇ。
「指導者育成」という事自体、カヌー界でもすでに民間でたくさんの方がチャレンジしていらっしゃるというのに(僕自身もその末席を汚しているわけですが)、そういう人たちを一切無視して話を進めるっていうのは、どういう神経なんだろうねぇ?
良い機会なんだから、民間で指導者育成をやっている全業者を集めてみればいいじゃないのと思うんだけど。
あらゆるジャンルからそういう業者が集まれば、そりゃ意見はまとまらんだろうけど、その代わり想像もつかなかったような面白いことだって起こると思うんだけど。
僕だって、交通費だけ出してくれれば、ギャラなしの手弁当で日本まで喜んで行くんだけど、そういう話なら。
JRCAという団体について調べていてこちらを発見致しました。私はリモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動について興味を持っている者で、かねてから噂になっている、ハワイの「ホクレア」の日本来航を一市民として応援する目的で、ウェブサイトを開設しております。よって競技カヌー、レクリエーション・カヌーともまったくの門外漢なのですが、現在発売されております雑誌『Tarzan』において、シーカヤッカーの内田正洋さんがJRCAの理事になられたという事(他にご存じの野田知佑さん、新谷暁生さん)、JRCAの活動として、いずれは航海カヌーの建造や「ホクレア」の招聘を目指していきたいというような事を書いておられましたので、少し気になって調べてみた次第です。
しかしJRCAについてネット上で出てくるのは悪い評判ばかりで、一体何がどうなっているのか、非常に驚いております。
やはり見切り発車でインストラクターの資格を作ってしまったという所が批判されているのでしょうか?
Hokulea2006さん、初めまして。
トラックバックとコメントありがとうございました。
早速貴ブログの三つのエントリーを拝見しました。
僕のエントリーが、ノンカヤッカーの方にこの問題を知っていただくためのものでしたから、大変興味深く拝見しました。
コメント欄だと長くなりそうなので、明日の拙ブログに改めてエントリーをアップすることにします。

